恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

ずっと前から、もっと遠くから

2010年01月30日 | インポート

 今と先(さっき)には何も違いは無く、昨日と今日にもほとんど変わりは無く、おそらく今から一週間後も似たようなもので、一ヵ月後もほぼ同じで、一年後も大体予想できる・・・・というのが、我々の日常というものでしょう。「日常」とは、要するにそういうことです。

 おそらく、人々の生活や人生の在り様を決定的に変えてしまうようなものは、「日常」の彼方、ずっと前から、もっと遠くで始まるのです。その始まりは誰も気がつきません。何かが起こった後に、歓喜や衝撃や悔恨の中で、我々がそれを顧みたとき、「ああ、あれが始まりだった」と考えるだけでしょう。

 どれだけ目を見開き、耳を澄まそうと、本当の始まりは我々にはわからないのです。それでもなお、目を凝らし耳を傾けようとする者がいるなら、彼らにはゆっくり静かに近づいてくる何ものかの気配が感じられるでしょう。

 しかし、その気配を感じ取ることは、しばしば不愉快で面倒なことです。それは自分には「気にしすぎ」「ただの心配性」と思われ、人からは「余計なお世話」「杞憂」と嫌われかねません。我々はみな、その「日常」が「満足」とともにあろうと、「不満」とともにあろうと、あるいは「希望」に導かれようと、「絶望」にとりつかれていようと、とりあえずそれが「同じように」続いていくことを望むか、続いていることを前提に、生きているわけです。 

 このとき、「日常」にだけ自らの関心を注ぎ、その外側から近づくものの気配を一切遮断してしまう人がいるとするなら、彼の「日常」はまったく安定し、極端に脆くなるでしょう。薄っすらとした不安に覆われた、間延びした安らぎがあるでしょう。

 私は、彼の「日常」を悪いとは思いません。これは善悪の問題ではないのです。ただ、私自身は、思い出す限り、ほとんど記憶の最初から、こういう「日常」が怖いのです。

 この怖さは、人生では喜びも苦しみも長くは続かない、という意味ではありません。喜怒哀楽がどう「日常」を彩ろうと、「毎日」を「常」として仕立てているものが、私には理解できず信用できないのです。

 私はときどき他人から、「エキセントリック」だ、「露悪的」だ、「非常識」だと言われてきましたが、その根にはこの恐怖があるのだと思います。つまり、何かがすでに起きていて、それは自分を破壊的に変えてしまうものなのに、今まるで正体がわからないという感覚が、自己と世界の在り様を過度に疑うようにさせている気がするわけです。

「無常」という言葉に私が与えている内実は、すでに何度も書いたり言ったりしてきた「自己であることの根拠に関する不安」と、この正体不明の「日常が何気なく続いていくことの恐怖」だろうと思います。

  私にとってブッダとは、この不安と恐怖を「はっきり見ろ!」と言った人です。それは事の「解決」ではなくても、やりすごすのに必要な「方法」でした。

 この「方法」になじむ以前、主にまあ、学生時代の私は、傍目から見ればいわゆる「ノイローゼ」状態だったのでしょう。そう言ってからこう言うのも憚られますが、おそらく他にも似たような感覚を持つ人が大勢いるだろうと、実は期待しています。

追記:次回の講義「仏教・私流」は2月15日((月)午後6時半より、東京・赤坂の豊川稲荷別院にて行います。


輪廻と業と因果、そして善悪

2010年01月21日 | インポート

 仏教で語られる教説に「輪廻」があります。これは簡単に言ってしまえば、生まれ変わり死に変わりを繰り返すことです。また、どこにどのように生まれ変わるかは、生まれ変わり死に変わりする当事者の、存命中の行いの善し悪しによることになります。この「行い」の善し悪しの「結果」という部分で、「業(=行い)」の教説と結びつき、「業・輪廻説」という具合に、同じ観念として扱われることもあります。

 私が思うに、「生まれ変わり死に変わり」で「輪廻」を考えるなら、どう考えても、仏教の「無常・無我・縁起」の教説とは両立しないでしょう。なぜなら、、「生まれ変わり死に変わり」と言う以上は、それが何であれ、「生まれ変わり死に変わり」する当の何ものかの同一性を前提にしないわけにはいかないからです。

 この問題は、何も私だけが感じる矛盾ではなく、「無常・無我・縁起」説と「輪廻」説をどう折り合わせるかが、長い間(おそらく今でも)、仏教史上きわめて重要な理論的テーマであり続けました。私としては、無理に折り合いをつけるのは、止めたほうがよいと思うわけです。

 「我」すなわち「アートマン」のごとき、自己の自己性を保証する実体的観念を「輪廻」の当体として否定したとしても、かわりにたとえば「識(たとえば唯識説で説く阿頼耶識)」のようなものを設定して、その「同一性」を思考が暫定的に設定する概念にすぎないと考えるのではなく、それ自体実在するものだと考えた時点で、理論上、「我」と同じく機能することになります。

 もし「阿頼耶識」本体であろうと、そこから「生まれでた」個々の「識」であろうと、その内実が刻々と変化し、任意のある時点の前後で、いかなる同一性も一切持たないというなら、そもそも「生まれ変わり死に変わり」という観念自体が成り立ちません。川は概念的形式として「同じ川」に見えますが、流れている水は事実として同一ではありません。だから、「川が輪廻している」とは、誰も、いかにしても言えないのです。

 「輪廻」からの解脱とは、私に言わせれば、「輪廻」という観念の解体のことです。では、「業」はどうか。私は、「業」の教説は、維持されるべきだと思います。

 「業」の教説の核心は「因果」説です。その原因の部分に人間の行為を設定し、その結果として自己や世界の存在の仕方を認定する思考方法が、「業・因果」説なのです。

 ここで大事なのは、「因果」説はそれ自体に根拠を持たないということです。「因果」はそれ自体で存在する不変で絶対的な「原理」「法則」ではありません。そもそも、あらゆる「原理」「法則」は人間の頭ではそう考える、というに過ぎません。思考する意識が存在しなければ、「原理」「法則」もありません。「因果」もしかり。これは、道具を使うような意識を持つ存在が思考するとき、どうしても採用せざるを得ない方法、決定的に重要ではあるものの、要はそれこそ、単なる思考の道具です。

 大事なのは、第一に、原因があればそれに応じた結果があるという「因果」の考え方は、人間において、自己が自己として維持されるためにどうしても必要だということと、第二に、その原因ー結果関係は、それ自体で存在するのではなく、我々がみんなで信じる以外に機能しないし、それどころか存在余地も無いということです。

 どうして、必要で信じなければならないのか。この考え方なしには、仏教において、「責任」と「権利」の観念が成り立たず、つまり行為する主体の主体性が構成されず、その行為における善の肯定と悪の否定を根拠付けられないからです(「無常・無我・縁起」説と「輪廻」説を無理にでも折り合わせようと苦労し続けてきたのも、根底にこの問題があるからでしょう)。

 そこで最後の問い。仏教では「業・因果」説が、一神教などでは「神」が、いわば善悪の区別を根拠付け、善行を勤め悪行を止めるように教育し強制します。なぜか。なぜ、かくも必要とされ、必要であるにもかかわらず強制されるのか。

 「善悪」は、なぜ人間において、その内容が時(時代)と場合(社会状況)でクルクル変わるほどいい加減であるにもかかわらず、その「区別」だけはどこでもいつでも必要とされ、それを強制する観念的あるいは制度的装置が工夫され維持され続けるのか。

 私がいま、それなりに真剣に考えていることです。


年末年始のテレビから

2010年01月10日 | インポート

 昨年師匠を亡くしましたので、恐れ入りますが、年頭祝賀の辞はご遠慮申し上げ、遅ればせながら、本ブログ読者の皆様のご健康とご繁栄を祈念させていただきます。今年も何卒よろしくお願いいたします。

 さて、この年始年末、寺ではそれなりに忙しくすごしたのですが、その合間に興味深いテレビ番組を2本ほど見ました。

 私は、将棋は駒の動かし方がわかる程度、囲碁はほとんどわかりません。でずが、今回たまたま目にしたのは、その将棋と囲碁の番組だったのです。

 正月に見たのは、将棋の新春特別番組で、その番組中、現在の将棋界を代表する実力者、羽生善治名人と佐藤康光九段が、脳内将棋というのをやっていました。これは将棋盤がないままま、お互いがひたすら駒の動きを記憶しながら対局するという、プロ棋士のずば抜けた能力を遺憾なく発揮する手合いでした。

 それ自体驚きだったのですが、さらにもっと驚いたのは、局面で優勢だったらしい佐藤九段がミスを犯して突如負けてしまった、その負け方でした。彼は、すでに歩が存在していることを忘れて、その同じ列にもう一枚の歩を打つという、「二歩」を禁ずる規則に触れて、いきなり負けてしまったのです。

 一手10秒以内に打つという過酷なルールで、確か百数十手まで打ち進んだ果ての「頓死」でしたが、そのとき本当に驚いたのは、佐藤九段だけでなく羽生名人もこの「二歩」にはまったく気がついていなかったということでした。

 いかにプロとはいえ、ある種極限的な条件での対局において、ギリギリまで鎬を削りあいながら、そこに生まれ出た奇妙な一致。それは、私に棋士の能力の問題をこえて、切磋琢磨する人間関係の奥深さを、あらためて感じさせるものでした。

 もう一つは年末の囲碁の特集番組で、破天荒な私生活と創造性に満ちた発想の碁で知られた故藤沢秀行氏の追悼番組でした。そこには、お弟子さんをはじめ、ゆかりの方々が登場し、故人を偲ぶわけですが、私が非常に強い印象を受けたのは、彼のライバルと称された坂田栄男本因坊(当時)のインタビューでした。

 まず坂田氏は、藤沢氏についていきなりこう言います。

「ボクはね、秀行のね、ちょうちん持つような番組なんか出たくないんだけどね、本当は。秀行はね、無頼派の棋士という、最後の無頼派。無頼派っていうのは嫌いなの僕は、正反対だよ」

 その二人が激突した有名な勝負については、

「秀行とはね、不思議な因縁があるんだ、(昭和)38年のボクと秀行(当時名人)の大勝負だよ。勝った者はね、即日本一なんだよ。二つしかないんだから。『名人』、『本因坊』。しかも秀行とワタシは仲が悪いんだよ。これも有名だったんだ。だから、両方、舌戦の、今じゃ想像できないくらい、お互いにもうそのくらい大勝負だったんだよ」

 この対局は、後年まで語り継がれる劇的な展開の結果、坂田氏が勝利した名勝負だったのですが、それを端的に伝えたのは次の言葉です。

「考えてみるとね、あの勝負でね、やっぱり寿命縮めたね。それからは、それが最後と言ってもいいね、後で考えると、ボクが本当に碁を打てたのは。すごく心身ともに、もうガックリしちゃった、参っちゃったんだよね。勝っても」

 そして、この勝負を振り返って最後にこう言うのです。

「だから、おしまいなんだ。あれが最後なんだよ、ああいう勝負は。ああいう勝負をね、するのは僕と秀行でオワリなの」

 この言葉には「嫌いな」ライバルに対する、根本的な理解と喩えようもなく深い敬意が滲み出ています。

 私は、関係こそが存在を決定するという「縁起」論者です。その観点から言えば、人間の存在の充実は、即人間関係の充実です。そして、その充実とは、単に仲の良いことを言うのではなく、共通の課題や問題に全力で取り組むもの同士の相克の果てに、絞り出されるように生まれてくる僥倖ではないか。二つの番組を見て、そんなふうに思いました。

 だとすれば、この国の総理大臣が掲げる「友愛」なる理念も、実は居心地の良いまったりとした人間関係の中に実現するものではなく、本来は多くの葛藤と矛盾を前提とする、とてつもなく厳しい覚悟を我々に問うものなのかもしれません。