恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

方法主義「真理」論

2013年05月30日 | インポート

 「真理」そのもの、「事実」それ自体などというものは、存在しません。存在するのは、「真理だと思ったこと」「事実として認めたこと」です(何であれ人間の頭で理解できる言葉で表示するしかない以上、そうなるでしょう)。

 ならば、「真理」や「事実」を語るということは、どうしてそう思ったのか、いかにしてそう認識したのかを語ることでなければなりません。すなわち、いかなる方法を使用して「真理」や「事実」を構成したのかを明らかにすることが核心的な意味であるはずなのです。

 この事情は、「宗教的真理」だろうが「科学的真理」だろうが同じです。そこに至る方法が語られてはじめて、「真理性」と「事実性」が方法限定的に担保されるわけです。

 方法を語ることとは、「科学的真理」なら理論構成や実験過程などの検証、「宗教的真理」ならば超越的存在の証明や修行方法との整合性の確認などを意味するでしょうが、これは所詮、「業界」内の手続き問題に過ぎません。

  しかし、方法を考える場合より根本的に問題なのは、個々の語り方ではなく、およそ「宗教的」に、あるいは「科学的」に「真理を語る」というときの、語り口なのです。その語りは、いかなる条件下で、どのような根拠で正当化されるのかについて、語る側も聞く側も共に自覚的であるべきなのです。

  たとえば、いわゆる「暗黒物質が発見された」と発表されたとします。すると、その「発見」に至る理論的・技術的プロセスは、科学「業界」内で厳重に検証されるでしょうが、「暗黒物質が発見された」という言い方を可能にしている方法そのものが反省されることはありません。 

 「発見された」とは「見えた」のか? どういう意味で見えたのか?(見えないから「暗黒」なんだろうに)  「観測」されたのか? どうして「観測」されたとわかったのか?

 特定の物理現象が観測された以上、「暗黒物質」なるものを想定しない限り、その現象は説明できないということが、「発見」という意味なのか? それで「物質の発見」という言い方が許されるのか? 許されるなら、どうして?

 このような問いは、「科学的真理」それ自体が存在すると言い出したとたんに、封印されなければなりません。「真理」を語るという方法がどういう条件下で正当化されるのかをあれこれ議論しなければならないなら、その時点で「真理」は「仮説」に過ぎなくなってしまうからです。

 事情は、「宗教的真理」ならば尚更です。「この世の真理を悟った」と宣言する人物に、「どうやって?」と問うことはできるでしょうが、「なぜその方法で語られたことが『真理』だと言えるんですか?」と問うなら、彼が主張する「真理」をナンセンスにするでしょう。なぜなら、彼はまさにこの疑問を持たないようにしているからこそ、「悟った」と宣言できるからです。

 だとすると、竜樹の『中論』が、人間が言葉でものを語る方法について、あれほどまでに厳密に検討し批判するのは、「空」の立場からいって、実に当然でしょう。

 

 


罰当たり問答

2013年05月20日 | インポート

「後期」になっていよいよ元気な高齢者と、最近疲れ気味の住職の会話。

「和尚、あの世ってあるのかね?」

「へえ、いよいよ檀那も心配になってきたか」

「そういうわけでもないけどさ、あんたはホントのところ、どう思っているのかと、ちょっと思ってさ」

「あー、だいじょうぶ、檀那はだいじょうぶ」

「なにそれ? えらく簡単だね」

「だって檀那、いままで生きてきて、他人と比べて特に善いことも悪いこともしてないでしょ。人並みでしょ」

「うん、まあ」

「だったら、死んだ後何が起きても、その他大勢と一緒だからだいじょうぶ。あの世があれば、そこに親兄弟や友達のほとんどがいるよ。みんなと一緒なら地獄も極楽もこの世と変わらないさ。あの世がないなら、ぜんぶ終わり、それまででしょ。心配はムダ」

「あんたねぇ・・・」

「でも、そうでしょ」

「そんなこと言うけど、和尚、やっぱり信心とか持ってるかどうかも、大事なんじゃないの? あんた、そういうこと教える立場でしょう」

「檀那、それ、生きている間に信心していたほうが、死んだ後、しないより結構なところに行けるとか、そういうこと?」

「まあ、そんなようなこと」

「あのねえ、人の信心に応じて待遇を変える神様仏様なら、要は取り引きする神様仏様でしょ。それじゃあ選挙の票と引き換えに利益誘導する政治家と一緒じゃん。だったら、この世もあの世も同じ。あの世でも工夫次第で、いくらでも取り引きのしようがあるさ」

「和尚、あんた、ふだんそんな罰当たりなこと考えてんの?」

「檀那、そういうけどねえ、この世であの世のことをアレコレ言っていることにかけては、『信心深い』神父や和尚の話も、オレの言い草も変わらないぜ。あっちが信心なら、こっちの言い草も信心さ。罰当たりなら、あっちもこっちも罰当たり」

「よく言うよ」

「罰当たりも信心のうち、さ」


開山しました

2013年05月10日 | インポート

Photo_3 5月 1日、例年通り、恐山は開山の日を迎えました。

 しかし! 今年は寒い!! 写真は1日午前の境内です。地蔵殿から見た参道。人はまばら。さもありなん。未明には薄氷が張り、朝から雨のうえ、昼までは時おり雪が混じるという天気。

 いつもなら、もうちらほら咲いているはずの、境内唯一の桜のつぼみは固いままでした。このPhoto_4 天気が4日まで続き、晴れたのはようやく5日。

 左下の写真は、恐山ではなく、むつ市内の恐山本坊円通寺の桜です。建物は山門。ようやく咲き出した、6日早朝です。

 以下は、今年初めの法要で、参拝の方々にさせていただいた挨拶です。

 皆様、本日はかくもお寒い中、ようこそ恐山開山の日にお参りをいただきました。いかに下北半島とは申せ、これほど寒い開山日は、私も院代として経験がありません。どうかお風邪など召さないように、くれぐれもご用心をお願いいたします。

 さて、このような陽気にもかかわらず、わざわざお時間を割いて、皆様がご家族の幸せを祈り、お身内やご先祖様のご供養にお参り下さったお姿を拝見して、私にはいささか感慨がございます。 

 Photo_5 恐山は昨年、宇曾利山湖のほとりに、新たなお地蔵様をお迎えいたしました。東日本大震災の犠牲となった方々を追悼供養するための菩薩様でございます。

 このお地蔵様の両側には、ご焼香のかわりに鳴らしていただこうと、鐘を二つ設置しました。むかって右は「鎮魂の鐘」、左は「希望の鐘」と名づけられています。

 いま、このお地蔵様を拝んで「鎮魂」というとき、そしてそれが「希望」につながるとするなら、この「鎮魂」の根底には、亡くなっていった人々が、我々に何を遺そうとしたのか、何を託そうとしたのかを想うことが大切ではないか、と私は感じるのです。

 そして、もしこのような「鎮魂」を踏まえて「希望」をいうなら、いずれ必ず死ぬ我々は、次の世代に託すに足る何を遺そうとするのか、深く顧みる必要があるでしょう。

 私たちが供養に心を尽くし祈りの誠をささげるとき、その想いが、それぞれの身内からさらに、過去と未来と他者へと連なっていくことで、ますます仏さまのお心にかなうのではないでしょうか。

 震災に傷ついた我々の国と社会は、その大きなダメージを抱えながら、それを深く味わい考える間もなく、どこかに向かって走り出そうとしているのように見えます。

 今日皆様が日常の時間をしばし中断して恐山にお参りに下さったように、この国も一度立ち止まり、過去と未来と他国へと自らを切り開く中で、震災という未曾有の出来事の意味をつくづくと考え直したほうがよいのではないか。私はいま、そう思われてなりません。

 皆様、本日はお参り、まことにお疲れさまでございました。