恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

言葉の反射神経

2007年03月24日 | インポート

 しばらく前、驚くような電話がかかってきました。とある民放が放送予定のバラエティ特番に、コメンテーターで出ないかというのです。始めは冗談かと思ったのですが、まじめな話なので、二度びっくり。相手も、ダメでモトモト、という雰囲気でしたので、丁重にお断りしました。

 相手は「バラエティなんかはダメでしょうかね」と言っていましたが、私は別にバラエティだからダメだというわけでもないのです。またテレビは全部お断り、というのでもありません。ただ、私にはテレビという媒体が基本的に合わないのだと思います。

 数少ないテレビ出演の経験から言って、テレビで何か言うには、思考というよりも、むしろ反射神経が必要でしょう。考えてものを言うには、沈黙、すなわち「間」が必要ですが、テレビ的には、この「間」は決定的にまずいでしょう。テレビに必要なのはテンポのよさであり、これを掛け合いでやるには、尋常でない言葉の運動神経のよさが求められると思います。バラエティなら尚更のこと、思考回路をショートカットするくらいのワザが要るでしょう。

 これをやれるのは、芸人として訓練されているか、もともと豊富な知識の蓄えがあって、即座に頭の引き出しから需要のあるコメントを出せるくらいの、力量あるインテリでしょう。私には、まず無理な話で、断るのが無難な選択です。

 もう一つ、私の抱える問題は、どうみても反射神経で対応することは無理です。テレビでいくら反射神経を鍛えてもらっても、当方にはさほど得るところはなく、人生残り時間を考えると、そろそろ時を惜しむべき頃合になりました。

 ところで、この話を弟子の一人にしたら、彼いわく、「やっぱり。師匠はテレビ向きですから」 なんだそれ?


満員御礼

2007年03月13日 | インポート

 12日に再開した講義、「仏教・私流 Part2」にお越しいただいた方、ありがとうございました。まさか、会場が一杯になるとは思ってもいませんでしたので、驚いてしまいました。隅の方で、窮屈な思いのままお聞きいただいた方、誠に恐縮でした。

 会場をざっと見渡すと、前回シリーズ以来の聴衆の方、旧青松寺サンガのメンバー、永平寺で一緒だった人、それに今回初めて参加の方、いわば、奇縁、好縁、腐れ縁に、新たに結ぶことのできた縁がからんだ、色とりどりの織物を見るような感じでした。

 今回はプロローグで、前回までのおさらいといった感じの話で終わってしまいましたが、次回からは本格的に中国仏教に取り組みます。引き続き、関心ある方々のご来場をお待ち申し上げます。


お不動さま

2007年03月04日 | インポート

Photo_53  恐山の地蔵殿、その裏手の山の奥に、不動明王がお祀りしてあります。不動明王はもともと密教のご本尊・大日如来の化身と言われ、如来の命を受けて怒りの相を示し、人間の煩悩を焼き、一切の仏敵・魔軍を滅ぼし、仏法を擁護する守護神とされます。

 恐山では、右の写真のような、いささか勾配のある坂道を登った奥に位置しており、境内から直接その姿を見ることはできません。Photo_55 この不動明王像は、一見したところ、そう古いものには見えないのですが、最近のものとも言えず、いつごろからこの場所にあるのか、はっきりとしません。

 ところで、霊場である恐山には、独自の仏教教義があるわけでもなく、あらゆる宗派や民間信仰を受容して今日に至っていますが、この不動明王像のある場所には、一つの立て札があり、ここに面白い説を書いています。教義というほどのものではないのですが、経典の説なども引きながら、この不動明王と地蔵殿の本尊地蔵菩薩、そして釜臥山の釜臥山大明神の本体・釈迦如来とは一直線上に並び、このことは三者が一体であることを意味すると言うのです。Photo_56  

 これは恐山独自の解釈で、いつごろから説かれているのか、やはりわかりません。ただ、阿弥陀仏や薬師仏をはじめ、諸仏菩薩や諸神が信仰されるているにもかかわらず、不動明王だけが特にとりあげられて、本尊の地蔵菩薩や仏教の教主・釈迦牟尼仏と一体だとされていることを考えると、やはり、密教系の修験者の影響が大きいのかもしれません。

 文字の記録として資料が残る以前、どのような教義があったのか無かったのか、もはや知りようもありませんが、興味が尽きず、往時が偲ばれてならないところです。