恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

「外」と「非」の思考

2016年03月30日 | 日記
 ゴータマ・ブッダの語った言葉を、ある程度正確に記録すると見做されているパーリ仏典(初期経典)には、こういう話が出てきます。

 往来で強盗と殺人を繰り返していたアングリマーラという大犯罪人が、釈尊に出会って改心し、弟子になります。その後のある日、彼が托鉢に出ると、ひとりの女性が異常妊娠で苦しんでいました。

 彼は急いで取って返し、ブッダに報告すると、ブッダはこういう意味のことを彼女に言えと指示します。

「自分は生まれて以来、生き物の命を奪ったことはない。その真実にかけて、あなたとお腹の子供に幸せがあるように」、と。

 これを聞いてアングリマーラは言います。

「それじゃあ、嘘を吐くことになりませんか?」

 すると、ブッダはこう答えます。

「じゃあ、『生まれて以来』のところを『聖なる生まれに生まれて以来』(つまり、出家してブッダに帰依して以来)と言い換えなさい」

 ただちに、アングリマーラは妊婦のもとに戻って、ブッダに言われた通りのことを彼女に言うと、母子ともに安らかな出産を迎えたということです。

 この話で私が興味深く思うのは、ブッダがこの場合に嘘をついても構わないと確信していたことです。アングリマーラなんぞを弟子にしておいて、うっかりして「聖なる生まれ」と言うべきところを「生まれて以来」と言ってしまったなどということは、まずありえません。ブッダは、もしアングリマーラに問い返されなければ、そのまま嘘を吐かせたに違いないと思います。まさに「嘘も方便」でしょう。

「嘘も方便」という「方法」が使えるのは、嘘を吐いた(吐かせた)当人以外は誰も非難されず不利益を被らず、なおかつ嘘を吐かれた者に嘘の不利益を圧倒する利益がもたらされる場合でしょう。

 逆に言えば、このような場合には、嘘をいくら吐いても構わない、ということになります。これは、「倫理」や「道徳」に確実な根拠を認めて「絶対視」する立場とは違います。

 さらにもうとつ、面白いエピソード。

 ある者がブッダに、「神はいますか?」と単刀直入に質問すると、ブッダはこんなふうに答えたと言うのです。

①「道理から『神はいる』と私は知る」

②「このことは、智者によって一方的に結論されるべきである」

 ①が不思議なのは、「神」をも超える「道理」があるのに、その「道理」の説明がないことです。その上で、「いる」とは言わず、「『いる』と知る」という言い方をしています。つまり、「神」の存在は人間の認識に依存するのです。だから、②に「智者」が持ち出されてくるのです。

 ところが、この「智者」の正体にも説明がありません。注目すべきは、この②の回答の後、質問者がさらに発した問いです。

「どうして最初からそう言わないのですか?」

 すると、ブッダは驚くべき回答をします。

「『神はいる』ということは、世間で声高に同意されているものだからである」

 このパーリ文日本語訳が正確で、本当にブッダがこう発言していたとするなら、「神の存在」の根拠は、①でも②でもなく、結局「世間の同意」だ、ということでしょう。

 「道理」と「智者」が何であるか説明しない以上、それが何だかわからなくてもよいわけです。ならば、「わからない」ことは根拠になりませんから、残るのは「世間の同意」だけです。

 ということは、この言葉から察するに、我々が「自己」という様式で実存する限り、「真理(神)」と「倫理」を欲望し・要請し・前提とせざるを得ないが、無常・無我・縁起の立場においては、「真理」の非真理性を自覚し、「倫理」の倫理外領域を認識した上で、両者を注意深く取り扱うべきだ、と考えられているのでしょう。

Nさんに

2016年03月20日 | 日記
 Nさん。自分の子供をかわいいと思えない、愛していると言えないというお話を伺って、私は切ない気持ちになりました。そして驚いたのです。

 それというのも、10年くらい前から、時々そういうことを言う「お母さん」に出会っていたからです。それは、子育ての条件が厳しく親が疲弊している場合のみではなく、ずいぶん恵まれた環境にある人からも聞いたのです。ただ、その頃は、まだ特殊な事例だと思っていました。

 しかし、あなたのお話を伺って、これが決して「例外的な」事例だとは言えないのだと思い知りました。

 あなたが産科に入院してみると、同室になった女性たちが、予定日の近づくにしたがって、次から次へと夜中にベッドの中で泣くのだそうですね。訳を訊いてみると、異口同音に「子供が生まれてきても、嬉しいのかどうかどうかわからない」「こんなお母さんでごめんなさい」と嗚咽する。

 最初は不思議に思っていたあなたも、出産が間近になると彼女らの心情が身に迫り、いつのまにか泣いていたと言いました。そしていま、自分の子供を可愛く思えないと。

 私がまず心配だったのは、あなた以外の誰が、どの程度子育てに関わっているのかということでした。もしそれを全部一人で背負いこんでいるなら、その困難は「可愛がる」心の余裕を奪っていくに違いありません。

 昔、子供は親の「子宝」である以前に、ムラの「子宝」でした。親はもちろん、ムラが子供を育てたのです。重要な労働力予備軍だったからであり、世代の再生産こそムラの存続条件だからです。

 今や、家族の単位が小さくなった以上、子育ては「両親」の関わりが最低条件であり、夫婦と親子の関係の仕方を共同体(社会、あるいは国家)が規定し、共同体の存続が子育てにかかっている以上、著しく困難な子育ての状況(今や、一人親の育児、あるいは親の長時間労働が前提の子育ては、それ自体がかなりの困難を伴うでしょう)は、これを除去することこそ、親ではなく、共同体の決定的な義務のはずです。

 その上であえて言うなら、私は、親が子供を愛せなくてもかまわない、と思っています。そもそも、愛さなくてはならないという義務感で他人を愛せる人などいません。

 可愛いと思う気持ちは、子育ての原因ではなくて結果です。思い通りにならない、わけのわからない「生きもの」を、まずは勇気をもって正面から受け止めて、苦心惨憺しながら懸命に育てていると、そのうち可愛いと思える時があるかもしれません。それでよいと思うのです。ただ願わくは、あなたがいつの日も子供の「味方」であらんことを。

 けだし、親にとっての根本的な条件は、愛することではありません。責任をとることです。生まれたくて生まれてきたわけではない存在に対して、一方的にその存在を強いた人間が、一方的にその責任を果たすことです。

 まずは、きちんと食べさせて(飢えさせない)、清潔なものを着せて(凍えさせない)、安心して眠らせる(病気や危機から守る)、そして共同体が成員に課している生きるためのスキルを与える(教育をうけさせる)、その結果、子が自立できるようにする。

 生もう生むまいが、愛していようがいまいが、誰かに対してこの責任を自覚して果たす者を「親」と言うのだと、私は思います。そして、この「親」を守るのが、共同体の責任なのです(保育園を落ちた母親が「日本死ね」とネットで言うのは、果たすべき責任を果たさない共同体への当然の糾弾でしょう)。

 Nさん。あなたは話をしながら涙ぐんでいました。「子を可愛いと思えない自分」を責めていました。それはあきらかに「親」としてのあなたの「愛情」だと、私は思います。

 親子の関係は人それぞれです。私に言えることは限られています。それでも私は、あなたが、責任を果たそうとギリギリの努力を続ける、正真正銘の「親」に見えます。

震災5年

2016年03月10日 | 日記
 話は去年のことです。新幹線で恐山から東京に出たある日、年頃は私と同じくらいの、立派な体格の男の人と隣り合わせになりました。

「和尚さんの隣とは、何かいいことがあるかな」と、体格どおりの大きい笑顔と声で話しかけられ、途中まで気楽な四方山話をしながらご一緒したのですが、実はこの人は大震災の被災者でした。

 家族は無事だったそうですが、津波でご自身の家と親戚の方を失ったそうです。水産関係が生業で、しばらくは全く仕事にならず、ようやく最近になって目途がついてきたところだと言っていました。

「まあ、本当に海のお蔭でさあね。ひどい目にあうのも、暮らしていけるのも」

 別れ際、話の最後に、彼は何気なくそう言いました。ですが、私は、その言葉と声に、幾重にも折りたたまれた感情の襞を見る思いでした。

 こう言えるようになるまで、彼はどんなことを感じ続け、何を考えてきたんだろうか。

 体験は、それ自体としては無意味です。「体験」にさえなりません。あまりに衝撃的な体験は、衝撃として心身にダメージを与えても、記憶にさえまともに残らない場合があります(なのに、突如としてフラッシュバックするらしい)。

 体験がまさしく「体験」になるには、それが語られ意味付けられなくてはなりません。「自己」という「物語」の中に語り込まれ、ストーリーの一部に消化(あるいは昇華)されなくてはならないのです。

 あの日以来、彼自身の困難はもちろん、周囲には甚大な被害に遭った人も大勢いたでしょう。故郷の惨状は言うまでもありません。その彼がいま「体験」を語る言葉の核心に、「本当に海のお蔭でさあね」があるとするなら、私はこの言葉に畏怖に近いものを覚えます。

 ただ、そのとき、突然思い浮かんだのは、良寛和尚のことでした。我ながら聊かびっくりしましたが。

 私はいままで良寛和尚について公に語ったりものを書いたりしたことがありません。よくわからないからです。あの有名な書の文字をよいと思ったことは一度もないですし、残っている様々なエピソードや断片的な言葉にも大した関心は持ちませんでした。ただ、ずっと何となく不気味な人だなと思っていました。

 しかし、今般、私は不意に思い当たったのです。                                               
 
 良寛という人は、自分の存在や生を意味付けることを一切止めたか、する気がなかったのではないか。自分は以前から、存在に過剰な意味を求めようとすることこそ、「苦」の根源にある欲望だと考えてきたが、彼は考えるまでもなく「悟って」いたのではないか。

 あの字が練習の果ての「作風」なら、とんでもない戦略家だし、数々のエピソードが全部「ウケねらい」なら、鼻持ちならない。大地震に際して書いた手紙の文句として有名な、

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」

という一節も、禅僧の「境涯」を示そうと意図していたなら、馬鹿々々しいほどわざとらしい。

 でも、もし、書きたいように書いた字があれで、その場の成り行きでやったことがエピソードになり、地震に見舞われた実感があの一節なら、話は違う。
彼は自分を「物語る」ことを放棄していたのではないか、存在と生に意味を一切求めなかったのではないか。

「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」という和歌が本当に彼の辞世の一首なら、彼は文字通り、ただの枯葉一枚に自分を見ていたのだろう。

 とすれば、やはり常人と隔絶した存在の仕方を全うした、おそるべき僧だったと思わざるを得ません。いまさらながら。

「聖」と「俗」の危うい関係

2016年03月01日 | 日記
 宗教は、原理的に人間やその集団がつくる社会の在り様を、そのまま肯定することはありません。別の次元に価値の体系(悟り、極楽往生、最後の審判や天国)を設定するからこそ、「宗教」たり得るわけです。

 すると、人々が暮らしを営む社会的現実とはどう関係することになるのでしょうか。その社会の秩序や道徳との折り合いをどうつけるのでしょう。

 絶対神は「絶対」であるがゆえに、人間の社会で通用している善悪や秩序を超越することになります。つまり、人間が理解する善悪の区別は、神には無意味だということです。

 仏教の場合も、ニルヴァーナに善悪はありません。「諸行無常」の教説が、善悪を区別する確実な基準を維持するわけがありません。

 この場合、一番よく使われるアイデアは、宗教の教説や価値観などは、それはそれとして考え、毎日の生活はその社会のルールや価値観に従えばよい、というものです。つまり、宗教の領域たる「聖」と社会的現実の「俗」を峻別して、結果的に「俗」をまるごと黙認・容認してしまう考え方です。

 もしこのアイデアに従うなら、たとえば、ある国に独裁体制が登場して強権政治を行い、無謀な戦争に突入しても、「殺すなかれ」を第一に標榜する宗教は、にもかかわらず「それはそれとして」、戦争と戦時体制を「肯定」することになるでしょう。

 ことは「肯定」で終わりません。「聖」と「俗」の関係を自覚的に検討する手間を省いて、安直な区別ですませるなら、ついには「聖」の理屈を「俗」に合わせて改変し、これを根拠づけ支持する強力な論理を提供するようになるのです。

 実際、古今東西、宗教者や宗教団体が戦争を支持し戦時体制に協力した例は、枚挙にいとまがないところです。

 このような、いわば「聖俗二元論」とは違う、もう一つの関わり方は、「聖」が「俗」を自らの価値体系に合わせて徹底的に改造しようというアイデアです。いわゆる宗教的「原理主義」です。

 けだし、これらのアイデアは、結局のところ破綻します。前者の「聖俗二元論」は事実上宗教の自己否定であり、後者の原理主義は地上に天国を造ろうとする妄想ですから、最後には自滅することになります(「地上」に「天国」ができたら、それはもはや「天国」ではありえない)。

「俗」への追従(聖俗二元論)にしても、「俗」の改造(原理主義)にしても、その危険と錯誤は、「聖」と「俗」の矛盾を無視することなのです。この矛盾の中に生きようとしないことなのです。

 ゴータマ・ブッダとその弟子たちは、まさに出家して「俗」を離脱した集団です。その一方で、彼らの集団は托鉢可能な距離を考慮して、都市や村(=「俗」)周辺を遊行していました。象徴的なのはこの絶妙な「距離」です。「俗」に迎合しても、「俗」を否定しても、「出家」は成り立たないわけです。

 かくして私は、「聖」の役割は、「俗」に対して、それとは別の考え方があり得、それとは別の生き方があり得ると提示することだと考えます。すなわち、根本的な批判精神です。

 批判は否定ではありません。それは相手の存在を前提に、その在り方を問い続けることです。これこそが「聖」と「俗」の矛盾に耐えることだと、私は思うのです。