恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

想い出すということ

2009年01月30日 | インポート

 先日、ある電話がかかってきました。中年と思しき女性が、とても丁寧な口調ながら、暗く沈んだ声で、こう言うのです。

「お忙しいところ、突然に申し訳ありませんが、どうか教えてください。実は、私の娘が4年ほど前に自殺してしまったのです。そこで、毎日仏壇を拝み、節目には和尚さんのお経も頂いているのですが、ご供養はそれでよいのでしょうか。私の家はそちら様とご宗旨が違うことは存じておりますが、本当はどういう供養をすれば一番よいのかと思って・・・・」

 私はすぐに答えました。

「奥さん、御宗旨が違えば、供養の仕方はそれぞれです。私の立場からそちらのお宅のご供養の仕方をアレコレ言うことはできません」

「はあ・・・・」

「でもね、一番よい供養というのは、娘さんを想い出してあげることですよ。楽しかったこと、懐かしいこと、とにかく優しい気持ちで娘さんを忘れずに想い出してあげることです。後のご供養は、できる範囲で丁寧にすれば十分です」

「ああ、そうですか。それでいいんですね、よかった」

 想い出してあげることだ、と言った所で、彼女は小さく息をのみ、続く声は、ほとんど1オクターブ高くなりました。

 私が思ったのは、このお母さんは娘さんを想い出すことをためらい、そうとは知らずに自らに禁じているのではないか、ということでした。

 娘さんの自殺にいろいろな事情があったかもしれません。第三者が聞けば納得できるような理由もあるでしょう。

 しかし、たとえそうであったとしても、このお母さんは娘の母親であるというそのことだけで、すでに彼女の死に罪と責任を感じているのかもしれない。だから、4年が経過してなお、悲しみのまま、後悔のままであっても、想い出すことができないのではないか。もしそうなら、私はその気持ちを解除してあげたかったのです。

 死後の世界や霊魂のことは、私にはわかりません。しかし、死者がその存在を消滅させないことは知っています。死者は彼を想う人の、その想いの中に厳然と存在します。それは霊魂や幽霊どころではない、時には生きている人間よりリアルに存在するのです。

 ならば、その死者を想う自らの気持ちを美しいものとすることが、何よりの供養ではないでしょうか。いまは悲しみと後悔の中であっても、いつの日か懐かしく優しい気持ちで、故人の一番幸福であった頃の姿を想い出せることが、私はとても大切なことだと思うわけです。

追記: 次回「仏教・私流」は2月16日(月)午後6時半より、赤坂の豊川稲荷東京別院にて行います。


雪上車出動

2009年01月20日 | インポート

Photo  先日、雪上車を使って閉山中の恐山に行って来ました。本格的に除雪する前の下見です。

 雪上車は外国製で、スキー場整備に使われるものを10年前に購入したのだそうです。フロントグラスから見える恐山街道は完全な雪景色ですが、積雪は今のところ1メートルほどで、まだ「大雪」「豪雪」と称するほどではありません。

 しかしながら、街道の2箇所で雪の重さによる倒木があり、チェーンソーで切断した上でスコッPhoto_2 プで掘り出し、除去しました。この1週間ほどまえに倒木による電線の切断事故があり、やはりこの時期、油断はできません。

 Photo_3 恐山前には冬季の山番をお願いしている従業員の男性2人がいます。ここで生鮮食料品などを補給。真冬でも、建物の管理と不審者の入山を防ぐ必要上、越冬役が必要なのです。去年は2月の吹雪の日に、迷い込んだのか、いまさら帰れなかったのか、フランス人の男がいきなりおじさん達の前に現れ、ちょっとした騒動になりました。

 通用門から雪上車は恐山境内に入り、我々は建物の点検をしました。境内の積雪もまだ緊急Photo_4 の除雪を必要とするほどでもありませんでしたが、屋根の雪の重みで大型のツララが窓に迫ったり、雪がたまって軒先につかえ、これ以上積もると瓦や屋根そPhoto_5 のものにダメージがくることが考えられるため、翌日少人数の除雪隊を派遣することになりました。

 いよいよ大寒、これから2月にかけて雪本番です。去年少なかった分、今年はPhoto_6 どうなりますか。いささか心配しながらの今日この頃です。

追記:道元禅師の諡号(おくりな)「承陽大師(じょうようだいし)」のいわれについて、ご質問がありましたので、知る得る限りでお答え申し上げます。

 江戸時代の書物に、すでに道元禅師のご遺骨を納めた塔を「承陽」と言っていたという記述があり、永平寺の開山堂を「承陽庵」(後に承陽殿)」と呼んでいたことも事実です。「承陽古仏」という呼び方も、後世の尊称としてありました。おそらくこの事実考慮の上、明治時代になって天皇から「承陽大師」の諡号が下賜されたのだと思われます。参考ながら、現在の永平寺貫首は皇室からこのような諡号を受けることはなく、現在尊称として使われる禅師号(諡号の役割もある)は、曹洞宗として敬意をこめてお呼びするため、そうお名乗りいただこうと、いわば奉呈する意味に変わっています。


人と言葉

2009年01月10日 | インポート

 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお付き合いのほどお願い申し上げ、あわせて皆様のご多幸をお祈りいたします。

 知る人ぞ知る話かもしれませんが、この年明け、ある映画が封切られました。『禅』というタイトルで、わが曹洞宗の祖、道元禅師を映画化したものです。宗派も相応の協力をしたと聞きました。

 そういうわけで、最近時々、「もう見ましたか?」と訊かれます。そのたび、私は「いや、まだなんです」と答えているのですが、実を言えば、まったく見る気がないのです。

 皆さんもご存知のように、道元禅師のみならず、宗教者や思想家などの伝記的な映画やドラマ・小説などは、数は少ないながら、これまでも何本か公開されています。私は、以前からこれらのものにまるで興味がありません。

 私が関心を持つのは、彼らがのこした言葉であり、その言葉で語られる限りでの行為です。その人物が個人としてどういう人物であったかは、実際どうでもよいのです。

 もちろん、伝記的事実を調べることもありますが、それは彼の言葉を理解するのに必要な場合だけのことです。したがって、たとえば、道元禅師の父母が、歴史的事実として誰であったかということは、完全に関心の範囲外です。

 しかし、禅師が当時の高級貴族の出身であったことには、注目しています。それはつまり、彼が貧困の結果口減らしで出家させられたのではなく、またおそらくその時代としては十分な教育を受けていたであろうことを意味しているからです。ということは、禅師の出家にはその核心に実存的な意味があったことを推察させるでしょう。

 なぜ、私の場合こういう態度になるのか。拙著を読んでいただいた方には、おおよそ察しがつくかと思いますが、私は、仏教を自分のかかえる根本問題にアプローチする方法と考えているからです。とすれば、大事なのはその方法がどういうもので、どう使えるかであり、どんな人生を送った人物がそれを発明したかなど、二の次、三の次、ということになるでしょう。

 以前、「大乗非仏説(大乗仏教は歴史上実在したゴータマ・ブッダが説いたものではない以上、仏教とは言えない、とする説)」をどう思うか、という質問がありましたが、今まで述べてきた考え方からすれば、これまた取るに足りない話と言わざるを得ません。

「大乗非仏説」が問題にしているのは、歴史的人物としてのブッダからの時間的距離であり、彼の言葉が何を問題にし、何を伝えようとしたかではありません。もし、言葉が根本的な問題なら、その意味をどれだけ深く汲み取るかは、ブッダからの時間的距離とは、ほとんどまったく関係ないでしょう。

 だいたい、パーリ仏典にしても、別に釈尊が直接書きのこしたものではなく、要は又聞きです。この又聞きを元にして、誰かがさらに何か言うなら、それはもう、大乗経典と質的な違いはないというべきでしょう。実際、いわゆるアビダルマの論書など、どう見ても「非仏説」です。

 それに対して、大乗仏教のある部分は、確実に、パーリ仏典にあるゴータマ・ブッダの言葉から読み取れる問題を、他に比類ない、決定的な深さで捉えていると思います。

 間違えてはならないのは、すべてを知る仏がまず存在していて、しかる後に教えとしての「ダルマ(法)」を説いたのではない、ということです。そうではなくて、後に「ダルマ」と称される何事かを悟った結果「仏」に成った者が、あらためて他者にその「ダルマ」を言葉で説いたのです。

 とすれば、我々の視線は、「仏」ではなく、何よりも説かれた「ダルマ」に注がれるべきだと、私は考えます。