恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

長い間、ありがとうございました。

2015年05月30日 | 日記
 2004年から約1年間の休止をはさみ、10年余にわたって続けていた講座「仏教・私流」は、次回6月30日火曜日(午後6時半より、東京赤坂・豊川稲荷別院にて)をもって、終了いたします。聴講して下さった皆様、無償で会場をご提供いただきました青松寺様・妙厳寺(豊川稲荷)東京別院様に、心より深く御礼申し上げます。ありがとうございました。

 ブッダから道元禅師に至る、インド・中国・日本の仏教思想を俎上に乗せて、自分の問題意識だけで好き勝手にしゃべるという無謀な講義が、これほど長く続いて完結するとは、実は思っていませんでした。

 当初は30人程度の参加者で始まったものが、次第に増え、ここ4、5年くらいは100人をはるかに超え(実数は調べたことがありません)、最近は部屋に収まらず廊下に坐る方や立ち見の方がいて、申し訳なく思っていました。

 なんだか急に人が増えてきたなァと思い出したのは、私が講義前に思い付きの小話を始めたころからでした。新幹線の都合で5時半くらいに会場入りしていたら、6時頃までに結構な人数の方がお集まりになるので、退屈させるのも申し訳ないと思い、気楽な話で待ち時間をつないでおこうと思いついたのです。
 
 そうしたら、ほどなく6時までに会場が埋まるようになりました。私が所用で6時過ぎに会場入りしたりすると、皆さんの視線を一斉に浴びることになり、遅刻したわけでもないのに、遅刻したような罪悪感に陥ったものです。

 口の悪い友人などは、「おまえ、面倒な講義なんぞやめて、小話だけの会にしろよ」と言っていましたが、わかりやすいとは決して言えない講義を、本当に多くの方々に熱心に聞いていただき、感謝に堪えません。

 副産物がひとつ。現在、某雑誌に、この講義のダイジェストの、そのまたダイジェストのような文章を連載しています。いずれ勉強し直して書物にできればいいなとは思っていましたが、私をその気にさせるのが上手な旧知の編集者が、

「そんなことを言っていたら、いつできるかわかりませんよ。とりあえず枠を作りますから、ダイジェスト、やっちゃいましょう!」

「そんなこと言ったって、10年で100回くらいやってんだよ。それを1回30枚(原稿用紙)で10回なんて、無理だよ」

「諸行無常でしょ。いつかやるなんて言ってて、死んじゃったら終わりです。私がカタに嵌めてあげますから、やりましょう!」(この「カタに嵌める」という言い方、どこか懐かしいような)

 考えてみれば、講義をしたという事実をのこす意味で、取りあえずまとめるのもよいかと、今は彼に感謝しています。

 最後に今一度、御礼申し上げます。皆様、長い間、ありがとうございました。

「笑い」という無常

2015年05月20日 | 日記
 今を去ること30年前、修行道場に入門した日、一緒に上山した修行僧は56歳。刑務所の刑務官を退職して出家したテンシュウさんでした(住職だった父上が急逝したのです)。

 飢えと寒さに泣きながら厳しい先輩にしごかれている、といったイメージが流布する禅寺ですが、入門当初は実際、ことのほか厳しい。要領の悪かった私たち二人は、連日夜遅くまで絞られたものです。

 そんなある日、やっと寝ることが許されて、禅堂で作法通りに枕を並べて横になったとたん、テンシュウさんが、

「なあ、ジキサイさァん・・・」

 と東北訛りで話し出したのです。沈黙が絶対の禅堂です。先輩に聞かれたらただではすみません。

「ちょっ、ちょっと、テンシュウさん! しーっ!」

「あーっ、あったけぇ風呂にゆっくりつかりてえなァ・・・」(新入り修行僧の入浴は、監視付きカラスの行水)

 テンシュウさんは、最早がまんも限界と言う調子で、溜息交じりの話をやめません。

「あれまあ、さあ、ジキサイさんさァ、ここの修行が終わったら、二人で温泉に行くべえ」

「ちょっと、聞こえちゃいますよ!」

「それにしてもなあ、ここは刑務所よりひでえ・・・」

 これには私もびっくりして、

「えっ、ほんとに?」

「そうだあ、刑務所なら肉も食えるし、昼寝もできるう・・・」

 疲労困憊の上、脚気で足が腫れ上がっていた状態にもかかわらず、私は思わず笑い出してしまいました。

「アハハハハッ、そっかあ、刑務所以下のところなのかここは!」

 私が声を殺して笑っているのをみて、今度はテンシュウさんのしわだらけの深刻顔が破けました。

「そうだあ、あはははは・・・」

 私たちの経験など、しょせん大したことはありませが、ひょっとすると、人間はどんなに悲惨な境遇でも笑うことができるのかもしれません。それは、弱く頼りない人間の内奥に潜む、ある力であり希望かもしれません。

 自分自身の悲惨を、どこか外から見つめる別の視線を人は持ち、その悲惨さえ無常なものだということを、笑いは教えてくれているのでしょう。

 道場では歯を見せるなという戒めがある一方で、禅問答には「呵呵大笑」する修行僧がしばしば登場します。その大笑は、案外、重い何かを代償にしている。私にはそう思えるのです。


番外:恐縮です。

2015年05月13日 | 日記
 私事にて恐れ入りますが、お知らせ申し上げます。

 実は、当ブログが書籍(タイトルは『刺さる言葉』)になり、筑摩書房より出版されます。5月15日ころには、書店に並ぶそうです。
 また、それにちなみ、新宿・紀伊国書店本店で5月25日19:00より講演することになりました。

 ご関心の向きには、何卒よろしくお願いいたします。

 合掌

 追記:この記事のコメント欄はありません。

お地蔵様

2015年05月10日 | 日記
 5月1日、今年も恐山は無事開山の日を迎えました。写真は、開山期間中の無事を恐山の守護神に祈る法要です。以下は、当日私がした挨拶です。

 皆様、本日はようこそお参りいただきました。さわやかな青空の下、皆様をお迎えできたことを、心より嬉しく存じます。
 
 ご本尊延命地蔵菩薩様も、昨日お袈裟をお召しになり、この法要より皆様のご祈祷をお受けになります。

 お地蔵様は観音様と並んで、人々に大変親しまれている菩薩様ですが、お経によるとお地蔵さまは、地獄から天上世界まで、仏教でいう六道、すなわち六つの世界をめぐりながら、そこにいる衆生を救って歩くのだそうです。

 少し不思議に思うのは、なぜわざわざ地獄まで救いに行くのかということです。悪事を犯して堕ちた場所なら、そこで罪を償うのは当然ではないでしょうか。

 と、思っていたところ、最近こういう話を聞きました。

 そのご夫婦は、戦後ご商売をはじめ、二人で一心に仕事に励まれて、お店を順調に大きくされていきました。その矢先、旦那さんが病に倒れてしまうのです。

 それは進行性の難病で、旦那さんは寝たきりの状態になり、奥さんは一人でお店の仕事を切り盛りしながら、懸命な看病を10年あまり続けられたのだそうです。
 
 しかし、この奥さんはその最後に、旦那さんに手をかけてしまいました。推し量るに、病に苦しむ旦那さんが「死なせてくれ」と繰り返し訴えていたのではないでしょうか。

 だとしても、決して許される行いではありません。それは当然です。

 ですが、そのとき奥さんの周辺の人々が言ったのは責める言葉ではありませんでした。「亡くなった旦那さんも、死なせた奥さんも気の毒だ」という声がほとんどで、誰言うともなしに、減刑を嘆願する署名集めが始まったのだそうです。

 おそらく、周りの人々は日頃、奥さんがどれほど仕事と看護に努力していたのかを見ていたに違いありません。

 この話を聞いて、私は思いました。

 ひょっとしたら、お地蔵様には、私たちには見えない、地獄の衆生がいつかどこかで積んだわずかな善行や功徳が見えるのではないか。そして、一つでも善行があれば、それがもう一度行われる可能性がある。ならば、その積み重ねがいつか悪人を善人に変えていくかもしれないと、信じておられるのではないか。

 皆様、今日恐山にお参りいただき、お地蔵様とご縁を結んでいただいた功徳は無量でしょう。地獄の衆生の積んだ功徳さえ見えるお地蔵様は、皆さんの功徳をよくご存知です。

 とすれば、どうかその功徳を持ち帰り、ご縁のある周りの方々と分け合っていただきたいと思います。暖かい心とやさしい眼差しで会う人に接していただければ、私どもとしては本当にありがたく思う次第です。

 お参りはお宅にお戻りになるまでがお参りです。どうぞご無事でお帰り下さい。本日はまことにありがとうございました。