ジャーナリストやボランティアに限らず、自ら使命を感じて戦地や紛争地に出かけ、そこで危険に遭遇して命を落とすことがあっても、それは完全に「自己責任」であって、誰を恨むべきものでもありません。
同時に、国内であろうと国外であろうと、「国民」の安全と生命をまもり、どこであろうと危機にある者を救うのは、その国の政府の全面的な責任であり、それをしない、できないなら、政府として無能どころか、無意味です。
この二つは、本来、まったく別のことです。だから、この違いをわきまえている国の大統領や国務長官や国連大使は、最近中東の過激集団に惨殺された日本人の仕事と「勇敢さ」を称賛するわけです。
ところが、日本国内では、救出に失敗した政府(未だに「現地対策本部」とやらが何をしていたのかよくわからない)を批判するどころか、与党の幹部がそれは「勇敢」ではなく「蛮勇」だと非難しているのです。
思うに、この「蛮勇」という言い方は、大統領が「果たすべき使命」を遂行する決断の「自由」と考える同じ事柄を、与党幹部はどこかで「身勝手」だと考えているから、出てくるのでしょう。
これと同じ感覚は、殺害事件後メディアで散見された「有識者」の「自己責任」コメントにも見られます。彼らの「自己責任」論は、冒頭に私が述べた「自己責任」論とは違います。つまり、「身勝手」の結果「自業自得」でそうなったのだから、「国」「国民」に「迷惑」をかけるな、という意味なのです。この「迷惑」という言葉は、メディアばかりか、被害者の家族や遺族からも出てきます。そう言わざるを得ない圧力を感じているのでしょう。
では、家族・親族の中にはそう思う人がいるとしても、それ以外のいったい誰がこの件で「迷惑」しているのでしょう。政府か? 「迷惑」などとんでもない。責任を果たせなかった無力を詫びこそすれ、「迷惑」などと言える筋合いではありません。それこそ政府の自己否定です。
では「国民」か? どのくらい「迷惑」したのか? イトコの入院程度か? ペットの風邪程度か?
「税金」がかかっているというのか? こういう時のために払っているものを「税金」と言うんだろう。
以前、イラクでの人質事件のときにもこの種の「自己責任」論が喧伝されていましたが、同じ議論が繰り返されていることを見ると、我が国は未だに、ひたすら「よそ様にご迷惑をかけずに」「和をもって尊しとなす」ことを最優先の価値とする「ムラ」社会であって、欧米と同じ土台で「自由」「自己責任」を論じることは無理なのだと、感じざるを得ません。これはある意味、致命的なズレです。
欧米型「自由」「自己責任」論が「正しい」と言いたいのではありません。少なくとも「西側の一員」と言い、「価値観を共有する」と胸を張る政府を持つ「国民」である以上、このズレを自覚した上で議論する必要があるだろう、そう言いたいのです。
同時に、国内であろうと国外であろうと、「国民」の安全と生命をまもり、どこであろうと危機にある者を救うのは、その国の政府の全面的な責任であり、それをしない、できないなら、政府として無能どころか、無意味です。
この二つは、本来、まったく別のことです。だから、この違いをわきまえている国の大統領や国務長官や国連大使は、最近中東の過激集団に惨殺された日本人の仕事と「勇敢さ」を称賛するわけです。
ところが、日本国内では、救出に失敗した政府(未だに「現地対策本部」とやらが何をしていたのかよくわからない)を批判するどころか、与党の幹部がそれは「勇敢」ではなく「蛮勇」だと非難しているのです。
思うに、この「蛮勇」という言い方は、大統領が「果たすべき使命」を遂行する決断の「自由」と考える同じ事柄を、与党幹部はどこかで「身勝手」だと考えているから、出てくるのでしょう。
これと同じ感覚は、殺害事件後メディアで散見された「有識者」の「自己責任」コメントにも見られます。彼らの「自己責任」論は、冒頭に私が述べた「自己責任」論とは違います。つまり、「身勝手」の結果「自業自得」でそうなったのだから、「国」「国民」に「迷惑」をかけるな、という意味なのです。この「迷惑」という言葉は、メディアばかりか、被害者の家族や遺族からも出てきます。そう言わざるを得ない圧力を感じているのでしょう。
では、家族・親族の中にはそう思う人がいるとしても、それ以外のいったい誰がこの件で「迷惑」しているのでしょう。政府か? 「迷惑」などとんでもない。責任を果たせなかった無力を詫びこそすれ、「迷惑」などと言える筋合いではありません。それこそ政府の自己否定です。
では「国民」か? どのくらい「迷惑」したのか? イトコの入院程度か? ペットの風邪程度か?
「税金」がかかっているというのか? こういう時のために払っているものを「税金」と言うんだろう。
以前、イラクでの人質事件のときにもこの種の「自己責任」論が喧伝されていましたが、同じ議論が繰り返されていることを見ると、我が国は未だに、ひたすら「よそ様にご迷惑をかけずに」「和をもって尊しとなす」ことを最優先の価値とする「ムラ」社会であって、欧米と同じ土台で「自由」「自己責任」を論じることは無理なのだと、感じざるを得ません。これはある意味、致命的なズレです。
欧米型「自由」「自己責任」論が「正しい」と言いたいのではありません。少なくとも「西側の一員」と言い、「価値観を共有する」と胸を張る政府を持つ「国民」である以上、このズレを自覚した上で議論する必要があるだろう、そう言いたいのです。