恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

『眼蔵』の謎

2014年10月30日 | 日記
 道元禅師の『正法眼蔵』を読むとき、いつも不思議に思うのは、何のために書いたのか、端的に言えば、誰に読ませるつもりで書いたのか、ということです。

 実際に読んだ方はお判りでしょうが、あの書物は、普通の読解力、たとえば新聞を読むことのできるレベルの読解力の者が読んで、すんなり理解できるような代物ではありません。それは、鎌倉の昔と今とでは時代が違うから、あるいは読み手の能力が不足しているからではありません。採用されている論理が異常なのです。

 たとえば、有名な般若心経の冒頭「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 (度一切苦厄)」という部分。

 普通に読み下せば、「観自在菩薩が般若波羅蜜多を行じること深き時、五蘊は皆空なりと照見して(一切の苦厄を度したまへり)」などとなるのが普通でしょう。
 
 そうだとすると、「観自在菩薩」「般若波羅蜜多」「五蘊」など、個々の単語の意味がある程度わかれば、少なくとも文章が何を言おうとしているかの見当はつくでしょう。

 ところが『眼蔵』ではそうなりません。同じ部分をはこう解釈します。

「観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり」

 私訳すれば、「観自在簿菩薩が行深般若波羅蜜多時であるとは、全身あげて照見五蘊皆空になっているということなのだ」となるでしょう。この訳がある程度当たっているとしたら、個々の単語の意味が理解できたとしても、全体として何を意味しているのか、よほど研究しないとわかりません。使われている論理の構造が普通と違うからです。

 これでは、鎌倉時代の坊さんが読んでも、我々同様、わからないでしょう。ところが、道元禅師と同時代の他の祖師方(法然上人などなど)の著作は、我々が読んでも、手間はかかるにしても、それなりに意味を受け取れます。つまり、理解の困難さは時代差の問題ではないのです。
 
 さらに、道元禅師の手になる他の書物は、『眼蔵』ほどに読んでわかりにくいものではありません。修行僧への説教である「上堂法語」というジャンルの言葉は、かなり儀礼化された表現になっており、さらに詩文の要素も濃厚なので、読むのは簡単ではありませんが、全体の論理は、『眼蔵』のように常識外れなわけではありません。

 いわゆる「公案」「禅問答」なども、常識的でない展開のものが多いですが、それは通常の論理を破断したり脱臼させたりするための、意図的・方法論的な言葉の用い方によるものがほとんどであり、『眼蔵』のように破格で独自の論理がそこに採用されているわけではありません。

 とすると、現代の我々は無論、鎌倉時代の直弟子だろうと、読んでわかったはずはありません。だから、道元禅師存命時代や、それに続く時代の僧侶に、まともな『眼蔵』の注釈書を書く者が一人として現れなかったのです。『眼蔵』劈頭を飾る「現成公案」の巻などは、九州の在家の弟子に与えたといいますが、あれではもらった方が困ったでしょう。

 では、どうして書いたのか。以下、私の仮説。

 一、自分の思想的メモ。それにしては根性入りすぎ。

 一、弟子たちへの講義用テキスト。だったら、弟子にも写させただろうし、もっと沢山の写本が残ってもよかったのでは。

 一、講義記録。もし、あのとおりの講義をしていたなら、聞いてもわからない。

 一、講義要録。講義のエッセンス。だったら、ちゃんとした、丸ごと聞き書き的な講義録も遺してもらわないと。

 一、自分が書きたいことを書きたいように書いただけ。「わかるかナ? わかんねえだろうナ」(注:昭和の化石的ギャク)

 私としては最後の説を押したいですが、まさかね。

追記:次回「仏教・私流」は11月28日(金)午後6時半より、東京赤坂・豊川稲荷別院にて、行います。



無師独迷

2014年10月20日 | 日記
 今日にいたるまで、私に根本的な影響を与えた人物は、三人しかいません。父親と師匠と、修行道場時代の上司です。
  
 しかも、私はこの三人から特別何かを教わった記憶がありません。彼らが私に対して言ったことは一つです。

「好きなようにやれ。責任は取ってやるから」

 同じようなセリフは、世に指導的立場にある人間がしばしば口にしますが、私は半世紀以上生きてきて、言ったことを文字通り実行した人間を、この3人以外に知りません。

 私が坊さんになると言い出した時、嘆き悲しむ母親を、「もう一人前の男が決めたんだ。柱に縛って止めるわけにもいくまい」と、なだめてくれたのが父親でした。
 
 ずいぶん経ってから、母親に言っそうです。「あれが子どものころから、いったい将来どうなることかと思っていたが、坊さんとはな。とても賛成はできなかったが、オレも成る程なと思うものを見つけてきたな」

 修行道場にいる間、私は師匠の都合で自分の行動を妨げられたことは一度もありません。本当は手伝ってほしいことや、助けてほしいことが多々あったに違いありませんが、道場入門前に「お盆と師走の2回は、帰ってきて手伝え」と言われただけで、亡くなるまで同じ態度でした。
 
 旧知の住職から「早く道場から戻したらどうだ」と忠告されると、師匠は強い口調で、「あいつにはあいつの道がある」、と言ってくれたそうです。

 上司は、ほとんど口癖のように言っていました。「彼に任せてあるから。彼の言うことを聞いてくれ」。そして私に対して「事後でいいから、報告だけはしてね。私が責任とれなくなるから」。
 
 別の偉い人から「あの男の極端な物言いや振る舞いを自重させるべきだ」と忠告されたとき、「そうさせたら、この道場にも本人にも、マイナスの方がずっと大きい」と庇っていたと、上司に忠告した当の人から聞きました。

 私はこの3人がいなかったら、僧侶として続かなかっただろうと思っています。

 3人が、もう一つ、共通して私に対して言った(思った、であろう)ことがあります。

「お前に指導者がいないのは、気の毒だな」

 なんと、彼ら3人は3人とも、当時の私を指導する立場ではないと思っていたらしいのです。要するに「手に余る」ということでしょう。

 父親は晩年、病床で言いました。「結局、お前の頭の中は放浪者だ。どこにもじっとしていない」。

 師匠からは、「お前、誰か側について学びたいと思う師家はいないのか?」と尋ねられたことがあります。私が「いません」と即答すると、「そうか!」と言って大笑いしていました。

 上司にこの話をしたら、「君を指導する? 規格外のものをどうすると言うんだよ」。さらに続けて、

「それはそれで、気の毒だけどね」

 おそらく、上司だけでなく、父親も師匠もそう思っていたでしょう。そして何より、私自身がそう思っていました。今でも、私の考え方や行動には生身のモデルがいません。つまり「先生」がいないのです。

 もちろん、私よりはるかに優れたお坊さんは沢山いました。ただ、私がずっと問題としてきたことを同じように問題としている先達的人物に、一人として出会ったことがありませんでした。

 かくして、私は今までずっと、ただ先賢の本を読み、道場での修行経験を土台に、自分で考えたことだけでやってきました。要するにみんな自己流です。結果、私はいつも自分のアイデアに確たる自信が持てないままで来てしまいました。

 誰かをモデルにできれば、その人物を引き合いに自分の考えを点検したり修正する方法もあるのでしょうが、その方法が使えなければ、まさか当てにならない自分(諸行無常)の考えたことが、そのまま当てになるはずもありません。

 優れた修行者が師に依らずに悟ることを、禅家で「無師独悟」と言いますが、私の場合は「無師独迷」が常態です。あるいは、「無師独迷」に耐え続ける道行が、私にとっては「無師独悟」ということなのでしょう。父親と師匠と上司は、そういう私の一番の理解者だったのだと思います。

独占インタビュー

2014年10月10日 | 日記
 むつ市の中学1年生・女子4人組が、「調べ学習(彼女らがそう言ってました)」のために、恐山にやってきました。なんでも、「責任者のお坊さん」にインタビューして、レポートを作るのだそうです。

「どうぞよろしくお願いします」(4人同時にペコリ)

「はい、よろしく」(院代なんとなく緊張)

「じゃあ、私から、最初にい・・・、恐山はどうして霊場なんですか?」

(おおっ!いきなり根源的な問題)

「うーん、あの歴史的な成り立ちとかは本を見れば出てくるから、図書館ででも調べてよ。それとは別に、霊場が霊場である理由という話をするなら、結局、気持ちの問題だな」

「ここへ来る人のですか?」

「そう。君たちだって、大切な人が死んでしまったら、ただ悲しいだけではすまなくて、いろんなことを思うだろう。それだけじゃなく、いつか自分が死ぬということに気が付けば、それが怖かったり考えたりすることもあるでしょ。他にもね、精一杯がんばっているのに、いつまでもよい結果が出なかったり、突然思いもよらない災難にあえば、どうしてこうなるんだろうと、胸が苦しくなるかもしれない」

「はい」(大きい目がさらに大きくなる)

「そういう思いをたくさん抱えた人が、それを預けていける場所が霊場なんだと思うよ。霊場はね、お坊さんではなくて、お参りする人が作るんだ」

(ちょっとイイ話、的な感じか?)

「じゃ、次、私ね」(両隣を見まわしてから、私にピタリ、眼の焦点を合わせた)

「霊っているんですか?」

(ど直球!)

「あ、あのね、・・・、君、そういう話するとき一番大事なのはね、お互い使っている言葉の意味が同じかどうか確かめることなんだよ。君、『霊』って言葉、どんな意味で使ってるの?」

「えーっ、お化けとか」

「君、家族に亡くなった人いるの?」

「おじいちゃんが・・・・」

「じゃあさ、おじいちゃんの霊って言ったら、それ、おじいちゃんのお化けのこと?」

「なんか、違うような・・・」

「ぼくさあ、霊もお化けも見たことないんだ。だから、いるともいないとも言えない。ただね、亡くなったおじいちゃんは、間違いなくいるね」

「えっ・・・」

「だって君、思い出すでしょう。思い出そうとしなくても、急に思い出すことがあるでしょう。いるからだよ。生きている人とは違うけど、いるから君の中に出てくるのさ」

「うん・・・」(女子、涙目。優しいおじいちゃんだったのか)

「じゃ、今度は私、お願いします」(大きめの眼鏡が可愛い)

「イタコさんが死んだ人と話せるって本当ですか?」

(ああ、知りたいんだろうねえ)

「それはさあ、イタコさんに聞いてくれないかな」

「わかりませんか・・・」

「わるいけど、当事者でないからねえ」

「・・・・・」(眼鏡女子、当惑)

「あの、それもさあ、さっきの話と同じでね、イタコさんの話を聞いた人が本当だと思うかどうかの問題で、誰にも確かめようがないと思うよ」

「はい・・・」(眼鏡女子、落胆)

「それよりさ、本当かどうかよりもさ、大事なのは、話を聞いた人がどんな気持ちになるかだな。ぼくはね、聞いた人が穏やかな、安心した気持ちになれるといいなと、いつもそう思う」

「もういい? 私で?」(いよいよ4番打者です)

「恐山で毎日何してるんですか?」

「えっ!」

(院代、虚を突かれて狼狽)

「何って、その・・・、亡くなった人のご供養に来た人に供養の儀式をして・・・、お坊さんと話をしたい人とは話をして・・・」

「そうですか」(それだけですか?と言われているような)

「いや・・・、けっこういろいろと忙しいんだが、あれ、何してたかなあ・・・」

「大変でしょうけど、お仕事頑張ってください!」

「はい、ありがとう!」

(なんか、院代、情けないぞ)

追記:次回「仏教・私流」は、10月24日(金)午後6時半より、東京赤坂・豊川稲荷別院にて、行います。