恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

恐山で坐禅修行を

2007年07月19日 | インポート

 明日から恐山は夏の例大祭がはじまります。昨年はあいにくの天候でしたが、今年はどうでしょう。お参りの方が困らない天気だとよいのですが。

 さて、今回は秋のご案内です。今年の10月23日と24日、1泊2日の日程で、恐山は参禅修行のプログラムを試験的に実施します。

 曹洞宗の作法にのっとり、坐禅着に着替えていただいた上、坐禅や写経、法話、さらに「作務(さむ)」と呼ばれる清掃などの作業に参加していただきます。食事は精進料理で、通常の客膳とは異なる修行者用のメニューを組みます。

 私は、自分の修行した道場でも、東京で若手修行僧の指導をしていたときにも、一般の方々の坐禅修行を指導したり企画してきました。そこで、設備と人員の整っている恐山でも、多くの方々に自らの生き方を省みるよすがとして、お勧めしたいと思うのです。

 この参禅修行の申し込みは、以下の窓口にて受付ます(恐山では受け付けません)。

 下北観光研究会(日本ツアーサービス内)・電話0175-23-2229

 コースは二つ。下北半島の観光を含む4万1800円のもの(募集人員30名)と、恐山参禅修行1泊2日のみの1万5000円コース(募集人員15名)です。お申し込みの際は、どちらを希望するか、係にお伝え下さい。募集人員に達した時点で、受付終了となります。

 我々もこれを教訓に、来年以降、さらによい参禅修行プログラムを作れればよいと思っております。ご参加・ご協力を心よりお願い申し上げます。


絵に描いた餅

2007年07月10日 | インポート

「そんなことは絵に描いた餅だね」

 時々私たちはこういうことがあります。本物の餅のように食べることができない絵の餅を、実現不可能なこと、ただの空想にすぎないことに喩えるわけです。

 しかし、考えてみれば、絵に描いた餅は食べられないのが当たり前で、まさに「食べられない」ことが、絵に描いた餅が絵に描いた餅として存在している事実を、端的に表していると言えるでしょう。絵に描いた餅が食べられたら、そのほうが大変です。

 空想の喩えとして意味を持つのは、人が絵に描いた餅を頭の中で「食べられる餅」と比べ、、それを「本物」と断定するからです。しかし、この「本物」という概念は、人間が都合で決めるものにすぎません。なぜなら、絵に描いた餅は絵に描いた餅としては「本物」なのですから。このことを否定して、食べ物としての餅のみを必要とする立場からの判断があってこそ、食べられる餅が「本物」と決まるのです。餅は餅にすぎず、「本物」も「偽物」もないでしょう。

  私は「本物」という考え方が、時に目の前のものを見る眼を曇らせると思います。「本物」かどうかに偏った関心が、目の前の人や物が自分にとって持つ意味を見失わせることがあると思います。

「究極」「本家」「元祖」たる「本物」のラーメンがあっても、食べて不味ければそれまでです。ぶらっと入ったラーメン屋のラーメンが思いのほか美味しかったら、それは人生の幸せの一つでしょう。

 もし「本物」を欲するなら、対象そのものを見てもダメです。自分は何をもって「本物」と決めたいのか、それを考えることが必要なのです。

 お知らせ。例の土屋アンナさん坐禅修行の一件、7月16日の午後9時半から、NHKハイビジョンで放送になるそうです。よろしければご覧下さい(私は恐山にいるので見られませんが)。