「君、この前どこかの講演で、また『仏教の話をしなくていいんですか?』って訊かれたらしいな」
「そうなんだ。ある大学の講座でしゃべったら、そこの学長と理事長から『大変結構でしたが、仏教の話はしなくてよろしいんですか』だとさ。前にも一度言われたことがあるけど、まさかもう一回言われることになるとは思わなかった」
「ところが、君はいつも最初から最後まで、仏教の話をしているつもりでしゃべっている」
「当たり前だろ! 他のどこに話の出どころがあると思っているんだ」
「大体、話に仏教用語が少なすぎるから、そう言われるんだろう」
「あのね、ぼくは、仏教用語を振り回しながら、つまらないどころか、何を言っているのかまるでわからない坊さんの説教を、今まで何度も聞きされたぜ。言葉の量の問題じゃない」
「確かにそうかもしれない。君の話を注意深く聞くと、やはり仏教の理屈が響いている感じはする。でも、話と理屈のつながりがはっきり見えないんだな」
「それはそうかもなあ。以前、ある先輩から『君の話は、ホップ・ステップ・ジャンプじゃなくて、いきなりジャンプ・一回転・またジャンプ、みたいなところがあるなあ』と言われた」
「それ、君がよく使う『問い』とか『実存』という言葉と関係あるんじゃないの?」
「うーん。僕はさ、ある言葉と出会うとさ、いつも自分のどこに刺さるのかを考えるんだ。つまり、ある言葉が自分の生きていることや存在の仕方について何を語り得るのか、それを考える」
「それはつまり、たとえば『縁起』という言葉なら、自分の在り方に引き付けて考えるとどういう意味なのか、ということか?」
「まずそんなところだ。だから、『縁起』の話を『生きていれば人間、みんなお互い様ということです』などというような、能天気な処世訓にはできない」
「で、『自己は他者から課せられる』みたいな話になる」
「で、そんなふうに自己流に『翻訳』しちゃうと、そこから別の発想が出てきて、さらに昔乱読した思想書か何かのアイデアを突然思い出したりして、話は膨らむは、それるは」
「聞いてるほうが『仏教』に聞こえないのは当然かもな」
「でもさあ、ぼくは仏教のアイデアが腑に落ちるように、身に沁みるように、リアルになるようにと思ってさあ・・・」
「しかしね、君の場合、その腑に落ちる、身に染みるがね、まずは自分の腑と身ばかりになってるから、ダメなんだよ」
「ダメはひどいなあ」
「じゃ、不親切」
「ああっ! 一言もない」
「いやに素直じゃないか」
「そう、ぼく、自分自身に対して説明がついた気分になると、風船がしぼむみたいに他人に対して説明する気持ちが萎えることがある」
「わがままもの」
「ああっ! でもさあ、子供のころからずっと自分を持て余しながら一人で考えてきて、こうなっちゃったんだよ。ちょっとだけ大目に見て下さい」
今年も当ブログにおつきあい下さり、ありがとうございました。皆様の新年のご多幸を祈念申し上げます。
合掌
「そうなんだ。ある大学の講座でしゃべったら、そこの学長と理事長から『大変結構でしたが、仏教の話はしなくてよろしいんですか』だとさ。前にも一度言われたことがあるけど、まさかもう一回言われることになるとは思わなかった」
「ところが、君はいつも最初から最後まで、仏教の話をしているつもりでしゃべっている」
「当たり前だろ! 他のどこに話の出どころがあると思っているんだ」
「大体、話に仏教用語が少なすぎるから、そう言われるんだろう」
「あのね、ぼくは、仏教用語を振り回しながら、つまらないどころか、何を言っているのかまるでわからない坊さんの説教を、今まで何度も聞きされたぜ。言葉の量の問題じゃない」
「確かにそうかもしれない。君の話を注意深く聞くと、やはり仏教の理屈が響いている感じはする。でも、話と理屈のつながりがはっきり見えないんだな」
「それはそうかもなあ。以前、ある先輩から『君の話は、ホップ・ステップ・ジャンプじゃなくて、いきなりジャンプ・一回転・またジャンプ、みたいなところがあるなあ』と言われた」
「それ、君がよく使う『問い』とか『実存』という言葉と関係あるんじゃないの?」
「うーん。僕はさ、ある言葉と出会うとさ、いつも自分のどこに刺さるのかを考えるんだ。つまり、ある言葉が自分の生きていることや存在の仕方について何を語り得るのか、それを考える」
「それはつまり、たとえば『縁起』という言葉なら、自分の在り方に引き付けて考えるとどういう意味なのか、ということか?」
「まずそんなところだ。だから、『縁起』の話を『生きていれば人間、みんなお互い様ということです』などというような、能天気な処世訓にはできない」
「で、『自己は他者から課せられる』みたいな話になる」
「で、そんなふうに自己流に『翻訳』しちゃうと、そこから別の発想が出てきて、さらに昔乱読した思想書か何かのアイデアを突然思い出したりして、話は膨らむは、それるは」
「聞いてるほうが『仏教』に聞こえないのは当然かもな」
「でもさあ、ぼくは仏教のアイデアが腑に落ちるように、身に沁みるように、リアルになるようにと思ってさあ・・・」
「しかしね、君の場合、その腑に落ちる、身に染みるがね、まずは自分の腑と身ばかりになってるから、ダメなんだよ」
「ダメはひどいなあ」
「じゃ、不親切」
「ああっ! 一言もない」
「いやに素直じゃないか」
「そう、ぼく、自分自身に対して説明がついた気分になると、風船がしぼむみたいに他人に対して説明する気持ちが萎えることがある」
「わがままもの」
「ああっ! でもさあ、子供のころからずっと自分を持て余しながら一人で考えてきて、こうなっちゃったんだよ。ちょっとだけ大目に見て下さい」
今年も当ブログにおつきあい下さり、ありがとうございました。皆様の新年のご多幸を祈念申し上げます。
合掌