恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

安らぎと災いのドア

2018年12月10日 | 日記
 先日都内で、たまたまラッシュ時の電車に乗りました。まさにすし詰めで、一度体を動かしたら、そのまま体が固定されて、身動きできなくなるような大混雑でした。

 その混雑の中、とある駅で、40歳くらいのサラリーマン氏が、乗り降りの人の流れを巧みにすり抜けて、反対側の閉じているドアの合わせ目あたり、つまり真ん中に身を挿し込んできました。そのちょうど右隣りに私がいたのです。

 電車が走り出すとすぐ、そのサラリーマン氏は、左脇に挟み込んでいた通勤カバンから、右手で器用に大きめのタオル地のハンカチを取り出し、ドアの合わせ目あたり、ほぼ目の高さに置いて、いきなりそこに額を着けました。そして軽く左右に体を振り、両足を肩幅に開いて(多分、そうしたんだと思います)、カバンを左脇に挟んだまま、デパートの店員のように両手を下腹部の前で組むと、なんと、そのまま眠り出したのです。

 彼の横顔と私の顔は50cmも離れていません。寝息が聞こえるのです。ビックリしました。次の駅で急にドアが開いたら大変だ・・・・と思った私は、すぐに気がつきました。

 違う!彼はプロだ! 彼は、毎日の通勤で、当然こちら側のドアがしばらく開かないことを熟知しているのだ。

 案の上、サラリーマン氏は、数駅過ぎた後、次の駅に電車が滑り込む直前、やおら額を離すとハンカチをカバンのサイドポケットに納め、ドアが開いた瞬間に、誰より早く最寄りの階段に足をかけていました。

 鮮やか! 実に名人芸でした。そして、この練達の技が、私に40年近く前の記憶を呼び起こしました。

 当時学生だった私は、ある日、深夜の山手線に乗りました。もう乗客は多くなく、私はドア近くの席に腰を下ろしました。

 もう駅を覚えていませんが、その電車はすぐに出発せず、2、3分は停止していたでしょう。そこへ、同じ学生風カップルがあわただしく階段を駆け下りてきて、男だけが乗り込みました。視界に入って来たので、何気なく見ると、その男は実に見事なリーゼント頭をしていました。

 当時リーゼントが流行っていたのかどうか記憶にありませんが、とにかくその男は、額から10cmは突き出して固められた、コテコテのリーゼントでした。

 乗り遅れると思って急いできたのでしょうが、拍子抜けというか幸運というか、しばしの時間がある、とわかったリーゼント男は、ドアの真ん中に仁王立ちして、彼女と別れを惜しみ始めました。

 出発のアナウンスが聞こえ、ベルが鳴り始めても、彼はドアのギリギリの所に立ち、「またあしたねェ」という甘ったれた鼻声に、「おう、気をつけて帰るんだぞ」みたいな声をかけていました。そこへ、ドアが閉まります!

 おそらく、男の予定では、ドアが閉まる直前まで互いに見つめあい、閉まる刹那に身と頭を引くはずだったのでしょう。

 ですが! 彼はまさに自分のリーゼントの10cmを忘れていたのです!! 彼が頭を引いたその時、ばっちり、ドアは彼のリーゼントを挟み込みました!!!

「憎むべきカップル」の「情愛ある別れ」を目の当たりにしていた私(当時、ほぼ引きこもり状態)は、想定外の展開に一挙にテンションが高まり、実に快哉を叫びたい気分でした。

 リーゼント男は動転します。頭がドアに張り付き、首から下しか動きません。なんとか前髪を抜こうとしますが、固めたリーゼントはそれなりに太く、ドアに完全に挟まれては、とても抜けるものではありません。

 男は、立ったま腕立て伏せをするように両手をドアにツッパリ、なんとか引き抜こうとするのですが、とても無理です。それよりも、頭を中心にTシャツ・ジーパンの後ろ姿全体がフラダンスのごとくくねるので、私は噴き出しそうで困りました。

 そのうち、他の乗客も気がつきだして、ひそひそ話と小声の笑いが漏れ始めました。いよいよ焦るリーゼント男!

 と、突然、男の動作が止まり、手が下がりました。要は、無駄な抵抗は止めて、次の駅に着くまで待つことにしたのです。

 ところが! なんと!! 次の駅は降り口が逆側だったのです!!!

 再び焦りまくるリーゼント男! 噴き出しそうながら同情の気分も沸いてきた私! もう笑うに笑えず、それでも笑いを漏らす乗客!

 ついに男はすべての抵抗を諦めて、だらりと両手を下げ、頭でドアに寄り掛かるようにして、万事休す!! 寝たふりを始めました!!!

 いやあ、実に久しぶりに思い出しました。

 こういう記憶がいくつかあると、しばし辛いことが続いたとき、少しラクになるものです。 ありがとう! リーゼント男!!
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トップと3番目

2018年11月30日 | 日記
 初期経典の『大般涅槃経』には、いよいよブッダがニルヴァーナに入る直前、9段階の禅定(九次第定)を上下に入出して、最後に下から4番目の禅定から完全なニルヴァーナに入ったとされています(ブッダの死)。

 下から4番目からニルヴァーナに入れるなら、その上の5つの禅定は無駄なのではないかという気がしますが、この九つの禅定に関しては、もう一つ面白いことがあります。

 経典を読むと、様々な禅定が出てきますが、ほとんどは思わせぶりな名前がついているだけか、非常に抽象的な説明があるだけで、各禅定において具体的にどのような心身状態になるのかなどは、まったく教示されていません。

 たとえば、最高位の「滅尽定」はブッダのみが到達した境地とされますが、だとすれば、それは「悟り」とか「存命中の涅槃(有余涅槃)」、あるいは「解脱」同様の状態でしょうから、これがどういう心身状態か、極めて興味深いところです。

 この疑問を考える時に参考になるのは、最高位の「滅尽定」の次、第2位の「非想非非想定」と第3位「無所有処定」の存在です。

 この2つは、ブッダが悟る前、ゴータマ・シッダッタ青年が出家後に師事した修行者二人の指導する禅定で、シッダッタ青年はたちまちその禅定をマスターしますが、その直後にこれらの禅定は「悟りにも涅槃にも導かない」と考え、あっさり捨ててしまいます。

 つまり、ブッダが捨てた禅定が仏教の禅定体系の中に取り込まれ、後世には、在家人は第2位までは到達するが、最高位の「滅尽定」は出家者しか実現できない、などと教学の中で説明されるようになります。

 面白いのは、同じ『大般涅槃経』の中に、ブッダに可能な「滅尽定」と、修行者アーラーラ・カーラーマがかつてシッダッタ青年に教えた第3位「無所有処定」を、比較していると思われる叙述があることです。

 それはこういう話です。

 ある日、アーラーラ・カーラーマが禅定に入っていると、その近くを500台の車が大音響を立てて通りすぎました。直後、男が一人、彼に近づいて言いました。

「尊い方よ、あなたは五百台の車が通りすぎたのを見ましたか?」

「見ませんでした」

「音は聞きましたか」

「聞きませんでした」

「あなたは眠っていたのですか?」

「眠ってはいません」

「では、意識をもって(覚めて)おられたのですか?」

「そのとおりです」

 これを聞いて男は、覚醒しているにもかかわらず、過ぎていく五百台の車を見ず、その音も聞かなかったという、アーラーラ・カーラーマの禅定を讃嘆します。

 アーラーマ・カーラーマの弟子からこのエピソードを聞いたブッダは、次のように言いました。

 自分はある村に滞在したとき、大嵐に遭い、雷鳴が轟き、稲妻が走り、ついに落雷して、農夫二人と牛四頭が死に、群衆が飛び出してきたが、それを見ることもなく、音も聞かなかったが、しかし眠っていたのではなくて、覚醒していたのだと。
 
 この言葉を聞いて、弟子はブッダの禅定がはるかに勝ることを知り、師を捨ててブッダに帰依したというわけです。

 経典は、二人の禅定が「滅尽定」と「無所有処定」かどうか、触れていません。しかし、もしそうでないとすると、比較自体が無意味だろうし、そもそも比較になりません。 

 この場合、エピソードを読んですぐわかるのは、2つの禅定の差はレベル(深度)の差であって、質の差ではないということです。違いは、目覚めていても見も聞きもしなかった現象の、視覚的刺激の程度や音響の強度にすぎません。質の違いではないから、9段階の禅定に序列化できたのです。

 肝心なのは、違いではなく共通性です。両者ともに「見ないし聞かないのに、眠っているのではなく、覚醒している」と言っている、そのことです。

 これはすなわち、何を「見た」か・何を「聞いた」か一切判断せずに、ただ「見えている」「聞こえている」状態、すなわち感覚機能を完全な受動態に設定したということです。それはつまり、言語の作用をギリギリにまで低減したわけです。

 すると、「私は○○を見た・聞いた」という認識の〈自己―対象〉二元構造が崩れ、自意識は溶解していきます。

 ということは、特定の身体技法(禅定・坐禅)を用いると、言語機能が停止し、自意識が溶解していくのですから、これを裏返せば、実体を錯覚させるような自意識の在り方もそれ相応の身体的行為(代表的なのは競争と取引)に規定されているということです。

 この言語と自意識と身体行為の致命的な相関性が、禅定において体験的に実証されるとき、言語作用によって何ものかを実体視すること(無明)の錯誤が発見されるわけです。

 すなわち、仏教における様々な禅定の核心的意味は、まさに禅定が無明を自覚させる最重要の方法だということであると、私は思います。


 
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存在への敬虔

2018年11月20日 | 日記
 私の近著のカバー絵を提供して下さったのは、木下晋画伯です。画伯の絵を初めて見たときの衝撃は、今も忘れません。

 雑誌での連載が始まる前、

「今度の連載の挿絵に、これを使いたいんです」

 そう言って編集者が差し出した画集の表紙は、驚くべきリアリズムで描かれた合掌の鉛筆画でした。後日実物も見ましたが、絵は巨大なもので、しかもその細部にわたる描写は瞠目すべき、圧倒的な迫力でした。

 画集に掲載されている絵は、さらに衝撃的でした。どうみても80歳以上に見えるご母堂のヌード、容貌がすっかり変わってしまったハンセン病の治癒者(画伯は自身でモデルを依頼したのだそうです)、ホームレスの老人、などなど。

 どれもこれも、文字通り眼が釘付けになるような強度と密度を備えた表現です。

 私が何よりも印象深く思ったのは、モデルの皮膚への異様なこだわりでした。老いと病と疲労とを暴き出すような皮膚の精密な描きぶりは、画家の見ることへの欲望、その深淵を見る思いでした。

 ただしばらく画集を見ていたとき、ふと気がついたのは、皮膚に向けるのと同じような鋭利な視線が、モデルの眼の描写にも感じられることでした。

 皮膚を見る画家の容赦ない視線は、すでに大きな、時には極限的なダメージを負いながら、それでもなおそこに存在する人間を剥き出しにしています。

 しかし、同時に、その視線はモデルの眼によって折り返されます。見る者は見られる。自分を暴き出す視線を全身に浴びながら、彼らの視線も見る画家を暴き出す。画家はさらに、その視線さえも見ている。

 両者の視線は無限に交錯し、この「見る」「見られる」の只中に、それぞれの「存在」は開かれていきます。

 けだし、画伯の絵は、彼の見る欲望で描かれているのではなく、「存在すること」への敬虔が、画伯に描かせているのです。
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幽霊と枯れ尾花

2018年11月10日 | 日記


 10月31日、今年も恐山は無事閉山の日を迎えました。ご参拝いただいた皆様、誠にありがとうございました。お疲れさまでございました。

 写真は当山御用達のカメラマンによる秋景色4点。左から、恐山街道、宇曽利山湖、山門と地蔵山、高台からの賽の河原(写真の真ん中付近に賽の河原地蔵堂)です。

 さて、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということわざがあります。恐怖心や疑いがあると、何でもないものまで恐ろしく見える、あるいは、恐ろしいと思っていたものも、正体がわかれば何でもないものだということのたとえです。

 この場合、その場にいる人には、「幽霊」とも「枯れ尾花」とも見当がつかない、いわば認識が宙吊りになる瞬間があるでしょう(「不安」という感情の領域)。それは何事かが起こっていることは意識できても、「〇〇が存在する」という認識が持てない(=言語化ができない)時間であり、存在の手前の事態です。

 この時間、あるいは事態をいかなる方法でも名指ししてはいけません。「ブラフマン」とか「タオ」とか「絶対無」とか「純粋経験」とか。それらが「ある」といってはいけないのです。

 同時に、たとえ何であれ、「ある」と言うためには、「〇〇」を必ず名指ししなければなりません。

 いや、「言葉で言えないもの」「何がなんだかわからないもの」も「ある」のだと言うなら、それは「?がある」ということに留まるのであり、それ以上でも以下でもなく、「ある」という述語にかかわる言表として無意味です(それ以外何も言えない)。

 したがって、存在手前の事態や時間を恣意的に名詞化して、次のような文脈に挿し込んではいけません(Aの位置)。

「まことに万有を生むものとしてのA自然の本性は、それら万有のうちの何ものでもないわけである。(中略)それ自体だけで唯一の形相をなすものなのである。否、むしろ無相である。(中略)否、むしろ厳密な言葉づかいをするなら、『かのもの』とも、『そのもの』とも言ってはならないことになる」

 上の文書は新プラトン主義者のプロティノスが自身の絶対理念「一者」について述べたものです。「A」には「ブラフマン」「タオ」「絶対無」「純粋経験」のいづれも代入可能でしょう。

 仏教はこの名指しと語りを禁欲するのです。そして誰かが名指しして語り出したら、それを批判し解体するのです。

 道元禅師の言う「非思量」とは、幽霊でも枯れ尾花でもない、存在の手前を露わにする行為と言えるでしょう。「ある」も「ない」も無効となり、ここにおいて「無記」を実践的に担保するわけです。
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経年劣化

2018年10月30日 | 日記
 私は原則的には朝、どうしても無理な時はできる時間を択んで、坐禅をしています。これは修行と言うよりもはや習慣で、それなりに落ち着いた坐禅になっています。

 ところが、ここ半年くらい前から、突然、坐禅で組んでいる足が落ちるようになったのです。これは一大事です。

 坐禅の足の組み方の基本は「結跏趺坐」と言います。胡坐のように坐ってから、右足を左腿の上に乗せ、左足を右腿の上に乗せる方法で、私も30年以上、この坐り方でやってきました。

 なのに、ある日突然、坐禅を始めてしばらく時間が経つと、左足がじわじわずれ動き、しまいに右膝から床に落ちてしまうのです。何度やり直しても同じ。これでは私が今まで作ってきた坐禅が機能しません。大変です。

 足を逆に組んでも、今度は右足がずり落ちます。足の位置を様々に変え、ミリ単位で調整してもダメ。最後は足にタオルを咬ませてみました。すると、足は止まるのですが、微妙に姿勢に影響して坐禅の安定を損ないます。

 その上さらに不思議なのは、恐山で坐禅するときだけ、足が落ちずに安定していることです。なぜだ!?

 私は途方に暮れてしまいました。とにかく原因がわからない。

 さんざん考えて一つ思いついたのは、スクワットです。

 50歳を過ぎたころから、足腰が衰えだしたのか、私は階段で時々躓くようになりました。列車での移動が多く駅の階段を頻繁に使う身には、これはまずい。周りの人にぶつかったら危険この上ない。

 そこでスクワットをするようになったのですが、これが太腿を大きくして、坐禅のバランスを崩したのではないか?

 しかし、考えてみれば、もうずいぶん昔のことで、最近回数を急に増やしたわけでもありません。なのにここにきて、なぜ急に足が落ちるのか?

 問題の解決は、発生同様、唐突に起こりました。

 ある日、知り合いの人と一緒に坐禅をしていたら、やはり途中で足が、ドスン!と音を立てて落ちてしまいました。静寂の時間ですから、本堂中に大音声で響きます。

 坐禅を終え、私は不調法を詫び、苦衷を話してみました。すると、その人はあっさり、

「尻の肉が落ちて薄くなったんでしょ。それが限界値を超えて、姿勢全体のバランスが崩れたんですよ。老化現象ですな!」

 が、が~~~~ん!! えっ、そうなの? 老化!?

 試しに子供用の小さい坐蒲(坐禅用のクッション)を出してきてやってみたら、なんとこれがバッチリ!

「それでも大きいんじゃないですか? そこの座布団、それ一枚で十分に見えますけどね」

 え、えっ、これ以上?

 で、坐ってみると、もっとバッチリ!!

 これで恐山でだけ足が落ちない理由がわかりました。恐山で私は、導師用の蒲団(坐褥)が置いてある台の上で、坐禅をしていたのです。柔らかい蒲団の真ん中に坐蒲があるので、坐ると沈み、体のバランスが自然と最適に調節されたわけです。

 私は思い出しました。修行僧時代、老師方の坐蒲が、年を重ねるにつれて段々小さくなっていくのが不思議だったことを。とりわけ、前の永平寺貫首・故宮崎奕保禅師、生涯を坐禅で貫かれた大禅師の晩年、その坐蒲が、直径20センチ・厚さ5センチくらいにしか見えなかったことを。あれなら無くてもよいんじゃないかと思ったものです。

 指摘した坐禅人いわく、

「あなたもいよいよ『老師』の域に達しつつありますな! いや、めでたい、あははははははは(爆笑)」

 ううっ・・・・ 諸行無常・・・・、

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「あるべきはずのニルヴァーナ」

2018年10月20日 | 日記
 私は今までに何度か書評をする機会を与えられたことがありました。
 以下は、茂木健一郎氏の『生命と偶有性』という著書についてのものですが、いま読むと、自分の仏教観がわりと素直に、かつシンプルに出ているので、畏れながら紹介させていただきます。



「あるべきはずのニルヴァーナ」

存在すること自体は取るに足りないことだろう。しかし、「なぜ」と問うなら、それは厄災となる。
不治の病に侵された者が、最愛の子供を奪われた者が、天災ですべてを失った者が発する、「なぜ」。
この言葉は理由を問うているのではない。そうではなくて、存在を問うている。彼らがそのように存在していることの無根拠さを露わにしているのだ。そこに、問う存在たる「人間」の絶対的な孤独がある。絶対的とはどういうことか。人は人であるかぎり、たとえやめたくても、「なぜ」と問うことをやめられない、ということである。我々は「なぜ、なぜと問うのか」とさえ問いうる。それこそが根源的な欲望、「無明」なのだ。

存在するものには根拠が欠けている。私が仏教から読み取った「諸行無常」の意味はそれである。このとき、なぜ「諸行無常」なのかを問い、「理由」を探そうとするなら、まさに厄災を招く「無明」となる。
仏教が私に示したのは、「なぜ」と問うことを断念せよ、ということだった。「なぜ私は存在するのか」と問うな。「どのように存在するのか」を問え。「すべては無常である。なぜか」ではなく、「すべては無常である。ならば、どうする」と問い続けよ。
それは無常であることに覚悟をきめながら、あえて自己であり続けるという困難を受け容れる意志である。

人間が「自己」という形式でしか存在し得ない業を背負うなら、いかなる自己であろうとするかを問い続け、「自己」を作り続けなければならない。
ならば「自己」とは、偶然の怒濤をあえて渡ろうとして、数々の難破の果てに、ついに彼の岸に乗り上げた必然という名の小舟である。渡り終わったとき、小舟は思い残すことなく捨てられる。ブッダの説くニルヴァーナを、私はそういうものだと思ってきた。

私が「無常」と言い続けてきたことを、本書で茂木健一郎氏は「偶有性」と言う。私が「厄災」と言っていることを、茂木氏は「奇跡」と言うだろう。つまり、私にとって存在は「苦」であっても、彼にとっては「美しい躍動」なのだ。
私は心底羨ましい。同じようなことを前提として考えながら、彼は存在を、生命を、享受し祝福しようとしている。
「クオリア」として開かれた彼の道程は、リアルとバーチャルの対立を無効にする、「あわい」としての「仮想」に至り、いま「リアル」を真に「リアル」として現成する条件たる、「偶有性」に届こうとしている。

 私はこれまで、彼が次々に提唱する刺激的な言葉に接するたび、自分が学んだ限りでの仏教の考え方に引き寄せてみた。
たとえば、「空」や「縁起」を説く中観思想、認識の構造を明かそうとする唯識思想などとの関係に思いをめぐらすと、その底に茂木氏のアイデアに共通する水脈を感じざるを得なかった。
そればかりではない。私には及びもつかない茂木氏のずば抜けた知性が、客観的対象の単なる科学的理解ではなく、常に具体的な「一人称の生」、つまり「自己」をどう担っていくかに向けられていることを見れば、それが道元禅師の言う「自己をならう」修行、禅家が標榜する「己事究明」の姿勢と同じであることは、一目瞭然であった。

 しかもそうすることで、彼は、私が打ち捨てられるべきだと思っている小舟を、慈しんでいるのだ。そこにはおそらく、私がまだ味わったことがない、求道の悦楽があるかもしれない。彼は言う。
「偶有性の本質を見失わない限り、私たちは戦慄し続けることができる。この一瞬は過ぎ去る。そして、何も死ぬことはないのだ」
だとするなら、その求道の果てにも、私が想像もできない、もうひとつのニルヴァーナがあるはずなのだ。茂木氏はそれを「無私を得る道」と呼ぶ。
「私秘的な体験に誠実に寄り添うことの中にこそ、巨大な宇宙につながる術がある。この認識こそが、これからの困難な時代に私たちの未来を照らす希望でなければならない」
この希望が「恩寵」でなくてなんであろう。


『波』(新潮社 2015年6月号より)
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次の世代と秋季祭

2018年10月10日 | 日記
 本年秋季祭直前の3・4日、30代を中心とする僧侶の方々が研修に来山されました(未来の住職塾サンガ)。

 いわゆる伝統教団に所属する若手のお坊さんが超宗派で参加する勉強会のようなものらしく、すでに何回も集まりを重ねているのだそうです。

 これまでは時代環境の急激な変化の中、今後の寺院をどう運営していくかに焦点をあてて活動していたそうですが、今年から従来の組織を改め、未来の「僧侶のあり方」を考える方向にも活動を広げていくのだそうです。その手始めとして、恐山で研修したいという依頼があったわけです。

 実は、私は最近、自宗派の僧侶の研修のみならず、他宗派の住職研修や青年会活動での講演を依頼されることが増えてきました。そのほとんどが、「今後の教団と僧侶」問題をテーマにするものです。

 一度、なぜ宗派の違う私なんかに依頼されるんですかと訊いてみたら、「あなたほど思い切った言い方をする人間が、自分たちの宗門内にいない」と言われてしまいました。

 思い切ったこと言わせてもらえる宗派に属していてよかったなと、内心しみじみ感謝しましたが、確かに私が言うことは、檀家制度を前提に組織された教団体制・教学体系・僧侶養成システムを持つ全ての宗派に共通する問題だと思います。

 今回も、日ごろの考えをストレートに言わせていただきましたが、皆さんには非常に熱心に聴いていただき、質問も活発でした。講演後の分科会でも突っ込んだやりとりが長時間続いたと聞きました。

 前にも言いましたが、少子高齢化・人口減という未踏の領域に踏み込んでいく日本では、もはや60歳以上からまともな知恵は出ません。今後の荒波は、まず40歳以下の世代の試行錯誤によって乗り切ってもらうことを期待するだけです。

 翌日、境内案内の途中やお見送りの間際まで、質問が途切れず、一人の質問の周りに数人の方が集まって私との問答を聞いていただきました。その真剣な姿を見ていると、もはや否も応もなく、この世代に未来の伝統教団を託す以外に選択肢がないことを、いまさらながら実感しました。

 皆さんの精進を祈るばかりです。

 1日おいて6日から、秋季祭でした。台風通過にもろにかかった3日間で、特に7日は今まで経験したことがないような強風。小石が舞い上がる通称「賽の河原」への参拝を停止し、建物の雨戸をすべて閉めざるを得ませんでいた。もちろん参拝者も大減少。参りました。

 その強風の日、わざわざ塔婆供養にみえられたおばあさんがいました。旦那さんと早くに亡くなった娘さんの供養を申し込まれて、一言。

「こんな日でもお祭りさ、やってる。ありがてえ」

 こちらこそ、ありがたかったです。そして、変えたくない大切なことを守るために、我々は変わらなければならないのだと思います。
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「原点」への帰り方

2018年09月30日 | 日記
「君は今までも、思想には仏教と仏教以外しかない、なんていう極端な物言いをしていたが、最近は仏教各宗派の教えにも随分思い切ったことを言ったよな」

「浄土教系の教えなら一神教の方がよほど割り切れてスッキリするし、密教ならウパニシャッドやヴェーダ―ンタの思想で事足りるというヤツか?」

「そうだよ。僭越な言い分だと思うけどね」

「まあ、そのとおり。承知の上であえて言ったんだけどね」

「あえてとは?」

「バブル崩壊後の我が国のような社会の転換期に入ると、人々の存在不安が蔓延して、思想・宗教への需要が高まるのが通例だ」

「その需要に応えて、新思想や新宗教が続々と現れたりするな。」

「同時に、従来の思想・既存の宗教は、それまでの思想や集団体制が機能不全を来して、新しい展開への模索が始まるだろう」

「つまり、改革派の台頭だな」

「そう。そのとき、よく改革派で主張されるのが『原点回帰』という文句だ」

「教祖や宗祖の教えに帰れ、みたいな」

「そう。仏教ならブッダに帰れ、とか」

「日本だと宗派意識が強いから、それぞれの宗祖の教えに帰れ、とも主張されるよな」

「いわば仏教の教主とも言えるブッダより、宗祖への帰依を強調するのは日本仏教の特徴だろうな」

「どうしてだろう?」

「ひとつは、最澄上人が、他のアジア各国の仏教よりも早い時期に、僧侶の国家管理を離脱することに成功したことだな」

「それは、奈良時代の国立戒壇から相対的に自立した大乗戒壇を設置したことか? 実際の設置は上人の没後だが」

「そうだ。自前で宗門僧侶を養成することに道を拓いた功績は大きい。これが日本での宗派仏教の勃興を可能にした大きな要因だと思う。」

「そこで、『原点回帰』にも宗派意識が働くわけか。教主をさしおいて」

「その傾向が強いと思う」

「で、その『原点回帰』がどうした? それと君の僭越な物言いとどう関係がある?」

「さっき言ったように、時代の転換期に人々の存在不安に応えて『原点回帰』しようとするなら、それなりの方法がある。ぼくがいま考えるのは、日本の伝統教団各宗派に属する僧侶、特に将来を担う若い世代には、外してはいけない三つの問いがあるということだ」

「ほう。何だ、それは?」

「まず第一に、自分自身にとって、教主ゴータマ・ブッダとはどのような存在なのか、必要な存在なのか、必要ならどう必要なのか。第二に、宗祖はどういう存在なのか、必要な存在なのか、必要ならどう必要なのか。第三に、教主の思想と宗祖の教えの関係をどう考えるのか。自分はどう整理しているのか」

「それが、君の言う『原点回帰』か?」

「まあ、そうだ。これらの問いが例の僭越な言い草の根底にある」

「となると、事は浄土教や密教だけの話ではない」

「当然だ。わかりやすいから例に出したまでだ」

「そのような回帰が必須なのだろうか」

「日本においても、寺と家(住職と檀家)の関係から、僧侶と信者(指導者と個人)の関係へと、伝統教団の教学と体制のパラダイムを転換する必要があるなら(ぼくはあると思うが)、不可欠な作業だと思うね」
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番外:ほっとしました。

2018年09月21日 | 日記
「お前が賞をもらった本を出した出版社が、かなりヤバいぞ」と言って、知人が例のLGBTに関する論文を掲載した雑誌のコピーを送ってきました。

 事の発端となった国会議員の主張を新聞で知ったときは、人間の在り方を「生産性」の一事で割り切る愚昧で貧困なアイデア(人間は生産するために生まれてくるのではなく、生まれてくれば生産することもあるに過ぎないにもかかわらず)に呆れましたが、相応の批判はすでに受けていたし、愚かな考えを表明するのも言論の自由の内かと、傍観していました。

 しかし、今度目にした文章はいけない。LGBTと犯罪行為(痴漢)を同列に論じるなど、もはや暴論を通り越してヘイトスピーチの域に達しています。

 過去に部落差別やハンセン病差別に加担した伝統教団の一員としては、出版社に何も言わないわけにもいかないなと気持ちが沈んでいたところ、その出版社の内部から批判の声が上がりました。

 いや、ほっとしました。いささかマッチポンプのきらいがあるものの、会社内部から明確な批判があったことは慶賀の至りです。

 ただ、あの文章は事前に「ヘイトスピーチ」と認定して、会社は掲載をやめるべきだったでしょう。

 さらに自浄作用が働くか、今後に期待したいと思います。


追記: 本記事公開後、新潮社社長のこの件についての「見解」が出たことを知りました。前進だとは思いますが、トップが非を認める発言をする以上は、より具体的に問題を指摘し、特にLGBT当事者の方々に対しては、不見識な掲載に及んだ経緯を反省した「お詫び」の言葉があってしかるべきです。

再追記:25日に、新潮社より当該雑誌の休刊と、社名による「反省」と「お詫び」が発表されました。働くべき自浄作用が働いたと思います。本当に心からほっとしました。
 
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還暦の繰り言

2018年09月20日 | 日記
 これまでも本ブログで何度か触れてきましたが、還暦を期して、これを最後に申したく存じます。

 我が国の将来を考えるときの決定的な政治上の課題は、人口と少子高齢化の急速な進行の中で、現在の国力と経済規模を維持するために移民を大規模に受け入れるのか、そうではなくて、基本的に移民は受け容れず、戦略的かつ効果的に国を縮小・ダイエットして、スマートで質実剛健な社会・経済システムを作るのか、そのどちらかを選択することです。

 さらに具体的に言えば、選択した新たな国の枠組みにおいて、子育て・教育と介護にどれだけ政策的財政的資源を投入できるかを考えることであり、同時に法外なレベルに達した財政赤字をどう解消するか、はっきりしたプランを立てることです。

 このことは、結局、国民に利益を分配する政治から、負担を割り振る政治に転換することであり、その覚悟を決めない限り、まともな「将来」の構想は出て来ないでしょう。

 にもかかわらず、移民問題をまともに考えることもせず(労働力商品として「輸入」したいだけの新制度)、子育てと介護の不安がある時に人が金を使うわけがないのに、延々と札束をばらまいて、またオリンピックをやり、もう一つ新幹線(リニア)を作って、新たに賭場を開帳すれば、「経済成長」して万事よろしく行くだろうなどという、「60年代の高度成長」の夢よもう一度的な、馬鹿げた幻想をいつまで抱いているのでしょう。

 すでに大した効果もなくバラマキは限界を迎え、株と求人倍率の数字しか見ないでいるうちに、社会・経済構造の腐食は確実に進行し続けます。

 邪な理由(本音は経済効果なのに東北復興を名目に掲げるいかがわしさ)で呼び込んだオリンピックは、度重なる不祥事の果てに、ほとんど善意の搾取の如き「ボランティア」募集(11万人をほぼタダで動員するという、倒錯的アイデア)を行い、運動会と抱き合わせで「サマータイム」導入を画策するという、信じがたい無鉄砲さを曝け出しています。まともな理念で国民感情を統合できないから、これほど杜撰な思いつきで事を勧めようとするのでしょう。

 賭場を開帳して儲けようというアイデアに至っては、その志の低さを思えば、「美しい国」や「武士道」が泣くでしょう。

 いまや有権者たる我々は、自らに痛みや負担を引き受ける覚悟をして、その覚悟を説き、痛みの具体的な割り振りを提案する、勇気ある政治家を選ぶ度量を示さなければならないはずです。
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