恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

こまった性癖

2022年11月01日 | 日記
 この世に誰も死んだ人はいない。自分も死んだことはない。それでも我々は死ぬと確信していて、しかもそれがどのような出来事なのか、一切知らない。ただ、「死」という言葉はある。全く無内容な観念として。

 誰でも使う「私」と言う言葉は、特定の存在の形式を意味していて、それ自体は観念である。ただ、出来事としての「私」は、他の何事とも違う様態をしている。

 この出来事としての「私」は、あらゆるものが「ある」「ない」ことを成り立たせているのであって、その「ある」「ない」で「私」を語ることはできない。
「○○がある」「○○がない」を成り立たせていること、それ自体は「ある」のでも「ない」のでもない。

「死」も「ある」「ない」で語る範疇に無い。絶対にわからないものの「ある」「なし」が、わかるわけがない。

 にもかかわらず、我々は「死」も「私」も止めどなく語る。そして、何事かを理解していると、誤解している。とりあえず、その誤解を理解に錯覚しておかないと耐えられない。

・・・というようなことを考えて歩いていたら、待ち合わせていた人に全く気付かず、目の前をそのまま通過して、後で叱られました。

 徒歩、自動車、列車、飛行機を問わず、体が移動し始めると、どこかのスイッチが入って、頭が勝手に要らぬことを考え出す。どうしても改まらない私の性癖です。