恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

次の世代と秋季祭

2018年10月10日 | 日記
 本年秋季祭直前の3・4日、30代を中心とする僧侶の方々が研修に来山されました(未来の住職塾サンガ)。

 いわゆる伝統教団に所属する若手のお坊さんが超宗派で参加する勉強会のようなものらしく、すでに何回も集まりを重ねているのだそうです。

 これまでは時代環境の急激な変化の中、今後の寺院をどう運営していくかに焦点をあてて活動していたそうですが、今年から従来の組織を改め、未来の「僧侶のあり方」を考える方向にも活動を広げていくのだそうです。その手始めとして、恐山で研修したいという依頼があったわけです。

 実は、私は最近、自宗派の僧侶の研修のみならず、他宗派の住職研修や青年会活動での講演を依頼されることが増えてきました。そのほとんどが、「今後の教団と僧侶」問題をテーマにするものです。

 一度、なぜ宗派の違う私なんかに依頼されるんですかと訊いてみたら、「あなたほど思い切った言い方をする人間が、自分たちの宗門内にいない」と言われてしまいました。

 思い切ったこと言わせてもらえる宗派に属していてよかったなと、内心しみじみ感謝しましたが、確かに私が言うことは、檀家制度を前提に組織された教団体制・教学体系・僧侶養成システムを持つ全ての宗派に共通する問題だと思います。

 今回も、日ごろの考えをストレートに言わせていただきましたが、皆さんには非常に熱心に聴いていただき、質問も活発でした。講演後の分科会でも突っ込んだやりとりが長時間続いたと聞きました。

 前にも言いましたが、少子高齢化・人口減という未踏の領域に踏み込んでいく日本では、もはや60歳以上からまともな知恵は出ません。今後の荒波は、まず40歳以下の世代の試行錯誤によって乗り切ってもらうことを期待するだけです。

 翌日、境内案内の途中やお見送りの間際まで、質問が途切れず、一人の質問の周りに数人の方が集まって私との問答を聞いていただきました。その真剣な姿を見ていると、もはや否も応もなく、この世代に未来の伝統教団を託す以外に選択肢がないことを、いまさらながら実感しました。

 皆さんの精進を祈るばかりです。

 1日おいて6日から、秋季祭でした。台風通過にもろにかかった3日間で、特に7日は今まで経験したことがないような強風。小石が舞い上がる通称「賽の河原」への参拝を停止し、建物の雨戸をすべて閉めざるを得ませんでいた。もちろん参拝者も大減少。参りました。

 その強風の日、わざわざ塔婆供養にみえられたおばあさんがいました。旦那さんと早くに亡くなった娘さんの供養を申し込まれて、一言。

「こんな日でもお祭りさ、やってる。ありがてえ」

 こちらこそ、ありがたかったです。そして、変えたくない大切なことを守るために、我々は変わらなければならないのだと思います。
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「原点」への帰り方

2018年09月30日 | 日記
「君は今までも、思想には仏教と仏教以外しかない、なんていう極端な物言いをしていたが、最近は仏教各宗派の教えにも随分思い切ったことを言ったよな」

「浄土教系の教えなら一神教の方がよほど割り切れてスッキリするし、密教ならウパニシャッドやヴェーダ―ンタの思想で事足りるというヤツか?」

「そうだよ。僭越な言い分だと思うけどね」

「まあ、そのとおり。承知の上であえて言ったんだけどね」

「あえてとは?」

「バブル崩壊後の我が国のような社会の転換期に入ると、人々の存在不安が蔓延して、思想・宗教への需要が高まるのが通例だ」

「その需要に応えて、新思想や新宗教が続々と現れたりするな。」

「同時に、従来の思想・既存の宗教は、それまでの思想や集団体制が機能不全を来して、新しい展開への模索が始まるだろう」

「つまり、改革派の台頭だな」

「そう。そのとき、よく改革派で主張されるのが『原点回帰』という文句だ」

「教祖や宗祖の教えに帰れ、みたいな」

「そう。仏教ならブッダに帰れ、とか」

「日本だと宗派意識が強いから、それぞれの宗祖の教えに帰れ、とも主張されるよな」

「いわば仏教の教主とも言えるブッダより、宗祖への帰依を強調するのは日本仏教の特徴だろうな」

「どうしてだろう?」

「ひとつは、最澄上人が、他のアジア各国の仏教よりも早い時期に、僧侶の国家管理を離脱することに成功したことだな」

「それは、奈良時代の国立戒壇から相対的に自立した大乗戒壇を設置したことか? 実際の設置は上人の没後だが」

「そうだ。自前で宗門僧侶を養成することに道を拓いた功績は大きい。これが日本での宗派仏教の勃興を可能にした大きな要因だと思う。」

「そこで、『原点回帰』にも宗派意識が働くわけか。教主をさしおいて」

「その傾向が強いと思う」

「で、その『原点回帰』がどうした? それと君の僭越な物言いとどう関係がある?」

「さっき言ったように、時代の転換期に人々の存在不安に応えて『原点回帰』しようとするなら、それなりの方法がある。ぼくがいま考えるのは、日本の伝統教団各宗派に属する僧侶、特に将来を担う若い世代には、外してはいけない三つの問いがあるということだ」

「ほう。何だ、それは?」

「まず第一に、自分自身にとって、教主ゴータマ・ブッダとはどのような存在なのか、必要な存在なのか、必要ならどう必要なのか。第二に、宗祖はどういう存在なのか、必要な存在なのか、必要ならどう必要なのか。第三に、教主の思想と宗祖の教えの関係をどう考えるのか。自分はどう整理しているのか」

「それが、君の言う『原点回帰』か?」

「まあ、そうだ。これらの問いが例の僭越な言い草の根底にある」

「となると、事は浄土教や密教だけの話ではない」

「当然だ。わかりやすいから例に出したまでだ」

「そのような回帰が必須なのだろうか」

「日本においても、寺と家(住職と檀家)の関係から、僧侶と信者(指導者と個人)の関係へと、伝統教団の教学と体制のパラダイムを転換する必要があるなら(ぼくはあると思うが)、不可欠な作業だと思うね」
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番外:ほっとしました。

2018年09月21日 | 日記
「お前が賞をもらった本を出した出版社が、かなりヤバいぞ」と言って、知人が例のLGBTに関する論文を掲載した雑誌のコピーを送ってきました。

 事の発端となった国会議員の主張を新聞で知ったときは、人間の在り方を「生産性」の一事で割り切る愚昧で貧困なアイデア(人間は生産するために生まれてくるのではなく、生まれてくれば生産することもあるに過ぎないにもかかわらず)に呆れましたが、相応の批判はすでに受けていたし、愚かな考えを表明するのも言論の自由の内かと、傍観していました。

 しかし、今度目にした文章はいけない。LGBTと犯罪行為(痴漢)を同列に論じるなど、もはや暴論を通り越してヘイトスピーチの域に達しています。

 過去に部落差別やハンセン病差別に加担した伝統教団の一員としては、出版社に何も言わないわけにもいかないなと気持ちが沈んでいたところ、その出版社の内部から批判の声が上がりました。

 いや、ほっとしました。いささかマッチポンプのきらいがあるものの、会社内部から明確な批判があったことは慶賀の至りです。

 ただ、あの文章は事前に「ヘイトスピーチ」と認定して、会社は掲載をやめるべきだったでしょう。

 さらに自浄作用が働くか、今後に期待したいと思います。


追記: 本記事公開後、新潮社社長のこの件についての「見解」が出たことを知りました。前進だとは思いますが、トップが非を認める発言をする以上は、より具体的に問題を指摘し、特にLGBT当事者の方々に対しては、不見識な掲載に及んだ経緯を反省した「お詫び」の言葉があってしかるべきです。

再追記:25日に、新潮社より当該雑誌の休刊と、社名による「反省」と「お詫び」が発表されました。働くべき自浄作用が働いたと思います。本当に心からほっとしました。
 
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還暦の繰り言

2018年09月20日 | 日記
 これまでも本ブログで何度か触れてきましたが、還暦を期して、これを最後に申したく存じます。

 我が国の将来を考えるときの決定的な政治上の課題は、人口と少子高齢化の急速な進行の中で、現在の国力と経済規模を維持するために移民を大規模に受け入れるのか、そうではなくて、基本的に移民は受け容れず、戦略的かつ効果的に国を縮小・ダイエットして、スマートで質実剛健な社会・経済システムを作るのか、そのどちらかを選択することです。

 さらに具体的に言えば、選択した新たな国の枠組みにおいて、子育て・教育と介護にどれだけ政策的財政的資源を投入できるかを考えることであり、同時に法外なレベルに達した財政赤字をどう解消するか、はっきりしたプランを立てることです。

 このことは、結局、国民に利益を分配する政治から、負担を割り振る政治に転換することであり、その覚悟を決めない限り、まともな「将来」の構想は出て来ないでしょう。

 にもかかわらず、移民問題をまともに考えることもせず(労働力商品として「輸入」したいだけの新制度)、子育てと介護の不安がある時に人が金を使うわけがないのに、延々と札束をばらまいて、またオリンピックをやり、もう一つ新幹線(リニア)を作って、新たに賭場を開帳すれば、「経済成長」して万事よろしく行くだろうなどという、「60年代の高度成長」の夢よもう一度的な、馬鹿げた幻想をいつまで抱いているのでしょう。

 すでに大した効果もなくバラマキは限界を迎え、株と求人倍率の数字しか見ないでいるうちに、社会・経済構造の腐食は確実に進行し続けます。

 邪な理由(本音は経済効果なのに東北復興を名目に掲げるいかがわしさ)で呼び込んだオリンピックは、度重なる不祥事の果てに、ほとんど善意の搾取の如き「ボランティア」募集(11万人をほぼタダで動員するという、倒錯的アイデア)を行い、運動会と抱き合わせで「サマータイム」導入を画策するという、信じがたい無鉄砲さを曝け出しています。まともな理念で国民感情を統合できないから、これほど杜撰な思いつきで事を勧めようとするのでしょう。

 賭場を開帳して儲けようというアイデアに至っては、その志の低さを思えば、「美しい国」や「武士道」が泣くでしょう。

 いまや有権者たる我々は、自らに痛みや負担を引き受ける覚悟をして、その覚悟を説き、痛みの具体的な割り振りを提案する、勇気ある政治家を選ぶ度量を示さなければならないはずです。
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二つの傷

2018年09月10日 | 日記
 今年還暦になる人間が未だに不意に思い出しては、心臓のあたりが疼くような気持ちになることが二つあります。

 一つは、小学校4年生の時だったと思います。クラスに転校生の女の子が来ました。その時、定かには意識しなかったのですが、今にして思えば、両親のどちらかが外国人だったのでないでしょうか。

 目が大きく色白で、太り気味でしたが手足が長く、舌足らずな日本語で、自分のことを「まみちゃん」と呼んでいました。

 この子は、しばらくすると男の子たちからからかわれ、ついには嫌がらせのようなことをされるようになりました。その年頃の男の子らしい興味から始まった虐めです。

 その虐めは、彼女が毎日同じような服を着てきて、結果的に汚れが目立つのと、宿題をほとんどやってこないので、なんとなく「正当化」されるようになり、だんだんエスカレートしていきました。

 ある日の休み時間、よく彼女をからかう男の子が強引にキスしようとしました。彼女は「やめて、やめて」と逃げ回りましたが、そのうち男の子たちが同じように追い掛け回し、女の子は「いやらしい」と言いながら、周りからいなくなりました。

 最後、「まみちゃん」は部屋の隅に追い詰められて押し倒され、周りを取り込んだ男の子に囃し立てられながら、最初に追いかけ始めた子にキスされてしまいました。

 そのとき、押し倒されて仰向けに転がったとき、彼女は、取り囲む男の子たちのやや後ろでそれを見ていた私を、涙で濡れた目で鋭く見ました。悲しみに溢れ、同時に助けを求める、刹那の光がありました。

 しかし、私はそれがわかったまま、視線を切りました。彼女を無視したのです。

 その後、女子が数人、騒動を担任に知らせにいき、飛んできた教師に全員が手ひどく叱られました。その直後の授業はホームルームに切り替わったのです。

 そこで初めて、教師が我々に「まみちゃん」の事情を伝えました。彼女はお父さんと妹と暮らしていること。お父さんは忙しく、家事と妹の世話はほとんど彼女一人でしていること(妹は日中保育園だったのでしょう。でも彼女は早退も多かったと思います)。お父さんは移動の多い仕事なので、この学校にもそう長くはいられないこと。

 話を聞きながら私は悄然としていました。さっきの彼女の視線が、自分の弱く情けない心をサーチライトのように照らし出していました。

 そのひと月後、私が風邪をひいて欠席している間に、彼女は転校して行ってしまいました。

 もう一つは、修行僧になってから5年目のことです。

 ある視察団に本山から派遣されて参加し、ヨーロッパに行きました。そこには宗教団体のみならず、色々な分野からの参加者があり、中の一人に障碍を持つ人(おそらく先天性の脳性麻痺)がいました。

 彼は体を思うように動かせず、言葉を話すのも自由ではありませんでしたが、大変に勉強家で話が面白く、バスなどの移動中に私はよく隣に坐ったりしました。

 視察最後の日、その日は午後が自由行動で、私は外で食事をしようと何人かで出かける約束をしていて、やや遅れてホテルの外に出ました。

 すると、ホテル前の坂道の下の方から、彼が、「ギクシャク、ギクシャク」と思わず言いたくなるような歩き方で、こちらを目指して一生懸命登ってきました。そして明らかに私の方に手を挙げ、にっこり微笑んだのです。「一緒に夕食にいこう」。そういう意味だったに違いありません。

 瞬間、私は振り返り、逆の道を下って行く連れの背中を見つけて、そのまま彼らの後を急ぎ足で追いました。彼を無視したのです。

 翌日から帰国の飛行機、空港解散まで、私は彼と話をしませんでした。できませんでした。彼ではなく、私が避けたのです。

 私はこの二つの出来事を、未だにどうしても忘れられません。

 あのとき、別の行動をとってさえいれば、これほど長く「後悔」することはなかったでしょう。とるべきだった行動は、大したことではなかったのです。それさえしなかったこと、できなかったことが、私を今でも苦しくさせるわけです。

 二度目の経験の後、私は決心しました。自分の目の前で同じようなことがまた起こったら、困っている人がいて、そこに偶然にせよ自分がいたら、少なくとも無視はしない。何ができるかできないかは別として、無視だけはしまいと決めました。

 どれだけ実行できているのか、自分でもよくわかりません。しかし、あの記憶が消えない限り、何度でも決心しようと思っています。
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網をくぐった魚は

2018年08月30日 | 日記
 打ち続く暑さの中、思いつき禅問答シリーズ。

 ある修行僧が老師に問いました。

「どんな網にもかからないすばらしい魚は、いったい何を食べるんですか?」

 老師は答えます。

「お前が網をくぐって出てきたら、教えてやろう」

 すると修行僧は

「あなたは1500人の修行僧の指導者ということですが、問答の仕方も知らないんですね」

 老師は言いました。

「私は住職の仕事が忙しくてな」


 この問答を、私はこう解釈すると面白い気がします。

「どんな網にもかからないすばらしい魚」とは、あらゆる煩悩から解脱した覚者のことでしょう。修行僧は、そういう者にも、なお何らかの欲望があるのか(何を食べるのか)、問うているのです。

 老師は、そんなことは自分が解脱してから訊いてこいと、修行僧に不愛想な答えをします。

 カチンときた修行僧が答えられないのかと詰め寄ると、老師は正面から答えずに、自分は忙しんだとはぐらかします。なぜでしょうか。

 それは、煩悩の根絶などという事態が、本当に起こっているのかどうか、本人だろうが他人だろうが、誰にもわからないからです。事実として「煩悩を根絶している」のか、「煩悩を根絶したと一時的に思い込んでいる」のか、これを判別するいかなる基準もありません。

 もしこの判別が可能とすれば、根絶が一時的なのか否か、未来を見通す予知能力が必要です。悟った者の「神通力」を肯定せざるを得ないでしょう。

 つまり、「悟り」だの「解脱」だのを、誰であれ「わかった」話にまとめようすると、結局は「超能力」みたいなSF的与太話を持ち出すことになるわけで、だからこそ、老師は修行僧の短兵急な追求をはぐらかしたのです。

追記:私の受賞について、お祝いのコメントを賜り、ありがとうございました。意外なことで驚きましたが、売りにくい私の本を世に出してくれた編集者の尽力と、インパクト十分の印象深いカバー絵を提供してくださった画伯のご厚意に、多少の恩返しができたかなと思っています。
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価値と無価値

2018年08月20日 | 日記
 スポーツなどの競技や囲碁将棋などの勝負事を見ていて、日ごろ思うのは、これらは価値があると思えば価値があり、無価値だと言えば、無価値だろうということです。

大の大人が大勢でボールを蹴りあったり、抜群に優秀な頭脳の持ち主が白黒の小石を延々と並べあっている姿を見ると、関心あるものにとっては、この上もない重要事であり、無関心なものにとっては、まったくの無駄でしょう。

 それというのも、こうしたスポーツや勝負事は本来遊戯であり、遊戯である以上は価値や無価値の判断、すなわち「なすべきこと」「なす必要のないこと」の判断から外れる行いだからです。

 それが、競技や勝負を行うのではなく、「見る欲望」を持つ人々がある程度の規模で現れると、需要に対する供給が生まれ、市場が出来て「プロ」が現れ、そこに「なすべき」「価値」が生まれ、遊びは労働となり、努力が必要になるわけでしょう。

 こうなると、近代社会においては、遊びは労働より劣位に置かれ、「プロ」が「アマ」に優越して、結局「職業」化した元「遊び」は、「価値あるもの」と認識されることになります。

 ところが、昨今のIT技術の進化で、人間の知的能力を凌駕するものが現れ、現在の職業のかなりの数がロボットなどに代替されることになると、労働に価値を見出し、「職業」にアイデンティティーを保証されるような、従来のような存在の仕方は、ナンセンスになるかもしれません。

 すると、遊びは労働化することで価値があるのではなく、まさに遊びであるがゆえに、楽しみであるがゆえに意味あるものへと先祖がえりするのではないでしょうか。

 労働として競技や勝負をするプロは、それを見て楽しむアマより下に位置づけられるかもしれません。古代ローマ時代のように。

 これは要するに、価値と無価値の逆転現象であり、遊戯の能力が人間の実存を価値づける時代に入ることを意味し、ついには労働が「趣味」化するでしょう。

「認められること」を根源的な欲望とする人間には、このような価値と無価値の「輪廻」が止まないだろうと、私は妄想しています。
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ブッダ「誕生」

2018年08月10日 | 日記
「君は、ゴータマ・ブッダの伝記的経典にある、いわゆる『梵天勧請』の話を随分と重要視しているな。どうしてだ?」

「ああ。ヴェーダ経典のブラフマンにあたる神が、悟りを開いたゴータマ・シッダッタに説法を請うエピソードだな。そのとおり、あの話と、それに続く最初の説法、『初転法輪』の話で、初めてシッダッタ青年はブッダになったんだ」

「悟ったときではない?」

「違う。『悟り』と称される何らかの体験、あるいは境地は、それ自体ではまったく無意味だ。幻覚や妄想と区別がつかない。大事なのは、その体験の後、彼が何を語り、どう行動したかなのだ」

「つまり、ある体験をどういうコンテクストに乗せるかが問題なのだな」

「そもそも、ブッダは自身の『悟り』体験やその内容について、一切語っていない。少なくとも経典にない」

「だから、彼以外の者が何を語ろうと、結局はお伽噺にしかならないわけか」

「そう。『梵天勧請』の話では、悟りの直後、シッダッタ青年は、誰にも自分の悟りは理解できないから、まるきり他人に話す気はなかったということになっている。ならば、この話のキモは、そのまま何も言わなければ、コトは結構な体験をしたシッダッタ君の自己満足エピソードで終わり、仏教にはならないということだ」

「ということは、その時点でまだブッダではない」

「本人には悟った者としての自覚や実感があっただろう。しかし、それなら、『自称ブッダ』に過ぎない。『自称芸能人』のうさん臭さと変わらない。『私』が記憶と他者の承認で成り立つように、『自称ブッダ』は他者から『彼はブッダだ』と認められねばならない」

「それが『梵天勧請』エピソード核心か」

「もう一つ。ブラフマンが勧請している以上、彼の『悟り』と称する体験とその教えは、ヴェーダの教えより優越しているという意味になる」

「つまり、ヴェーダ教説との差異こそが肝心なのであって、共通するものは二の次ということだな」

「だからこそ、その体験後にユニークでオリジナルな何かを語り、誰かを納得させねばならない」

「そうか。だから初説教になるわけで、昔の修行仲間に話をしてみたら、そのうちの一人がいきなり悟った(実際には、よく理解した、程度の意味だろう)」

「というか、ブッダが『彼は悟った』と認証した。シッダッタ青年以前に悟った人間はいないのだから、彼が認証するしかない。つまり、『悟り』の内容が明かされない以上は、先に『悟った』と自称する人が、何かを語って、聞いた側に何らかの変化があった時に、それを『悟り』と認証する手続きが最初から必要なのだ」

「ということは、『悟り』は一人で開けないのか?」

「そう。それでは『悟り』にならない。つまり、サンガと『悟り』は同時に成立する」

「その時点で、ブッダがブッダになり、彼の言葉は妄想ではなく教説になったというわけか」

「したがって、『悟り』自体はどう語ろうと無意味だ。あるいは、どう語っても勝手だ。後は『教説市場』でどれだけの支持を集めるかの問題に過ぎない」

「言い過ぎじゃないの?」

「でもねえ、ブッダと同じ修行をしていたわけでもなく、無論ブッダと『同じ悟り』を開いたわけでもない者が、話を聞いただけで『悟った』んだよ。ならば、話の中身はともかく、『悟り』体験そのものは大した事件じゃないね」

「言うねえ」

「うん。ともかく、ぼく、『悟り』や『真理』の話は全部ひっくるめて眉唾物にしか聞こえないの」
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「仮住まい」の私

2018年07月30日 | 日記
 お陰様にて、今年も恐山例大祭は無事終了しました。ご参拝いただきました皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。

 期間中、たまさか受付のカウンターに坐っていると、突然、

「あらあ、やっぱり、いた、いたあ! 南さんとこのナオヤくんでしょ!!」

 いきなり出家前の名前で呼ばれて、私はびっくり。目の前に80歳代と思しきご夫婦がニコニコしていました。

「びっくりしたでしょ!」

「はあ・・・・」

 奥さんらしきご婦人、

「私、〇〇(高卒まで数年住んでいた家の地名)の、あなたの家の裏の、リンゴ畑の隣の家に住んでいた、カトウ(仮名)です」

(さすがにそれはわからんなあ・・・)

 旦那さんのほうが

「本当にご立派になられて・・・」

「はあ、ありがとうございます、〇〇の・・・・」

 この後、私の父母の昔話になったのですが、私にはまったくお二方の記憶がないのです。

 この突然出現する、自分に記憶がまったくない人と、ほとんど興味のない昔話をしなければならない苦境に、このところよく陥ります。これもなし崩し的に続いてきた著書の出版と、場当たり的に出たテレビの副作用なのだと、最近は諦めています。

 以前、出版社から転送されてきた、大学の同窓生という人からの手紙に、

「背の高い彼は、いつもトレンチコートの裾を翻し、斜め下45度を見つめたまま、兵隊のような大股で、まっすぐキャンパスを突っ切って行った」

 という一節があり、大笑いしてしまいました。確かにあの頃、秋から春の半年くらい、3枚のタートルネックセーターと、一張羅のトレンチコートと、2枚のジーパンで暮らしていました。

 つるむ友達もなく、妄想で頭を一杯にしながら、上の空でどこかを歩いていた当時の自分が、いきなりフラッシュバックのように記憶によみがえりました。確かにこの手紙の主は私を知っているのでしょう。が、それが誰だかまるで見当もつきません。

 また以前、私が不在の恐山に、小学校の同級生を名乗る人物が現れ、受付で

「南くんはマンガと似顔絵が上手で、いつも周りを笑わせていた」

 と話していたそうです。ところが、私は小学校の同級生など、誰一人として覚えていません。

 地縁が薄く、帰属意識が極端に乏しい私は、引っ越しや卒業などのたび、それまでのことをほとんど全部忘れてしまうのです。
 
 ただ、かろうじて修行道場時代の友人の縁は今もつながっていて、それはありがたく思っています。

 ですが、私にはどこか、自分がこの世界のアウトサイダーであるという意識が残り続け、またそうあるべきだという思いもあって、帰属感が揺らぎます。

 おそらく私は、道場に対しても宗門に対しても、真っ当に固まった帰属意識というよりも、いわば「渡世人」のごとき、「一宿一飯の恩義」のようなものを感じているのでしょう。その方がリアルなのです。

 思えば、私は子供のころから、最後に安心して死ねる場所はどこだろうとずっと考えていました。それこそが自分の本当の「居場所」だと思っていたのです。

 しかし、そのうちに気がつきました。そんな場所はない。死ぬまでの間は、どこであろうと「仮の宿」だと。

 おそらくは、私の過去に対する意識の薄さ、その根にある、自分の存在に対する慢性病のような不安が、どのような場所にいても決して安住させないのでしょう。

「行雲流水」という言葉に、ロマンよりもやるせなさを感じてしまう私は、今更ながら、禅僧であることにさえ、どこか違和感があるのかもしれません。
 
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葬式の意味

2018年07月20日 | 日記
 葬式は死者にかかわる営為であって、死後の「霊魂」や特定の教義(たとえば、「輪廻転生」)にかかわるものではありません。

 まず、死者はこの世に実在するものです。見たり触れたり会話したりできる生者とは存在の仕方が違いますが、現に存在しています。それどころか、しばしば生者よりはるかに高いリアリティーで、実在しているのです。

 たとえば、近隣の小太りの青年が支配する国では、彼の祖父や父より高い強度のリアリティーで存在する国民は、誰一人としていません。あの国は死者が生者を支配する国です。

 考えてみれば、人のことは言えません。われわれ仏教徒も、2500年前に死んだ人物を根拠に生きているのですから。

 生きていても死んでいても、親は親。子は子、大切な人は大切な人でしょう。人間関係の枠組みは変わりません。彼らはこの世に実在します。「霊魂」などは、このような死者のリアリティーを説明する一アイデアにすぎません。

 また、いずれの宗教・宗派にも葬式をはじめとする死者儀礼がある以上、葬式そのものが特定の教義に関係ないことは自明です。

 葬式について考えるとき、以下の三つを区別して考えると便利です。その三つとはすなわち、「死体」と「遺体」と「死者」、です。

 この三つは、往々にして混同されていますが、まったく別なものです。

 まず「死体」。

 大事故などが起きると、メディアはたとえば、「死者123名」などと報道します。ですが、このときの「死者」は「死体」のことです。なぜなら、この報道では、「123」という数字にしか意味がないからです。つまりそれは、数えられる「物」なのです。

 ところが、これが「誰それさんの死体」、たとえば「お母さんの死体」となると話が違ってきます。これはただの123分の1に当たる「物」の話ではありません。「お母さん」という以上は、それは「子」に対して「お母さん」なのです。とすると、ある「死体」は、「お母さんの死体」となったとたん、生者の人間関係の中に引き戻され、「人格」を持ちます。この「人格を持った死体」を「遺体」というのです。「体を遺した人」がいるのです。

 葬式は「死体」ではできません。それは「遺体」に対してするものです。ということは、葬式は「死後」の問題ではなく、生者と死者の関係する現実の事象なのです。

「死体」や「遺体」は放置すると腐敗して分解され、そうでなければ埋められるか焼かれます。つまり「物」としては失われます。まさにこのとき、すなわち「死体」や「遺体」が「無くなった」刹那に立ち上がってくるのが、「死者」です。

 かくして、古今東西、宗教や信仰が持つ葬式儀礼に共通する根本的な意味は、ある人物について「彼は死んだ!」と確定することです。この確定によって「死者」を立ち上げ、彼をめぐる生者の人間関係の中に再び位置づけること、これこそが葬式の眼目です。

 そして、この立ち上がった「死者」と、彼が生きている間とは別の関係を結び直すことを「弔い」と言うのだと、私は考えます。

 結局、数ある死者儀礼やそれをめぐるアイデアは、この「死者」の立ち上げと、生者との関係の結び直しの便法というわけです。

 死が原理的に不可知である以上、生きている人間が自らの死を丸飲みするには、多くの場合、「死者」の実在を前提に、このような便法でストーリーを作るしかないのです。

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