先日都内で、たまたまラッシュ時の電車に乗りました。まさにすし詰めで、一度体を動かしたら、そのまま体が固定されて、身動きできなくなるような大混雑でした。
その混雑の中、とある駅で、40歳くらいのサラリーマン氏が、乗り降りの人の流れを巧みにすり抜けて、反対側の閉じているドアの合わせ目あたり、つまり真ん中に身を挿し込んできました。そのちょうど右隣りに私がいたのです。
電車が走り出すとすぐ、そのサラリーマン氏は、左脇に挟み込んでいた通勤カバンから、右手で器用に大きめのタオル地のハンカチを取り出し、ドアの合わせ目あたり、ほぼ目の高さに置いて、いきなりそこに額を着けました。そして軽く左右に体を振り、両足を肩幅に開いて(多分、そうしたんだと思います)、カバンを左脇に挟んだまま、デパートの店員のように両手を下腹部の前で組むと、なんと、そのまま眠り出したのです。
彼の横顔と私の顔は50cmも離れていません。寝息が聞こえるのです。ビックリしました。次の駅で急にドアが開いたら大変だ・・・・と思った私は、すぐに気がつきました。
違う!彼はプロだ! 彼は、毎日の通勤で、当然こちら側のドアがしばらく開かないことを熟知しているのだ。
案の上、サラリーマン氏は、数駅過ぎた後、次の駅に電車が滑り込む直前、やおら額を離すとハンカチをカバンのサイドポケットに納め、ドアが開いた瞬間に、誰より早く最寄りの階段に足をかけていました。
鮮やか! 実に名人芸でした。そして、この練達の技が、私に40年近く前の記憶を呼び起こしました。
当時学生だった私は、ある日、深夜の山手線に乗りました。もう乗客は多くなく、私はドア近くの席に腰を下ろしました。
もう駅を覚えていませんが、その電車はすぐに出発せず、2、3分は停止していたでしょう。そこへ、同じ学生風カップルがあわただしく階段を駆け下りてきて、男だけが乗り込みました。視界に入って来たので、何気なく見ると、その男は実に見事なリーゼント頭をしていました。
当時リーゼントが流行っていたのかどうか記憶にありませんが、とにかくその男は、額から10cmは突き出して固められた、コテコテのリーゼントでした。
乗り遅れると思って急いできたのでしょうが、拍子抜けというか幸運というか、しばしの時間がある、とわかったリーゼント男は、ドアの真ん中に仁王立ちして、彼女と別れを惜しみ始めました。
出発のアナウンスが聞こえ、ベルが鳴り始めても、彼はドアのギリギリの所に立ち、「またあしたねェ」という甘ったれた鼻声に、「おう、気をつけて帰るんだぞ」みたいな声をかけていました。そこへ、ドアが閉まります!
おそらく、男の予定では、ドアが閉まる直前まで互いに見つめあい、閉まる刹那に身と頭を引くはずだったのでしょう。
ですが! 彼はまさに自分のリーゼントの10cmを忘れていたのです!! 彼が頭を引いたその時、ばっちり、ドアは彼のリーゼントを挟み込みました!!!
「憎むべきカップル」の「情愛ある別れ」を目の当たりにしていた私(当時、ほぼ引きこもり状態)は、想定外の展開に一挙にテンションが高まり、実に快哉を叫びたい気分でした。
リーゼント男は動転します。頭がドアに張り付き、首から下しか動きません。なんとか前髪を抜こうとしますが、固めたリーゼントはそれなりに太く、ドアに完全に挟まれては、とても抜けるものではありません。
男は、立ったま腕立て伏せをするように両手をドアにツッパリ、なんとか引き抜こうとするのですが、とても無理です。それよりも、頭を中心にTシャツ・ジーパンの後ろ姿全体がフラダンスのごとくくねるので、私は噴き出しそうで困りました。
そのうち、他の乗客も気がつきだして、ひそひそ話と小声の笑いが漏れ始めました。いよいよ焦るリーゼント男!
と、突然、男の動作が止まり、手が下がりました。要は、無駄な抵抗は止めて、次の駅に着くまで待つことにしたのです。
ところが! なんと!! 次の駅は降り口が逆側だったのです!!!
再び焦りまくるリーゼント男! 噴き出しそうながら同情の気分も沸いてきた私! もう笑うに笑えず、それでも笑いを漏らす乗客!
ついに男はすべての抵抗を諦めて、だらりと両手を下げ、頭でドアに寄り掛かるようにして、万事休す!! 寝たふりを始めました!!!
いやあ、実に久しぶりに思い出しました。
こういう記憶がいくつかあると、しばし辛いことが続いたとき、少しラクになるものです。 ありがとう! リーゼント男!!
その混雑の中、とある駅で、40歳くらいのサラリーマン氏が、乗り降りの人の流れを巧みにすり抜けて、反対側の閉じているドアの合わせ目あたり、つまり真ん中に身を挿し込んできました。そのちょうど右隣りに私がいたのです。
電車が走り出すとすぐ、そのサラリーマン氏は、左脇に挟み込んでいた通勤カバンから、右手で器用に大きめのタオル地のハンカチを取り出し、ドアの合わせ目あたり、ほぼ目の高さに置いて、いきなりそこに額を着けました。そして軽く左右に体を振り、両足を肩幅に開いて(多分、そうしたんだと思います)、カバンを左脇に挟んだまま、デパートの店員のように両手を下腹部の前で組むと、なんと、そのまま眠り出したのです。
彼の横顔と私の顔は50cmも離れていません。寝息が聞こえるのです。ビックリしました。次の駅で急にドアが開いたら大変だ・・・・と思った私は、すぐに気がつきました。
違う!彼はプロだ! 彼は、毎日の通勤で、当然こちら側のドアがしばらく開かないことを熟知しているのだ。
案の上、サラリーマン氏は、数駅過ぎた後、次の駅に電車が滑り込む直前、やおら額を離すとハンカチをカバンのサイドポケットに納め、ドアが開いた瞬間に、誰より早く最寄りの階段に足をかけていました。
鮮やか! 実に名人芸でした。そして、この練達の技が、私に40年近く前の記憶を呼び起こしました。
当時学生だった私は、ある日、深夜の山手線に乗りました。もう乗客は多くなく、私はドア近くの席に腰を下ろしました。
もう駅を覚えていませんが、その電車はすぐに出発せず、2、3分は停止していたでしょう。そこへ、同じ学生風カップルがあわただしく階段を駆け下りてきて、男だけが乗り込みました。視界に入って来たので、何気なく見ると、その男は実に見事なリーゼント頭をしていました。
当時リーゼントが流行っていたのかどうか記憶にありませんが、とにかくその男は、額から10cmは突き出して固められた、コテコテのリーゼントでした。
乗り遅れると思って急いできたのでしょうが、拍子抜けというか幸運というか、しばしの時間がある、とわかったリーゼント男は、ドアの真ん中に仁王立ちして、彼女と別れを惜しみ始めました。
出発のアナウンスが聞こえ、ベルが鳴り始めても、彼はドアのギリギリの所に立ち、「またあしたねェ」という甘ったれた鼻声に、「おう、気をつけて帰るんだぞ」みたいな声をかけていました。そこへ、ドアが閉まります!
おそらく、男の予定では、ドアが閉まる直前まで互いに見つめあい、閉まる刹那に身と頭を引くはずだったのでしょう。
ですが! 彼はまさに自分のリーゼントの10cmを忘れていたのです!! 彼が頭を引いたその時、ばっちり、ドアは彼のリーゼントを挟み込みました!!!
「憎むべきカップル」の「情愛ある別れ」を目の当たりにしていた私(当時、ほぼ引きこもり状態)は、想定外の展開に一挙にテンションが高まり、実に快哉を叫びたい気分でした。
リーゼント男は動転します。頭がドアに張り付き、首から下しか動きません。なんとか前髪を抜こうとしますが、固めたリーゼントはそれなりに太く、ドアに完全に挟まれては、とても抜けるものではありません。
男は、立ったま腕立て伏せをするように両手をドアにツッパリ、なんとか引き抜こうとするのですが、とても無理です。それよりも、頭を中心にTシャツ・ジーパンの後ろ姿全体がフラダンスのごとくくねるので、私は噴き出しそうで困りました。
そのうち、他の乗客も気がつきだして、ひそひそ話と小声の笑いが漏れ始めました。いよいよ焦るリーゼント男!
と、突然、男の動作が止まり、手が下がりました。要は、無駄な抵抗は止めて、次の駅に着くまで待つことにしたのです。
ところが! なんと!! 次の駅は降り口が逆側だったのです!!!
再び焦りまくるリーゼント男! 噴き出しそうながら同情の気分も沸いてきた私! もう笑うに笑えず、それでも笑いを漏らす乗客!
ついに男はすべての抵抗を諦めて、だらりと両手を下げ、頭でドアに寄り掛かるようにして、万事休す!! 寝たふりを始めました!!!
いやあ、実に久しぶりに思い出しました。
こういう記憶がいくつかあると、しばし辛いことが続いたとき、少しラクになるものです。 ありがとう! リーゼント男!!
南さんもリーゼント頭
だったのでしょうか。
今ちょうど
ツッパリ番組がうけてますね。
いやー、笑った。
リーゼントの焦る気持ちもわかるし、吹き出すのを我慢している南さんの気持ちもわかる
80年代初頭、竹の子族やらローラ族がわんさか
いましたから。
そんな昔から、反対側のドアが開いていたなんて‼
さすがトウキヨウ。垢抜けてますね。
車掌はダチさ。
リーゼント頭の未來予想図。
ベタベタいちゃいちゃを見せつけたいのか、ま~あベッタリくっつきまわり、思わず「ダサッ」と言いたくなりましたが、止めときました。(笑)
西洋人なら「絵」にもなるのでしょうが、ま~あ男側のモヤシみたいなナヨナヨ性に対して、女側はドヤ顔ときたら、この田舎もんカップルに、手の打ちようはありません。(笑)
これまた後でたまたま、同じ大学の友人に女側の話を聞くことがありましたが、「かなり」評判が悪いということで、まんざら自分の私見が「検討外れ」ではなかったんだな、とホッとしたものです。
中学の先生からも、地味~な女ほど後で変わり方が「激しい」と聞かされていたので、ああ「この事」かと実感した出来事でっしたとさ。
南さんくらい?の年齢で、中肉中背のオジサンが、気付けばいつも「私の隣」に居るのです。乗る時は居ないというか、見えていません。大体、満員電車に乗る時は、入り口付近しか見ないですよね?
そこで、乗る時に奥の方も見るようにしました。でも乗り込むのに「必死」ですし、見ることができません。ギュンギュン詰めで、乗るのがやっとな状態ですからね。ですがオジサンは、そんな中から、入り口付近にいる「私の隣」に来るのです。次の駅で降りる訳でもありません。
今度は、停車する前に、窓から乗客を見渡すことを試みます。すると、「やっと」オジサンを見つけました!
さも「降ります」みたいに、満員の中を「巧みにすり抜け」て来るのです。そして、入り口付近に居る「私の隣」へ「毎度」出現します。
そして、どこか触るようなこともなく、私の方が先に降車しますが、幸い付いて来たこともありません。
そこで、このオジサンは一体、何がしたいんだろう?何をしているんだろう?と思うようになりました。
私が鈍感なだけかもしれない・・と、五感のもつ全神経を尖らせてみることを試みます。
すると、電車が揺れるのに合わせて、ウ~ッスラ、いわゆる一般的な「急所」を外した箇所を触ってるようでした。
これはアカンと思いつつも、浅はかかもしれませんが、「騒ぐほどの事」とも思えず、とりあえず乗る時間を変えました。
とにもかくにも、満員電車は「頭」が痛い事ですね。
からの~
ニルバアナ手前の禅定プロからの~
青年期のヤッカミとウップン
からの~人の不幸は蜜の味
ドアには
さして意味も価値もナッシンgoo。
来週、とうとう最終回‼
ヒキツル
いや
(`;ω;´)ツッパル
と、
誰も助けようとしない「観客」たち。
一種のイジメの構図?
冷静に見ると、笑えない。
もう師走ですもんね。
そりゃお坊さんも電車で走るわけだ(関係ない)
僧形で乗られたんだと思いますが、
満員電車に揺られる僧侶というのも
シュールな光景に思えます。
リーゼントがドアに挟まった姿は
もっとシュールですけど(笑)
そりゃ、南さんにもある普通の人間らしい一面、とか…。難しいことは考えずにたまには笑わせて貰います。
「らしくなれない」筈ですけどね。
南さんみたいな大きな?人、しかも僧侶から、すぐ横でガン見されたら、通常は眠れないでしょうが、そこは「プロ」として違うのでしょうね。
南師のデッチあげ妄想だよ。
ニルバーナより上の5つの禅定
みたいな話なんだよ。
「途中から」気づいたもんね‼
あっかん
べろべろ~ダ(σ`👅´×)
「異なる個性を認め合うには何が必要か?」
「自分の人生を愛する方法とは?」といったさまざまなテーマを、克明な人物描写、心理描写を通して見事に描き出した作品。
<小学校5年生の頃から「赤毛のアン」を愛読してきた脳科学者の茂木健一郎さんは、この作品が巷間いわれているような単なる「児童文学」などではなく、人生の本質を見事にとらえた洞察を読み取ることができる、大人にこそ読んでほしい作品だという。
生きていく上で「真摯な自分」をいかにして貫くのか、偶然の出会いをどう活かすのか、今までの世界観を変えるような出来事をどう受け入れ自分を変えていくのか、個性をどのように育み尊重していけばよいのか……といった人間誰しもがぶつかる問題を、あらためて深く考えさせてくれる作品が「赤毛のアン」なのである。
茂木さんにモンゴメリの最高傑作「赤毛のアン」を新しい視点から読み解いてもらい、「欠点だらけの自分の人生を愛するためには何が必要か」「人はどうしたら幸福になれるか」といった普遍的な問題を考えていく。>
100分de名著
見逃したー😞⤵⤵
チューチューブでも見れる様ですよ
チューチューブで、見れる様です。
何故か講師は、ひろ氏です。
本人にとってはまさに、安らぎと災いのドアですね。見ていた南さんには、思いでに残る出来事だったんでしょう。今年も残すところ後わずか、来年のトビラまで後少しです。
そのドアが安らぎとなるか災いとなるかはワタシたちしだい、、。
さあ
どこでもドアを出して
ドラえもん
安らぎの人は災いとなり
災いの人は安らぎを得る
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
www.zen-essay.com/entry/syoakumakusa
さて、
リーゼント頭は「悪」なのか?
井上元死刑囚は16歳で入信し、1995年5月に逮捕された。地下鉄サリンなどの事件に関与したとして、2010年に死刑が確定した。
門田氏は、400字詰め原稿用紙5000枚を超える手記と、約600枚の父親(81)の回想録を基に、ノンフィクション作品を執筆。元代表松本智津夫元死刑囚=同(63)=に魅せられ、疑問を抱きつつも離れられなかった姿を浮き彫りにした。
「グル(松本元死刑囚)の意思がすべて」「松本氏の支配から逃れる唯一の方法は、松本氏を殺す以外あり得ない」「グルを殺せば無間地獄に落ちてしまう、グルを裏切るわけにはいかない」。手記には葛藤がにじむ。
門田氏は「事件で苦悩し、償いの気持ちを持ち続けた加害者の姿を知ってほしい」と話す。
作品のタイトルは
「オウム死刑囚 魂の遍歴」
(PHP研究所)
副題は、井上元死刑囚が拘置所で言い続けた「すべての罪はわが身にあり」とした。13日に発売される。>
洗脳という狂気。
しかし、この変更こそが決定的だったのでしょう。」
オウム教とブッダ教は、質の違いから差があることでしょうが、師に疑問を抱きながらも追従し、離れられなかった弟子とは?
その葛藤の裏には、「嘘と交換」や「競争と取引」などが、思考にガッチリと刷り込まれていたからなのでしょうね。
その無変更こそが、彼らの行く末として、決定的なものとなったのでしょう。
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/7252faf24a3139e6903d8708af761875
要注意
解毒剤とは、サリンではありません
「私(当時、ほぼ引きこもり状態)」は、
想定外の展開に一挙にテンションが高まり、「実に快哉を叫びたい気分」でした。
…こういう記憶がいくつかあると、「しばし辛いことが続いた」とき、少しラクになるものです。』
当時、どんな本を読んでいたのですか?
他人のことで、自分がラクになるのですか?
そして、他人が困っているのに、なぜ「喜び」になるのだろうか?
1937年12月21日
(南京陥落後、9日も経ち、完全に制圧状態)
東史郎の戦友(仮名:西本)が、南京市内で「占領下監視の巡回任務中」に、
中国人を(中国製の大きな)郵便袋に入れて、ガソリンをかけて火を点け、
熱くて転げまわっているのを、冷ましてやると言って
(中国製の)手榴弾を結びつけてから池に放り込んだ。手榴弾が爆発し中国人は殺された。
これは暇であり、娯楽のために、した。
周りの戦友もこれを見ていて止めなかった。
(東史郎自身も止めなかった。日記に記録したが)
一緒に面白がる戦友もいた。
他人が死にそうに困っているのが、なぜ楽しくなるのか?
戦争中だからなのだろうか?
日本に戻ってくれば、普通の「良い日本人」なのに。
自分も、その場に立たされたら、どう行動するか?止めないで只見ていただろう。と思う。
それだけ、日本兵は過酷な状況に置かれていた。
あさって、今週の木曜日、「12月13日」は、
南京陥落の日。
この日から、6週間、南京大虐殺が行われた。
東京裁判では、事実認定で20万人虐殺と判決を下した。
サンフランシスコ講和条約で、日本は東京裁判の判決を受け入れると、世界に約束した。
また、リーゼントがドアに挟まれたら、どうしますか?
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/b83a7fb7ab53aa7fd9a24d23c6a51090
とりあえず、車掌さんに連絡して下さい。誰かの苦が、自分のラクであっては、虐待と変わらないでしょうから。。
補足:
「ドアのギリギリに立つな‼」
行為に同情はしないけどさ。
苦楽の根拠も似たようなもんか。
逆もまた然り。
宗教は、それを我々に示し、自覚するものでなくてはならないものであろう。
悪人以外いないんだよ。
だって、そうでしょ?
悟っていないんだから。
ねえ、高橋さん。
いえいえ、
他力本願しなくっちゃ!
ダメですか?
リーゼント頭を見かけたら
合掌します
(‐人‐)
100分de名著『エチカ』
今日は「本質」の放送予定だけど
ないの?
リーゼントを思い出すでしょうか
出さないでしょうか。
さあどっち?
出したらホンモノ。
こういう気分になることは誰にでもあるし、このようなことを話してくださることに誠実さを感じさえする。
むしろ、このようなことを否定したり、自身の内にも同じような気分があることを観なかったり隠したりする人は逆に信用ならないよ、私は。
それは、面倒であり、自分は無垢な存在と思ってたり、「空虚」があると思うんです。
現実や生身を忘却してしまっている状態だと思うんですね。
いや、その種を否定してしまっているんですよね。
むしろ、このようなことを否定したり、自身の内にも同じような気分があることを観なかったり隠したりする人は逆に信用ならないよ、私は。
誰にでも「ある事」として、そこを「ラク」とか「ありがとう」で締めてよいのか?という「問い」は、残されている。
<このドアと自意識と睡眠行為の致命的な相関性が、禅定において体験的に実証されるとき、ドア作用によって、何ものかを実体視すること(無明)の錯誤が、発見されるわけです。>
つくづく人間って
無明だニャ~🙀
これを
若かりし南君の欲望と矛盾として
「羨むべきカップル」の「気持ち悪い別れ」、とも言い換えられますかね。
還暦を迎えられた今なお、淡い思い出に浸れるとは、アーチストのようでもあり、小生意気な思春期少年のようでもあり、恋するお爺さんが見せる可愛らしさのようでもありますかね。
絶望的な言葉の方が、心に沁みる人もいる、というのが主旨のようです。
例えば
「明けない夜もある。」
「無能、あらゆる点で、しかも完璧に。」
僭越ながら
南さんの得意分野かな、と思った次第でした。
「憎むべき希望」と「羨むべき絶望」みたいな感じだと思うよ。
はぐれ禅僧純情派
「人生に絶望したっ!!」それが彼の求道の始まりであった。
彼には「孤独」の二文字がよく似合う。
「一人道をゆけ!サイのツノのように!」
普通一般的にはネガティブな意味合いで使われる言葉だけど、字面を見れば「望みを絶つ」ということだから、むしろ仏教的なんじゃない?
サトリに至れば、希望も絶望もなくなるのでだろう。
なあ、たかはし殿。
円満な御坊さんなんか不要、かも。
安らげない一年でした。
平成の締め括りですね。
どんだけ欲望なん。
ぼくにはできません。
将来にむかってつまずくこと、
これはできます。
いちばんうまくできるのは、
倒れたままでいることです。」
(フランツ・カフカ)
「快適な暮らしの中で想像力を失った人たちは、
無限の苦悩というものを認めようとはしない。
でも、ある、あるんだ!
どんな慰めも恥ずべきものでしかなく、
絶望が義務であるような場合が。」
(ゲーテ)
「人間には不幸か、貧乏か、病気が必要だ。
でないと人間はすぐに思いあがる。」
(ツルゲーゲフ)
「人間が人間に対し卑屈になる。
僕はそれが苦痛なのだ。
すぐれた人間の大きな特徴は不幸で、
苦しい境遇にじっと耐え忍ぶこと。」
(ベートーヴェン)
感情が起こったときに『どのように振る舞うのか』が
大事なのであって、感情が起こる事自体を否定するのは
無理がありますろう。
だから「怒るな」「怒っちゃダメ」という言い方は良くない。
感情自体を否定するように受け取ってしまう。
心理学者が心を風船に喩えますが、
これは分かりやすいと思います。
風船を押さえ込めば、別の方向に膨らむ。
下手をすれば、はぜる。
感情を無理に押さえ込んでも同じでしょう。
記事の若かりし南さんも
『快哉を叫びたい気分』だが、叫んでいない。
『噴き出しそう』だが、堪えていたのでしょう。
多少顔には出てたのかもしれませんが(笑)
笑いを押さえ込んで、オナラが出たことがあります。
結局、笑う事態という。。
変に深刻にならずツッパリを見守るクスクス笑いって本当に穏やかでいいね。
「挟まれてナンボや」と。
ニカッ😁
「開かないドアもある!」
高橋くん
「飽きないサトリもある!」
南くん
「笑いが止まらない夜もある!」
これって、
ヤバくない?
「南京大虐殺の被害者の証言」を、12月12日の夜に、
「東京の水道橋駅の近くの会場」で聞いた。
1937年から、81年も経つが、
殺害された一家の悲劇(6人が皆殺し状態)と、
かろうじて生き残った幼児の「両親のいない過酷な」その後の人生を、
一時間以上も、中国語の通訳を通じて、教えられた。
つくづく被害者の立場に、立つことは困難であると感じた。
被害にあった「リーゼント男」の心境を考えることができるのか?
笑い飛ばすだけなのか?
「当時、ほぼ引きこもり状態」から抜け出した南師も、
現在でも、同じ行動をとるのだろうか?
(皆殺しを命令された日本兵自身も、或る意味で、被害者である。それは日本側が証言し続ける必要がある。と思っている。)
しょうがない、しょうがない。
治す方法ないの?
あるにはあるが・・・
なになに?
死ななきゃ治らない、、
かも?
完全なら恐らく、カップルが何を言おうがしようが、禅定状態でしょうから、笑う余裕などもない事でしょう。
引きこもりの定義が不明ですが、家から一歩も出ない人の事なら、人のいる電車など乗れる筈もありません。
安心した。南さんはターミネーターじゃなかったんだ!
踊ってます💃🎶✨
大好きです!
あと、ずっとオカッパだった従兄が、モヒカンにした時も。
いずれも特に、流行っていた訳でもないのです。何か無性に、変身したくなったのでしょうかね。幸い、どちらも短い期間で済みましたけど。
フンだ!どーせ、あたしゃ禿げですヨ。嗚呼、諸行無情!!
髪なんか無いに越したことないんじゃ
ほれ、其処の和尚さんを見てごらんよ
髪はな、長い友達なんかじゃないんじゃ
煩悩の塊なんじゃよ、災いの元なんじゃ
わかったか、トンガリ頭
わしゃあ、侍のチョンマゲに憧れてたでな
婆さんがよ、喧しいから実行できねがよ、行き付けのスナックではな、チョンマゲのカツラ拵えてよ、被ってんだぁ
へへ、内緒にしといてな
やる気も無エ 根性も無エ
学歴以外はなんにも無エ
節操も無エ 出世も無エ
上司にゃいつもペーコペコ
朝起ぎで 会社行き
二時間ちょっとの通勤ラッシュ
常識無エ しつけも無エ
英語もさっぱりしゃべれ無エ
俺らこんな国いやだ 俺らこんな国いやだ
アメリカ出るだ アメリカ出だなら
銭コア貯めで テキサスで牛飼うだ
ハァ
考えねエ 独創無エ
生まれてこのかた 見だごとア無エ
科学も無エ モラルも無エ
西洋文化の輸入品
あんちゃんと ねえちゃんは
平和ボケして緊張無エ
プライド無エ 恥知ら無エ
ちまたで流行るの パクリだけ
俺らこんな国いやだ 俺らこんな国いやだ
アメリカ出るだ アメリカ出だなら
銭コア貯めで テキサスで馬乗るだ
ハァ
政治も無エ 理念も無エ
構造改革聞き飽きた!
政党は あるけれど
仕事をするの見だごとア無エ
仕事も無エ 小遣い無エ
たまに来るのは請求書
将来無エ ある訳無エ
俺らの国には未来が無エ
俺らこんな国いやだ 俺らこんな国いやだ
アメリカ出るだ アメリカ出だなら
銭コア貯めで テキサスに土地買うだ
初めてラジオで聞いた衝撃
https://m.youtube.com/watch?v=UzRVEQDxiOo
https://m.youtube.com/watch?v=vC_HOO6_KNU
https://m.youtube.com/watch?v=cJxuj5O4hF4
ですが、鶴田浩二の「傷だらけの人生」や、ガロの「学生街の喫茶店」、子門真人の「およげ!たいやきくん」が似合いますかね?
かぐや姫の「神田川」は、コッソリ憧れるタイプですかね。
https://m.youtube.com/watch?v=-QK3LygNzSA
「(行って来まーす)
今日も元気に ドカンをきめたら
ヨーラン背負って リーゼント
ツッパリ High School Rock'n Roll
ツッパリ High School Rock'n Roll
ソリも入れたし 弁当も持ったし」
スゴい歌詞なので、一応。
今日は最終回
https://m.youtube.com/watch?v=ZJF0Eux8N4w
元祖
https://m.youtube.com/watch?v=frC94k58Hvo
男の勲章 - 島大輔
もしかして南さん、観てます?
何から何まで 真っ暗闇よ
すじの通らぬ ことばかり
右を向いても 左を見ても
ばかと阿呆の からみあい
どこに男の 夢がある
「好いた惚れたとけだものごっこが まかり通る世の中でございます。 好いた惚れたは、もともと心が決めるもの…
こんなことを申し上げる私も やっぱり古い人間でござんしょうかね。」
ひとつの心に 重なる心
それが恋なら それもよし
しょせんこの世は 男と女
意地に裂かれる 恋もあり
夢に消される 意地もある
「なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが そういう私も日陰育ちのひねくれ者、 お天道様に背中を向けて歩く…馬鹿な人間でございます。」
真っ平ご免と 大手を振って
歩きたいけど 歩けない
嫌だ嫌です お天道様よ
日陰育ちの 泣きどころ
明るすぎます 俺らには >
右も左も真っ暗闇
上と下は?
そう考えると、リーゼントするくらいの若者の方が、健全のように見えますかね。
確かに電車仮眠のプロですね(笑)
睡眠と食事は体調管理にとても大切なことです。
通勤電車中でスマホのゲームをしている方をよく見かけますが、もしかしたら「心」を管理をしているのかもしれません。
耐えるしかない過剰なストレスをゲームでやり過ごす方は案外多いようです。
心の管理方法はひとそれぞれでしょうが、黙々とゲームすることは悪いことではないでしょう。
心の管理を他に求め過ぎるとかえってこじれることも多いようです。
『こういう記憶がいくつかあると、しばし辛いことが続いたとき、少しラクになるものです。 ありがとう! リーゼント男!!』
辛いときは「今の状態が固定されている」と錯覚してしまうことがあります。
「笑える状態」にすることは、心がほぐれて余裕を作り出すことができて良いことなのではないでしょうか。
なので、南さんは僧侶である事を忘れる瞬間、僧侶である前にご自分も1人の人間だと思う瞬間はないのかなと思っていました。
今回の記事は少しはそんな時もあるのか?そうではなくてもっと深い意味があるのか?と考えましたが…。
https://m.youtube.com/watch?v=gplh7VWmsng
心を閉ざしたリンは、喋れるのか⁉
https://m.youtube.com/watch?v=N6cLZLq_G44
おまえはもう死んでいる!!
ゥアチャー!
たった一つの勲章だって
この胸に信じて生きてきた
泣きたくなるような つらい時もあるけど
いつも俺たち がんばってきた
時の重さに流されそうになった時でも
歯をくいしばりたえてきた
ガキのころ 路地裏で見た 夜空にキラめいた
流れる星を見て 誓った思いを忘れちゃいないぜ
氷のように 冷たい 世間の壁が
いつもさえぎる 俺達の前を
胸にえがいた この夢は ハンパじゃないから
かじかむこの手 にぎりしめ
ガキのころ 赤トンボ 追いかけてた時の
燃えてた瞳は 今でも俺達忘れちゃいないぜ
つっぱることが男の
たった一つの勲章だって
この胸に信じて生きてきた」
ツッパリとは?
泣かないこと。
でも、泣いてもOKだよ。
それで生きてる勲章あげる。
この言葉は、波乱の人生を歩んだ油屋熊八の言葉と言われている。そんな油屋熊八をモデルにした、喜劇『別府温泉狂騒曲「喜劇 地獄めぐり ~生きてるだけで丸もうけ~」』という作品もある。
また、笑福亭松之助師匠がよく言っていたらしく、明石家さんまの座右の銘として知られる事になった。
さんまの実母は3歳のころに亡くなっており、その後父が再婚したが、継母から辛らつな言葉を多く投げかれられたという。
継母は、ほとんどさんまを完全無視し、連れ子である弟ばかり愛し続けたという。それでもさんまは継母と仲良くしてもらおう、反応してもらおうと毎日毎日必死で面白いことを考えた。そんな「家でも外でも、起きてる間は常におもしろいことを考え続ける」という幼少期の経験が、今のさんまのルーツになっているのかも知れない。
それでも弟となる継母の連れ子(弟)は、兄であるさんまを尊敬し、そしてさんまも弟のことを「チビ」と呼び、本当にかわいがっていたという。
「さんまさんって、育ちが不幸だったんじゃないかと思うんです。やっぱり、生きてるだけでまるもうけ、という名前を、子どもにつけるような人ですもの」糸井重里
しかしさんまが芸能界に入り「オレたちひょうきん族」などの冠番組を持つほどになったある時に、弟が実家の火事で亡くなってしまった。
このとき弟さんはまだ19歳でした。
弟の死を受けて、「チビ(弟)のほうがすごいんですよ。サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに。まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……」と、ショックを隠しきれずにいたさんま。
さらに焼死を聞きつけ集まったマスコミに対し、無表情で「僕じゃなくて本当によかったですね、僕だったら新聞の一面は『さんま焼ける』になりますよね」と言い放った。さんまは、肉親の死すら飯の種にしようとするマスコミに対し、自分流の意趣返しを行ったのだ。
「あの事故」が生と死を考えるきっかけに。
1995年、日本航空123便墜落事故。
明石家さんまは、あの日本航空123便墜落事故で、死んでいたはずだったという。
「オレたちひょうきん族」の収録が早く終わったことから、日本航空123便をキャンセルし、一つ前の飛行機に搭乗していた。
「日航123便は、この『ヤングタウン』に出演するための移動手段として、私もよく利用していたんですよ。今日も123便を利用する予定でした。身体がずっと震えています。もしかしたら、私も死ぬところだったかもしれない。」
「俺は、幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いてる人を笑わせて幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や。」
明石家さんま
というインタビュアーの質問に、明石家さんまさんはこう答えています。
「ないないない。人に対して嫉妬心がないから。自分も過信してないし。なんやねんこいつと思うことはあるけど、すぐ『こいつアホやねんな』と思う。人に腹立たす奴ってアホ。人に怒らす奴ってアホ。」
<そう思えば、人に腹が立たない?>
「立たない立たない。腹を立てる器でもない。そんなに偉くない。腹立って怒りたい人は偉いと思っているんじゃないの、自分のこと。」
「おまえは本当、自分のウマさにつまずくタイプやろね。得意なものにつまずくからなぁ、全員。」
「俺は落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん。」
「落ち込みやすい体質とは、感謝の足りない姿勢が原因。」
究極の前向き?
「死と同じように避けられないものがある。
それは生きることだ。」
チャップリン
欲望があるから、
バラはバラらしく咲き、
岩は岩でありたいと頑張っている。
私は庶民の味方だ。
そういう人間なんだ。」 チャップリン
だけど、バラにも岩にも、それ以上それ以下の欲望も、支配欲もない。
それは生きることだ。」
単純に言うなら、死ねば生きることは避けられますから、生きる事への困難さが滲み出てきますね。
前に話があったかもしれませんが、精進料理は身体にいいから、しんどいことがある方には、(自然治癒力を意識する気持ちで)食事に気をつけることをおすすめしてほしいです。和食や菜食みたいなこと。より頑張れる人は、「食を楽しみにしない」ということがキーワードみたいです。食べ物はエネルギー源というだけでなく、身体の一部になります。
今年はたくさんの地震がありました。日本の地震について、活動期という説があるそうです。もう少しこのことについて冷静に考えなくていいんだろうか。
直哉さんにも届きますように。菜食も頑張ってほしいです。ほんとは天台座主や他のお坊さんとも話してほしいです。本や形式に縛られすぎているような気がします。
お坊さんのことが好きな人は多くて、最後に頼るという人は多いから、直哉さんみたいな、知恩院のお坊さんみたいなお坊さんが増えてほしいです。
リンクがあるなら、紹介お願いします。
菜食といっても、各地で自然災害が相次ぎ、ずっと野菜も高騰していましたね。今は少し下がりましたけど、貧困者には、和食が行き届かない現状もありますよね。
マイナンバーという個人情報に、慎重にならないといけない制度を、外部委託し、その業者が無許可で別業者に丸投げし、漏洩も発覚しましたね。そんな体制で、強制的な「登録」を進めるべきではないでしょうね。
そして話も終わり、帰り際に袋を渡されました。御礼を言って別れ、袋の中を見ると何故かタマネギが1個だけ入っていました。
すぐに旦那は眠ってしまったので、後で起きた時に、その袋を渡しました。すると突然、キャッキャと笑い出しました。何故おかしいのかと聞いても、答えてくれませんので、謎のままとなりました。
暫くして、その友達と再会し、引っ掛かっていたタマネギの真相を聞くと、タマネギ会というものに入会していたようです。
私は帰って、食事の準備を始めました。タマネギを微塵切りにしていると、泣き笑いが止まらなくなりました。
こんな記憶でも宜しいのでしょうか。
音楽などは、当時の記憶や感情を思い起こします。
自分では南さんを非難したつもりはさらさらなかったつもりの軽口だが、南さんの大ファンである妻の癇に障ったらしい。「人間ができていないから」というのは事実なので、一言も返す言葉がなかった。
まさかね。。
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/be7fefdf45ab70e36767eca2df442113
「監院(かんにん)」
https://m.youtube.com/watch?v=bnXJg5Oj7sM
堪忍して下され
災い→情熱
なのでしょうか?
https://m.youtube.com/watch?v=UKGMQP10MtI
『五蘊非我』
https://m.youtube.com/watch?v=evIfrCtIbk8
リーゼント→娯楽兼災い
修行→娯楽兼安らぎ
なのでしょうか?
以前は、よくある現象でしたが、タマに、自己を忘るるようになってから、あまり起こらなくなりました。
不感症なのかボケなのかは、不明です。
https://m.youtube.com/watch?v=2eZ9OFbEoAs
サンキュー‼ 坊主頭!!
立ったまま眠ってる、でも、車内アナウンスにも気づいている、ということだろうか。
脳が、半分寝てるということか。
イルカは寝ながら泳ぐ、という話を聞いたことがあるような。
それは、覚めているが、周囲の騒音に気付かない、という禅定の逆かも。
あるいは、何分後に目を覚ますか決めてから眠りについて、正確にその通りに目を覚ます、ということだろうか。
滅尽定に入る前に、予め禅定から出る日時を決めて、その通りに実行されるということのように。
体内時計ということだろうか。
>「憎むべきカップル」
せめて映画のシーンのような美男美女なら、まあなんとか。
そうじゃない人ほど、人前でイチャつく気がしますね。
普段は、その容姿ゆえに注目を浴びることが無くて、自分に恋人が出来るかどうかが心配だったから、恋仲になった嬉しさで見せびらかしたくなるのだろうか。
それだけに、それを見せられることによる苛立ちも増しますね。
まあ、自分が失敗して落ち込んだ時の慰めになりそうですね。
小学四年生ぐらいの時、クラスの可愛い女子が授業中にオシッコ漏らしたことを思い出してしまいました。
その女の子は、素早く冷静にモップで床を拭いたのが印象的で、それ故に誰もそれに突っ込めなかった記憶があります。
あれが可愛くない女子だったら、どうなってただろうか、なんてことも考えてしまいました。