恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

トップと3番目

2018年11月30日 | 日記
 初期経典の『大般涅槃経』には、いよいよブッダがニルヴァーナに入る直前、9段階の禅定(九次第定)を上下に入出して、最後に下から4番目の禅定から完全なニルヴァーナに入ったとされています(ブッダの死)。

 下から4番目からニルヴァーナに入れるなら、その上の5つの禅定は無駄なのではないかという気がしますが、この九つの禅定に関しては、もう一つ面白いことがあります。

 経典を読むと、様々な禅定が出てきますが、ほとんどは思わせぶりな名前がついているだけか、非常に抽象的な説明があるだけで、各禅定において具体的にどのような心身状態になるのかなどは、まったく教示されていません。

 たとえば、最高位の「滅尽定」はブッダのみが到達した境地とされますが、だとすれば、それは「悟り」とか「存命中の涅槃(有余涅槃)」、あるいは「解脱」同様の状態でしょうから、これがどういう心身状態か、極めて興味深いところです。

 この疑問を考える時に参考になるのは、最高位の「滅尽定」の次、第2位の「非想非非想定」と第3位「無所有処定」の存在です。

 この2つは、ブッダが悟る前、ゴータマ・シッダッタ青年が出家後に師事した修行者二人の指導する禅定で、シッダッタ青年はたちまちその禅定をマスターしますが、その直後にこれらの禅定は「悟りにも涅槃にも導かない」と考え、あっさり捨ててしまいます。

 つまり、ブッダが捨てた禅定が仏教の禅定体系の中に取り込まれ、後世には、在家人は第2位までは到達するが、最高位の「滅尽定」は出家者しか実現できない、などと教学の中で説明されるようになります。

 面白いのは、同じ『大般涅槃経』の中に、ブッダに可能な「滅尽定」と、修行者アーラーラ・カーラーマがかつてシッダッタ青年に教えた第3位「無所有処定」を、比較していると思われる叙述があることです。

 それはこういう話です。

 ある日、アーラーラ・カーラーマが禅定に入っていると、その近くを500台の車が大音響を立てて通りすぎました。直後、男が一人、彼に近づいて言いました。

「尊い方よ、あなたは五百台の車が通りすぎたのを見ましたか?」

「見ませんでした」

「音は聞きましたか」

「聞きませんでした」

「あなたは眠っていたのですか?」

「眠ってはいません」

「では、意識をもって(覚めて)おられたのですか?」

「そのとおりです」

 これを聞いて男は、覚醒しているにもかかわらず、過ぎていく五百台の車を見ず、その音も聞かなかったという、アーラーラ・カーラーマの禅定を讃嘆します。

 アーラーマ・カーラーマの弟子からこのエピソードを聞いたブッダは、次のように言いました。

 自分はある村に滞在したとき、大嵐に遭い、雷鳴が轟き、稲妻が走り、ついに落雷して、農夫二人と牛四頭が死に、群衆が飛び出してきたが、それを見ることもなく、音も聞かなかったが、しかし眠っていたのではなくて、覚醒していたのだと。
 
 この言葉を聞いて、弟子はブッダの禅定がはるかに勝ることを知り、師を捨ててブッダに帰依したというわけです。

 経典は、二人の禅定が「滅尽定」と「無所有処定」かどうか、触れていません。しかし、もしそうでないとすると、比較自体が無意味だろうし、そもそも比較になりません。 

 この場合、エピソードを読んですぐわかるのは、2つの禅定の差はレベル(深度)の差であって、質の差ではないということです。違いは、目覚めていても見も聞きもしなかった現象の、視覚的刺激の程度や音響の強度にすぎません。質の違いではないから、9段階の禅定に序列化できたのです。

 肝心なのは、違いではなく共通性です。両者ともに「見ないし聞かないのに、眠っているのではなく、覚醒している」と言っている、そのことです。

 これはすなわち、何を「見た」か・何を「聞いた」か一切判断せずに、ただ「見えている」「聞こえている」状態、すなわち感覚機能を完全な受動態に設定したということです。それはつまり、言語の作用をギリギリにまで低減したわけです。

 すると、「私は○○を見た・聞いた」という認識の〈自己―対象〉二元構造が崩れ、自意識は溶解していきます。

 ということは、特定の身体技法(禅定・坐禅)を用いると、言語機能が停止し、自意識が溶解していくのですから、これを裏返せば、実体を錯覚させるような自意識の在り方もそれ相応の身体的行為(代表的なのは競争と取引)に規定されているということです。

 この言語と自意識と身体行為の致命的な相関性が、禅定において体験的に実証されるとき、言語作用によって何ものかを実体視すること(無明)の錯誤が発見されるわけです。

 すなわち、仏教における様々な禅定の核心的意味は、まさに禅定が無明を自覚させる最重要の方法だということであると、私は思います。


 

存在への敬虔

2018年11月20日 | 日記
 私の近著のカバー絵を提供して下さったのは、木下晋画伯です。画伯の絵を初めて見たときの衝撃は、今も忘れません。

 雑誌での連載が始まる前、

「今度の連載の挿絵に、これを使いたいんです」

 そう言って編集者が差し出した画集の表紙は、驚くべきリアリズムで描かれた合掌の鉛筆画でした。後日実物も見ましたが、絵は巨大なもので、しかもその細部にわたる描写は瞠目すべき、圧倒的な迫力でした。

 画集に掲載されている絵は、さらに衝撃的でした。どうみても80歳以上に見えるご母堂のヌード、容貌がすっかり変わってしまったハンセン病の治癒者(画伯は自身でモデルを依頼したのだそうです)、ホームレスの老人、などなど。

 どれもこれも、文字通り眼が釘付けになるような強度と密度を備えた表現です。

 私が何よりも印象深く思ったのは、モデルの皮膚への異様なこだわりでした。老いと病と疲労とを暴き出すような皮膚の精密な描きぶりは、画家の見ることへの欲望、その深淵を見る思いでした。

 ただしばらく画集を見ていたとき、ふと気がついたのは、皮膚に向けるのと同じような鋭利な視線が、モデルの眼の描写にも感じられることでした。

 皮膚を見る画家の容赦ない視線は、すでに大きな、時には極限的なダメージを負いながら、それでもなおそこに存在する人間を剥き出しにしています。

 しかし、同時に、その視線はモデルの眼によって折り返されます。見る者は見られる。自分を暴き出す視線を全身に浴びながら、彼らの視線も見る画家を暴き出す。画家はさらに、その視線さえも見ている。

 両者の視線は無限に交錯し、この「見る」「見られる」の只中に、それぞれの「存在」は開かれていきます。

 けだし、画伯の絵は、彼の見る欲望で描かれているのではなく、「存在すること」への敬虔が、画伯に描かせているのです。

幽霊と枯れ尾花

2018年11月10日 | 日記


 10月31日、今年も恐山は無事閉山の日を迎えました。ご参拝いただいた皆様、誠にありがとうございました。お疲れさまでございました。

 写真は当山御用達のカメラマンによる秋景色4点。左から、恐山街道、宇曽利山湖、山門と地蔵山、高台からの賽の河原(写真の真ん中付近に賽の河原地蔵堂)です。

 さて、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということわざがあります。恐怖心や疑いがあると、何でもないものまで恐ろしく見える、あるいは、恐ろしいと思っていたものも、正体がわかれば何でもないものだということのたとえです。

 この場合、その場にいる人には、「幽霊」とも「枯れ尾花」とも見当がつかない、いわば認識が宙吊りになる瞬間があるでしょう(「不安」という感情の領域)。それは何事かが起こっていることは意識できても、「〇〇が存在する」という認識が持てない(=言語化ができない)時間であり、存在の手前の事態です。

 この時間、あるいは事態をいかなる方法でも名指ししてはいけません。「ブラフマン」とか「タオ」とか「絶対無」とか「純粋経験」とか。それらが「ある」といってはいけないのです。

 同時に、たとえ何であれ、「ある」と言うためには、「〇〇」を必ず名指ししなければなりません。

 いや、「言葉で言えないもの」「何がなんだかわからないもの」も「ある」のだと言うなら、それは「?がある」ということに留まるのであり、それ以上でも以下でもなく、「ある」という述語にかかわる言表として無意味です(それ以外何も言えない)。

 したがって、存在手前の事態や時間を恣意的に名詞化して、次のような文脈に挿し込んではいけません(Aの位置)。

「まことに万有を生むものとしてのA自然の本性は、それら万有のうちの何ものでもないわけである。(中略)それ自体だけで唯一の形相をなすものなのである。否、むしろ無相である。(中略)否、むしろ厳密な言葉づかいをするなら、『かのもの』とも、『そのもの』とも言ってはならないことになる」

 上の文書は新プラトン主義者のプロティノスが自身の絶対理念「一者」について述べたものです。「A」には「ブラフマン」「タオ」「絶対無」「純粋経験」のいづれも代入可能でしょう。

 仏教はこの名指しと語りを禁欲するのです。そして誰かが名指しして語り出したら、それを批判し解体するのです。

 道元禅師の言う「非思量」とは、幽霊でも枯れ尾花でもない、存在の手前を露わにする行為と言えるでしょう。「ある」も「ない」も無効となり、ここにおいて「無記」を実践的に担保するわけです。