恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

ご報告

2022年03月01日 | 日記
 先般当ブログの記事でも申し上げました『正法眼蔵』の全巻講読・現代語訳の件ですが、正式に決まりましたので、ご報告申し上げます。

 最初に依頼した出版社では、全3巻での刊行を提案されていたのですが、私としては、全巻を講読し現代語訳するとなると、どうしても分量的に無理があると思わざるを得ませんでした。そこで、当該の出版社にはご迷惑をおかけして恐縮でしたが、版元を変更し、これも長くお付き合いいただいている春秋社様にお世話になることと致しました。

 現在の予定では全15巻の編集で、約10年のうちに刊行する計画です。本文・講読・現代語訳の構成は維持していただけるとのことで、安心しております。

 現在、第1巻となる「現成公案」の巻から「行仏威儀」の巻までは、校正・修正前ながら脱稿しており、来春頃までには出版されているのではないかと愚考しております(版元に確認したわけではありません)。

『正法眼蔵』に関心のある方々に、多少でもお役に立つものになることを、心から願っております。刊行の節は、何卒よろしくお願い致します。

 なお、刊行に伴い、いわば「正法眼蔵・私流」の講義を始めたいと存じておりますが、現在のウイルス禍では対面での講義は難しいかと考えます。周囲からオンライン講義の提案もありましたが、こと『眼蔵』の講義は、リアルタイムで聴衆の方々の様子を感じられないと、一方的で退屈な講義になりかねず、私としては対面での講義に拘りたく、ご理解の程お願い申し上げます。

 場所に関しましても全く未定です。前回の講義(拙著『超越と実存』の元となったもの)も10年かかり、2ヵ寺のお世話になりました。今回も長期間が予想され、しかも私の今後のスケジュールを考えると、種々考え合わせる必要があり、会場についてご提案など、お知恵を拝借できれば有難く存じます。

 ただ、前回の講義は最終的に1回150人を超える規模になり、ある程度の大きさの会場が必要でしたが、今回はものが『眼蔵』ですから、それほどの広さは必要ないだろうと考えております。

 この件に関しましては、今後も随時ご報告をさせていただきたく、よろしくお願い申し上げます。

追記:先ごろ、出版社アスコムから『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』が刊行されましたが、これは同社の『禅僧が教える心がラクになる生き方』を若干補筆修正して改題したものです。あしからず。


番外:強者の不安

2022年03月01日 | 日記
 これほどあからさまで、ミもフタも無い侵略戦争が21世紀に起こるとは、想像しませんでした。しかも核保有国です。

 戦争を始めた権力者の言い分は支離滅裂です。相手を「兄弟国」と言いながら攻撃し、「中立国」になるなら自国を防衛する軍事力は必須でしょうに、いきなり武装解除しろと言う。そしてこの段階でもう核使用をちらつかせる。まともな頭で考えることではありません。

 この暴挙で自国が受ける国際社会におけるダメージを考えなかったのか。それに見合う成果が得られるとどうして見込めたのか。わけがわかりません。いわゆる「西側諸国」が、いつ戦争に踏み切るほどのプレッシャーを、彼に与えたと言うのでしょうか。

 けだし、これほどの異様な言動は、理性の判断よりも情念の力が問題でしょう。そこで思いつくのが、「独裁者」特有の不安です。

 独裁者(あるいは独裁的権力者)は、ルイ14世のような絶対王権を持つ君主とは違います。絶対君主の権力の源泉は、王権が神的な権威で正当化されることです(王権神授)。基本的に民衆の意志とは関係ありません。

 これに対して、独裁者の権力を正当化するのは大衆の支持です。彼らの支持を独占することによって、独裁権力は正当化されるのです。だから時として、自らの独裁体制を「民主主義」と詐称できるのです。

 すると、いつまでも独裁者でいたければ(失脚すると命に係わることが多い)、民衆の支持を制度的に動員しなければならず、それは必ず支持の強制に陥ります(人の心はうつりやすい)。

 独裁者はそのことをよく知っているので、多くの場合、議会制民主主義下の政治家よりも、民意に敏感になります。独裁者の強面の裏は、往々にして臆病なわけです。だから、自分に対する反意に対しては、それがわずかであっても、過激な反応をしやすいのです。

 おそらく、理不尽にも隣国に攻め込んだ大統領は、長期にわたる自分の権力体制に、最近は十分な民衆の支持が供給されていないと感じているのでしょう。そのタイミングで、隣国まで民意に基づく政治体制の波が及んできたわけです。

 結局、自分と自分の権力体制に感じている不安が、今般、自制のラインを超えて暴発したのではないか。東西冷戦時代に東側権力のエリートであった人物が、冷戦の敗北で負った深いトラウマに、独裁的権力者の宿命的不安が重なって、正気では考えにくい行動を取らせているのではないか。私にはそう思えてなりません。

 実に今、この人物から言語道断の厄災を被っているウクライナの人々には、申し上げる言葉もありません。