恐山は今年も10月31日、無事閉山しました。お参り頂きました皆様、まことにお疲れ様でした。ありがとうございました。
さて、今年、恐山で、もっとも強烈な印象を受けた参拝者との会話。21歳男子学生。
(院代さんに会いたいという宿泊者がいる、と言われて出て行くと)
学生「お忙しいのにすみません・・・・。あの、ちょっとご相談が」
私「どんなことでしょう?」
学生「あの、ぼく、大学やめて、引きこもりになろうと思うんですが・・・」
私「え?」
( おおっ! 引きこもりは、今や、将来の選択肢の一つになったのか!!)
私「ま、また、どうしたんです?」
学生「その、ぼくは前から人付き合いが苦手で・・・、大学でもそうで、それでやっと最近、友達ができたんですが・・・、その友達が冷たくなってきたんで、大学もやめようかと」
私「それで、いきなり引きこもるんですか?」
学生「いや・・・。やっぱり、別の大学、受け直した方がいいでしょうか?」
( そういう問題じゃないだろう!)
私「あのね、私は君のことをまだよく知らないから、そう思って聞いていてほしんだけどね。その、別に引きこもりが悪いと言いたいんじゃないんだ。君の家が大金持ちで、一生大丈夫なほどの遺産が君の手に入る予定だというなら、引きこもりも結構なライフスタイルだと思うよ。昔、『高等遊民』なんてのがいたらしいし。君の家、金持ち?」
学生「いえ」
私「父上のお仕事は?」
学生「大学の教授です」
私「じゃ、いくらんでも、遺産をアテにしてずっと引きこもりは無理だろう」
学生「そうですよね・・・。弟もいるし」
私「えっ! 弟って、弟さんも家にいるの!?」
学生「はい。中学の頃から引きこもりです」
( ど、どうしたんだ、この家は!)
私「だって、それじゃ、ご両親も困るだろう」
学生「と、思いますねえ・・・」
私「と、思いますって・・・。ご両親は何て言ってるの?」
学生「父は単身赴任で会うことがあまりないし・・・。母は、ぼくが学校やめて一人旅をしたいと言ったら、やめる前に恐山へ行って、南さんに会ってみたらって・・・。母は南さんの本を読んでるんです。赤い本・・・」
( ああ、なんてことだ・・・!)
彼との一件は、この種の相談に関する、いままでの私の常識を一変させるものでした。これまで、私のところに相談に来る人は、少なくとも、自分の現状に何らかの問題があると思って、やってきていたのです。
ところが、この若者は、どうやらそうではないのです。そうなのかもしれませんが、危機感は薄い。まるで、つまらない大学に行くかわりに、専門学校に行こうかという感じて、「引きこもりになろう」と言うのです。
さらに、この家族が、彼の状態をどう思っているのか、見当がつきません。すでに弟が引きこもり生活をしている上、今度は兄だと言うなら、息子を私のところに送り込んでくる以前に、何かもっと両親は手を打たないといけないんではないでしょうか?
私は本当に驚いてしまいました。そして、ある意味、実に深刻な問題をはらんでいると思いました。これはどう見ても、彼一人を相手にしていてもダメでしょう。この家族全体の人間関係の構造に、どこか決定的な問題があるはずです。それは、現代においては「家族」の中でさえ、と言うよりもむしろ、中だからこそ、人間関係を作り出す困難が、尋常でない程に深刻化しているのではないかということです。
しかし、たとえ求められたとしても、私のような他人が、こういう状況にどう関わればよいのか。関わってよいのか。
幸いにも(と言ってはいけないのですが)、その後、彼から連絡はないのです。