恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

誰の問題か、問題は誰か

2010年09月30日 | インポート

 思いつき禅問答シリーズ、このあたりでもう一回。

 ある老師が修行僧たちに説教しました。

「あちこちで老師方は衆生済度が大事であると教えているが、たとえば次のような3人の病人がやって来たら、どうやって教え導けばよいのか? 

 まず眼を病んでいる者は、老師が模範として示すことが見えない。耳が聞こえないものは、老師がどれほど言葉を尽くして教えても、聞こえない。話すことができない者は、自分の境地がどれほどのものか、老師に示すことができない。さあ、諸君、どうしたらよいか?

 もし、これらの人々を教え導くことができないというなら、仏法には大した功徳はないということになろう」

 この話を聞いていた一人の修行僧は、別の老師のもとを訪れて、どう思うか質問しました。すると、その老師はまず言いました。

「礼拝しなさい」

 修行僧が言われるままに礼拝して立つと、老師はいきなり、持っていた棒を修行僧に向かって突き出しました。修行僧が思わず後ろにさがると、

「君は見えるんだな」

 そして今度は、

「私の近くに来なさい」

 言われた彼が前に進み出ると、

「耳は聞こえるんだな」

 即座に老師はひと言、

「どうだ、わかったか?」

「わかりません」

「うん、話もできるんだな」

 言われたとたんに、修行僧は悟るところがあった、という問答です。

 さて、例によって、私流にこの問答を解釈すると、こうなります。

 最初の老師の言いたいことは、要するに仏教の普遍性、真理性の問題なのです。誰にでも通用する教えであり、「真理」だというなら、人の条件を問わないはずです。仏教はそのようなものでありうるのか、と老師は修行僧に問いかけたわけです。

 修行僧は、問題をそのまま次の老師に持ち込んできます。そこでこの老師が修行僧に直面させたのが、問題の当事者は誰なのか、ということです。

 客観的普遍的真理それ自体があろうとなかろうと、それを問う当事者が存在しない限り、まったく無意味で、「真理自体」は無いも同然であり、無いのです。「真理」は問いにおいて存在するのであり、それ以外に存在の次元を持ちません。ですから、問われようが、すなわち問いの方法が、「真理」のありようを決めるのです。

 今まさにそれを問おうとしているのは、話に出てくる病人ではなく、この修行僧自身でしょう。その自覚がないことには、この類の「真理」話は、暇つぶしの雑談と変わりません。

 老師が修行僧に最初に礼拝させたのは、まさにこのためです。誰が何をどう問おうとしているのかの自覚がないところに、「真理」問題を検討する余地はない、そのことを端的に教示したのが、「礼拝しなさい」の言葉なのです。

   


怒らない練習

2010年09月20日 | インポート

  先日、某特急にのりました。座席は、進行方向両側2席ずつです。私はその日、右側窓際席Aにすわっていました。最初はきわめて空いていて、私の周辺には誰もいませんでした。

 ところが、ある駅に着くと、急に大勢の乗客がありました。私がぼんやり新聞を見ていると、たちまちのうちに車内がさわがしくなりました。

「ここよ!ここ!」「私のは?」「そこ、窓側」

 気がつくと中年ご婦人の一行が、私の前の席を指差しています。

「あ、杉浦さんのは、後ろねえ!」「え、私、後ろ?」「大丈夫よ!」

 この「大丈夫」の一声が発せられたとたん、私の前の座席がぐるっと一回転したかとおもうと、そこに中年のご婦人がふたり、どさっと鎮座なさいました。つまり、私は、ご婦人グループお三方にとりまかれて坐ることになったのです。

「あら、まあ、ごめんなさいね!」

 「大丈夫よ!」の声の主ににこやかに挨拶され、別の方から おすそわけ、とミカンをもらい、お隣からあやうくお弁当まで買ってもらえそうになりました(私は車中の駅弁が苦手)。

 あとは、彼女らの華やかで甲高い「情報交換」を延々2時間、窓の外をひたすら眺めながら拝聴しました(とても活字を読み続けられる状況ではなかった)。

 仏教において、怒りは「三毒」のうちの一つであり、根本的な煩悩です。坊さんなら克服すべきものです。それに、彼女らは、乗客の権利を行使しただけであり、私にもきちんと挨拶もしてくれました。

 なのに! なのに、なぜ私は腹が立つのか!! ミカンももらったのに!!! ああ、齢50をこえてなお、私の修行はかくも未熟なのか!!?

 しかし! ああ、しかし!!

追記:次回「仏教・私流」は、10月20日(水)午後6時半より、東京赤坂・豊川稲荷別院にて、行います。


三つ子の偏見

2010年09月10日 | インポート

 幼い頃の考え方や習慣などは、大人になっても変わらないことを喩えて、「三つ子の魂百までも」と言ったりしますが、私なんぞはまさにそのとおりで、ものの考え方や感じ方のおおよそは、まるで成長がなく、子供の頃と変わらないままです。

 とりわけ、無防備な頭にビルトインされたいくつかのイメージは抜き難く、ほとんど「偏見」のまま固まってしまいましたが、後にそのイメージを雑多な書物から引き出したアイデアで言語化する作業をしてみると、結構、ものの見当がついたりしました。

 おそらく、小学校の4年か5年生の頃です。社会科の授業で工場見学というものがありました。無論、そういうところを実際に見るのは初めてで、学校嫌いの私も、かなり楽しみにしていました。

 行ったのは缶詰工場で、確か同級生の父親が働いていて、丁寧に案内してくれたと思います。

 私たちが入っていくと、だだっ広い工場にはいろいろな機械がところせましと並べられ、その合い間合い間に、白い帽子と白いマスク、白い手袋に白い服の従業員が立ち並び、彼らを縫うようにベルトコンベアが張り巡らされ、大量の缶が列をなして流れていました。

 みんなでそれを眺めながら、説明を聞いているうち、私は急に、どうもどこかで見たことがある風景だと思い始めました。工場など、入るのはこれが初めてなのに、何か知っているところのような気がする。

 私は妙な不安に襲われ、説明や見学など上の空で、どこで見たのかを必死で思い出そうとしました。そして、散々考えたあげく、ようやく思い当たったのです。ああ、ここは病院と学校に似ている。缶詰はぼくだ。

 当時病弱だった私が馴染みの病院も、行くのが億劫だった学校も、工場そっくりだ。だからイヤなんだ。私は、医師には恩義を感じていたし、好きな教師もいたのに、なぜ、病院や学校に生理的な嫌悪感があるのか。そのとき私は、ありありとわかったのです。ぼくが缶詰にされるからだ。

「おじさんたちは、みんなにおいしく食べてもらえる缶詰を毎日一生懸命作っています」と、門まで我々を見送ってくれた同級生の父親に言われたとき、私は、ぞろぞろと門から出て行く自分たちが、その先で待っている世の中の大人に食べられていくような感じがしていました。

 その日、おみやげに桃の缶詰をもらったのですが、これ以後長いこと、私は果物の缶詰が食べられなくなりました。缶詰を開けると、中身が自分の脳のような気がしたのです。

 このときのイメージが、私の「社会」のイメージの原型です。常に高効率で大量の生産と消費と交換を求められる市場経済社会で、それにふさわしい規格どおり製品としての人間を制作する学校。規格外製品や不良品を選別し、修理するか始末する病院。善い悪いはともかく、そういうシステムを前提に動いているのが我々の社会だろう・・・・、後に中途半端な知恵がついてきたときに、考えたことの大元は、結局、あのときの工場見学でした。

「偏見」はまさに斥けるべきです。しかし、それがどういう「偏見」なのか、なぜそんな「偏見」を持つようになったのか、それをきちんと考えることは、「偏見」を解体するために必須である以上に、そこから人間の在り様を学び取る、きわめて重要な方法だと思います。