恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

お知らせなど

2007年01月27日 | インポート

「仏教・私流」について、いくつかお問い合わせをいただきましたので、重ねてご案内致します。

 まず、参加に予約は不要です。直接会場にお越し下さい。会場の大きさから言って、満員お断りということは、ありえないはずです。

 次に、「仏教・私流」は講義でして、法話でも講演・講話でもありません。たとえば、『老師と少年』に書いてあるようなことを、別のデザインで話すわけではありません。今シリーズは特に、中国の仏教思想を「私流」に解釈するものです。そのあたり、どうぞ誤解なきよう。

 もう一つ。『老師と少年』のご愛読に感謝します。この年明けに重版になりました。あれほど不親切な書きぶりの本をお読み頂いた方々、ありがとうございました。


「仏教・私流」再開します

2007年01月20日 | インポート

Mk_map  ご存知の方もおありでしょうが、恐山の院代に就任する前、私は東京・青松寺にお世話になり、とてもよい修行をさせていただきました。その当時の活動の一つとして、2004年1月から約2年をかけ、「仏教・私流」と名付けた講義を公開していました。これはゴータマ・ブッダから道元禅師までの仏教の歴史的展開を、私一人の「独断と偏見」で論じるという、いささか無謀な試みでした。

 この講義は、インド仏教のおおよそを終えた頃に、私の恐山への移動にともない、暫時休止ということにしました。その後、内々に再開の時期と場所を探っていたのですが、このたび、 「豊川稲荷東京別院」様が会場の提供をご快諾くださり、再開の目処がつきました。別院の皆様、ならびに関係各位に深く感謝申し上げます。

 つきましては、「仏教・私流 Part2」第1回を以下のとおり開催いたしますので、ここにご案内申し上げ、関心ある方々のご来場をお待ち申し上げます。

一、場所 豊川稲荷東京別院 東京都港区元赤坂1丁目4番地7号

                  (地下鉄赤坂見附駅下車・地図参照)

一、日時 2007年3月12日(月)午後6時30分より7時45分まで (予約不要)

一、受講料 無料

一、問い合わせ先(3月12日まで) 

            0175-22-1091(円通寺内・南)

「Part2」は、中国の仏教思想を中心テーマとして、原則月1回のペースで行いたいと思います。なお、会場へは、なるべく地下鉄等公共交通機関のご利用をお願いいたします。また、私が不在がちのため、電話でのお問い合わせに即答できかねることもございますので、その点、あわせてご海容のほどお願い申し上げます。


ベンチャー魂

2007年01月12日 | インポート

Photo_47  写真でおわかりのように、恐山の総門から地蔵殿に続く参道には、両側に石灯籠が立ち並んでいます。その数43。一般には、阿弥陀如来の四十八願になぞらえて、四十八灯とも言うようです。

 これらは、時代としては幕末期のもので、当時の廻船問屋や海運業関係の人たちから寄進されたものす。「北前船(きたまえぶね)」という言葉を聞いたことがありませんか。中世末ごろから江戸期を通じて栄えた日本海を往来する貿易船のことです。そのころ「蝦夷地」と呼ばれていた北海道や東北の海産物、木材、鉱物、毛皮などの物産を、東北・北陸の日本海沿岸の港を経て、今の福井県の敦賀や小浜、後には西回り航路で大阪・兵庫まで運んだのです。おそらく莫大な利益があがる貿易だったことでしょう。

 この北前船が津軽海峡を航海していくとき、目印となったのが、下北半島の中心にそびえる釜臥山(かまぶせやま)です。この山は恐山奥の院とされ、ここに鎮座する釜臥山大明神は、恐山のお釈迦様の化身とも言われています。この因縁で、恐山は航行する北前船の、いわば「守護神」としての信仰を集めたわけです。             Photo_48         

 右の写真の灯篭には、「積船 大坂松壽丸 橘屋吉五郎」と読める文字が刻んであります。他にも、「越前」あるいは「松前」など、今の福井県や北海道の地名が彫られているものあります。なかには、ひょっとしたら、商売の命運を左右するような航海をした船もあったかもしれません。

 灯篭の文字を眺めていると、当時の「ベンチャー事業」に打って出た人たちの心意気と不安が思われてきます。


あけましておめでとうございます

2007年01月03日 | インポート

 皆様よいお年をお迎えのことと存じます。今年一年、無事ご健康にお過ごしになりますよう、祈念申し上げます。 

 私の年始年末。28日に福井に帰り、5日までは滞在。年越しの準備、念頭のご祈祷。年始まわり。その他定番スケジュールに加えて、今年は28日、今日、5日と、お隣のお寺のお葬式に参列という、いきなり想定外の展開。人が亡くなるのに時と場所は選びません。お経を挙げに行ってみると、枕元に年賀状の束があったり。出した人はまさか、相手が亡くなった後とは思わなかったでしょうね。

 それにしても、一年がはやい。だんだん年齢に比例して、なんだか加速度がついてきたような気がします。以前、その話を当時90歳を過ぎた老僧にしたら、「それなら結構だ。ワシはもう速さ自体、感じない」。

 続きの会話。

私「何でこんなに日がたつのがはやいんでしょう。小さい頃は、小学校が永遠に続くのじゃないかと思うほど長かったのに」

老僧「お前、その頃、先の心配をしたか?」

「いやあ、しなかったなあ。明日の宿題や、何をして遊ぶかくらいは考えたような気がするけど」

「そうだろう。成長して先の予定を考えるようになればなるほど、時間ははやくたつ。そして先の予定が死ぬだけになれば、時間は止まる」

 この「時間は止まる」という境地、すごいな。

 ときに、恐縮ながら宣伝。昨年末、私の小論が入った本が出版されました。『現代と仏教』(佼成出版社)といいます。いま最も活躍している仏教学者の一人、末木文美士東大教授の監修で、16篇の論文を収録しています(玄侑宗久師や上田紀行氏も寄稿)。私の小論は「個の条件」と題する、中でもいささか毛色が違う代物です。これは、日本の国とか社会に関して、私がまとまった言及をしている、今のところ唯一の出版物です。関心のある方、どうぞよろしく。