若いころからずっと、仕事一筋で頑張ってきた人がいました。そしてその努力は、周囲の評価するところとなり、会社の中で相応の地位を得て、めでたく定年を迎え、引退となりました。
しばらくは悠々自適、自分の時間を好きなように使える毎日を謳歌していたのですが、あるとき突然、かなり深刻な不眠症に悩まされるようになりました。
その人は、まだ仕事をしていた時代にも一度不眠症にかかったことがあり、このときは過労が原因だろうと自分も思い、医師にもそう診断されて、薬を処方されるなどして、全快したそうです。
ところが、今度はまったく突然で、どうしてそうなったのか、思い当たるフシもありません。医者に行っても原因らしい原因が無く、ただ睡眠薬を処方されるばかりで、一向によくなりません。
医者をあれこれ変えてみたものの、症状は改善せず、思いあまった彼は、親しくしていた親戚に相談すると、その親戚はある寺に連れていき、住職に引き合わせたそうです。
すると、その住職は「あなたの遠い先祖である侍が犯した罪な行いが祟っている」と言い出したのだそうです。
そんな馬鹿なと思った彼は、今度は別の親戚に相談すると、「ホラ、この前、田舎のお墓を霊園に移したのがいけなかったんじゃないの?」
もう親戚はダメだと思い、次に職場の元同僚に相談すると「通常の検査ではわからない病気かもしれない。はやく専門医に」
ところが、検査をしても、異常は無し。
そうなると彼は、著しい不安にとらわれるようになり、不眠の原因を求めてあらゆる分野の人に相談を持ち掛け、自分は疲弊し他人に煙たがれ、二進も三進もいかなくなり、行き詰まってしまいました。
「・・・・と言うわけなんですが、ご住職、どうなんでしょう? やっぱり原因は祟りですか?」
「祟りですかって、あなた祟りだと言われて信じられないから、私のところに来たんでしょう。私が言えば信じるんですか?」
「いやあ・・・・、すぐには・・・」
「そうでしょうねえ。で、いま、不眠症はどうなんです? 全然眠れませんか?」
「いえ、最近は睡眠薬を飲みながらですが4、5時間は」
「えっ? それだったら、今の私の睡眠時間とほぼ同じですよ。 それじゃ足りなくて、日中眠くて仕方がないんですか?」
「いや・・・、特には」
「じゃ、・・・」
「ええ、不眠症の方はもういいんです」
「だったら、何が問題なんです? 不眠症がもういいなら、あなたの不安の正味のところは、原因がわからないことなんですか?」
「そうですなあ」
「だったら、原因をさがすのを止めればいいじゃないですか!」
「えっ?」
「もう無駄な話である以上に、害になってるじゃないですか」
「でも・・・」
「そう、あなたみたいなタイプは、すぐに原因探しを止められない。だったら、今日からは趣味でしなさい。「原因探し」という個人的趣味なんだから、あなたが原因関係の相談を持ちかける相手には、相談相手代兼迷惑料としてお金を払いなさいよ。30分千円とか」
こういう仕事の一筋やり手タイプには、「自己決定・自己責任」的意識の強すぎる人が多々います。決定と責任は、因果関係をはっきりさせて初めて有効になる行為であり概念です。
結果、このタイプには、「原因」探しの病に陥る人がしばしば出てくるわけです。
しばらくは悠々自適、自分の時間を好きなように使える毎日を謳歌していたのですが、あるとき突然、かなり深刻な不眠症に悩まされるようになりました。
その人は、まだ仕事をしていた時代にも一度不眠症にかかったことがあり、このときは過労が原因だろうと自分も思い、医師にもそう診断されて、薬を処方されるなどして、全快したそうです。
ところが、今度はまったく突然で、どうしてそうなったのか、思い当たるフシもありません。医者に行っても原因らしい原因が無く、ただ睡眠薬を処方されるばかりで、一向によくなりません。
医者をあれこれ変えてみたものの、症状は改善せず、思いあまった彼は、親しくしていた親戚に相談すると、その親戚はある寺に連れていき、住職に引き合わせたそうです。
すると、その住職は「あなたの遠い先祖である侍が犯した罪な行いが祟っている」と言い出したのだそうです。
そんな馬鹿なと思った彼は、今度は別の親戚に相談すると、「ホラ、この前、田舎のお墓を霊園に移したのがいけなかったんじゃないの?」
もう親戚はダメだと思い、次に職場の元同僚に相談すると「通常の検査ではわからない病気かもしれない。はやく専門医に」
ところが、検査をしても、異常は無し。
そうなると彼は、著しい不安にとらわれるようになり、不眠の原因を求めてあらゆる分野の人に相談を持ち掛け、自分は疲弊し他人に煙たがれ、二進も三進もいかなくなり、行き詰まってしまいました。
「・・・・と言うわけなんですが、ご住職、どうなんでしょう? やっぱり原因は祟りですか?」
「祟りですかって、あなた祟りだと言われて信じられないから、私のところに来たんでしょう。私が言えば信じるんですか?」
「いやあ・・・・、すぐには・・・」
「そうでしょうねえ。で、いま、不眠症はどうなんです? 全然眠れませんか?」
「いえ、最近は睡眠薬を飲みながらですが4、5時間は」
「えっ? それだったら、今の私の睡眠時間とほぼ同じですよ。 それじゃ足りなくて、日中眠くて仕方がないんですか?」
「いや・・・、特には」
「じゃ、・・・」
「ええ、不眠症の方はもういいんです」
「だったら、何が問題なんです? 不眠症がもういいなら、あなたの不安の正味のところは、原因がわからないことなんですか?」
「そうですなあ」
「だったら、原因をさがすのを止めればいいじゃないですか!」
「えっ?」
「もう無駄な話である以上に、害になってるじゃないですか」
「でも・・・」
「そう、あなたみたいなタイプは、すぐに原因探しを止められない。だったら、今日からは趣味でしなさい。「原因探し」という個人的趣味なんだから、あなたが原因関係の相談を持ちかける相手には、相談相手代兼迷惑料としてお金を払いなさいよ。30分千円とか」
こういう仕事の一筋やり手タイプには、「自己決定・自己責任」的意識の強すぎる人が多々います。決定と責任は、因果関係をはっきりさせて初めて有効になる行為であり概念です。
結果、このタイプには、「原因」探しの病に陥る人がしばしば出てくるわけです。