恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

でも、かまわない。

2017年08月30日 | 日記
 お寺に行ってご本尊を前にして、どうしていいかわからないというあなたのお話を、とても興味深く、また共感してうかがいました。

 お説教を聞きたくてお寺に行ったり、坐禅を習いに住職を訪ねなどした折に、「まずは、ご本尊にお参りを」と言われても、自分はその本尊とどう向き合ったらよいかわからない。それが本当のお釈迦様や観音様に思えるわけでもなく、芸術として感動するほど仏像彫刻に興味もない。そもそもただの木の塊を「拝む」気持ちがわからないと、あなたのお話はまことに正直でした。

 実を言えば、私もまったく同じだったのです。出家して修行道場に入門してから、私はあちこちに信仰と礼拝の対象として祀られる仏菩薩を、本当にお釈迦様や道元禅師と思っていたわけでもなく、礼拝のたびに信仰の念(私は今もそれがどういうものかわかりません)を新たにしていたわけでもありません。ただ道場の儀礼と修行の規範に従い、ルーティンワークとして繰り返していただけです。考えてみれば、僧侶として不誠実極まる態度として非難されて当然かもしれません。

 ただ、私は、修行生活の中に経験した二つの出来事をきっかけとして、それでもよいのだと思うようになりました。
 
 一つは、修行僧3年目で道元禅師の御廟所の係になった時です。ここは「道元禅師様が生きておわすがごとく仕える」というポリシーを驚くべき意志と労力で徹底している場所でした。「ただの木の塊」に対して、午前1時半に起床し、冬場は氷点をはるかに下回り、足袋を二足重ねばきしても指が霜焼けになりかねない板敷きの堂内に入り、朝の挨拶から洗面、抹茶の献呈から朝食膳の奉献、その合間に特殊な読経を繰り返すという、ほとんどオカルトチックな修行だったのです(4日に一度のお身拭い、つまり入浴儀礼も大変だった)。

 あまりの徹底に呆れて、ある日私は、この御廟所の長を10年以上務める老師に、ついに訊いてしまいました。

「ちょっとやりすぎではないですか?」

 そういうと老師は、皺だらけの顔でニヤッと笑いました。

「あんたさんがそう思うのは、まだ世間の物差しを使っているからや」

「はあ・・・」

「世間では、これだけ努力したら、これだけの報酬、そうなっている。そのバランスが悪いと『やりすぎ』と言う。だが、それは取引の話、世間の話や」

「はい」

「ここは違う。修行は取引ではない。誰がただの木の塊にあんなことをする。そうではない。あんたさんが作法通りにお供えをする時、あの木の塊は道元禅師になる。礼拝するとき道元禅師があんたさんの前に立つのや」

 そして老師は静かながら断固とした声で言いました。

「我々の修行が道元禅師の命や。ここに修行が続く限り、道元禅師はおられる。それをどういう人間が行うかなどどうでもよろしい。修行こそが命や」

 そうか、なるほどなあ。そのとき私は確かに思いました。しかし、思っただけです。老師の言う「命」の実感はありませんでした。

 さらに7年後、ルーティンを繰り返してほぼ10年。「ダースベイダー全盛期」の頃です。五月の終わり、道元禅師の月命日(29日)の法要が御廟所でありました。

 まだ若葉が輝くよく晴れた日、薄暗い堂内には、淡いけれども冴えた陽の光が木々の葉を透かして、何本も差し込んでいました。法要係が鳴らす鐘の合図で、修行僧が一斉に礼拝にかかります。私も正面に身を転じ、礼拝しようと合掌したまさにそのとき、突如それこそ光が差し込むように、ある感慨が胸を打ちました。

「ああ、よかったな。本当によかった」

 何がよかったのか。私は、「ああ、この世にブッダと道元禅師がいてくれてよかった。お蔭でなんとか生きられた」、そうつくづくと思ったのです。中学のとき「諸行無常」という言葉に出会ったときの衝撃がまさまざと蘇りました。

 あのときの礼拝は、掛け値なしの礼拝でした。私は元も子もなく頭が下がり、「敬慕」という言葉を実感する経験でした。

 ただし、この経験はこの時一回限りです。その後今まで、一度も同じ感情を味わったことはありません。いま私が法要や儀礼で行う礼拝は、作法に従うルーティンです。

 私は今、それでよいのだと思っています。個人の感情など、仏教にとってはどうでもよいことです。儀礼や作法がブッダへの敬意を表すなら、個人に敬意があろうとなかろうと、そんなことは問題ではありません。敬意があろうとなかろうと、まさにそれを徹底的に繰り返すことがもっと大事なのです。また、その繰り返しが、いつか個人に心からの「敬意」をもたらすことがあるかもしれません。

 あなたがお寺で「本尊にお参りを」と言われたら、言われるままに手を合わせて礼拝すればよいでしょう。あなたの「感情」は棚上げでかまいません。あなたのその「行為」が、ブッダの命脈をつなぐのです。




お掃除問答

2017年08月20日 | 日記
お盆明けの思いつき禅問答シリーズ。

昔、中国のある禅寺で、兄弟子が庭の掃き掃除をしていました。そこへ弟弟子が通りかかり、

「精が出ますなあ。疲れたでしょう」

「いやあ、体は疲れても、疲れないものもいるんだよ」

すると弟弟子は言いました。

「だったら、夜空に出る月とは別の月(第二月)があるようなものですな」

それを聞いた兄弟子は、持っていた箒をいきなり地面に立てて、

「では、この箒は何番目の月かな?」

問われた弟弟子は、黙り込んでしまいました。

後日、この問答を聞いたある老師は、

「それは第二月だ」

別の老師は

「下男と下女の付き合いは、主人の関わるところではない」



この問答の解釈も様々ですが、問題の焦点は「疲れる体」と「疲れないもの」の区別にあります。つまり、本質(疲れないもの)と現象(疲れる体)の二元論です。

だから、弟弟子は我々が見る夜空の月(現象)のほかに別の、第二の月(本質)があると言うようなものだと、意見したわけです。

そこで、弟弟子は箒をたて、ではこの箒が存在するという事態は、本質なのか現象なのかを問うわけです。

弟弟子が沈黙したのは、この問いにどう答えても、答える限りは二元論に堕ちてしまうからで、その陥穽を回避するためです。

ところが、ある老師は「第二月」だと断言します。これはつまり、「本質=現象」つまり「真理は丸出し」的形而上学で矛盾を解消する論理です。

それに対し、別の老師が「下男(本質)下女(現象)の付き合い(二元論を前提とする両者の関係性についての議論)に主人(仏教)は関わらない」と述べ、無記の立場から二元論の枠組みを外してしまったのです。

こう読むと、なかなか洒落の効いた問答に見えます。

「と」の字問題

2017年08月10日 | 日記
「一度訊いてみたかったんだが、君はハイデガーをどう思う?」

「お世話になった」

「あはははは。なるほどね」

「一方に『存在と時間』があり、他方に『正法眼蔵』「有時」の巻があるんだから、何か言いたくなる気持ちはわかるがな」

「どんな風に読んだ?」

「最初は高校生の時。『存在と時間』をクラスメートが読んでいて、流し目で『知っているか?』と訊かれ、つい見栄を張って『知ってる』と言ってしまい、読む羽目になった」

「じゃ、『眼蔵』を初めて読んだのと同じころなのか?」

「そう。1年くらいの差しかない。でも、印象は強烈だったな。両方とも、まるで、皆目わからない。しかし、自分にとって決定的に大事なことが書いてあることだけ、わかる。無理した後遺症は大きかった。これをきっかけにおっかなびっくり他の哲学書にも手を出し始めたのだが、最初の一冊のダメージはケタが違ったよ。」

「その後は?」

「大学に入ってから1度、数か月かけて読み比べたことがある。同じころ、マルクスの『人間の本質は現実的には社会関係の総体である』というような文句に偶然出会って、彼の著作をかじるようになり、ハイデガーとマルクスを道具にすると、仏典・論書も『眼蔵』も結構なところまで読めるかもしれんと思った」

「実に邪道だな」

「外道と言わないだけ親切だな」

「で、読み比べてどう思った?」

「色々だが、今日は話を限ろう。あのとき、『存在と時間』が尻切れトンボに終わったのは無理もないと、つくづく思ったな」

「ほう、面白いな」

「あの本は、もともとかなり戦略的にできている。まずテーマを『存在とは何か』という問いに絞り、これを問うにあたってまず、人間の在り方を検討することから始める」

「存在を問える存在は人間だけだから、そこに存在を問う特権的な地位を認めるわけだ」

「そう。で、その特権的な存在を『現存在』と呼び、この存在の仕方を徹底的に分析して、そこから『存在すること』の意味一般を問うための土台を見出そうとする」

「その土台が時間」

「・・・という筋立てになっている。その時間から存在の意味を解明するというわけだろう」

「それが無理だとわかったのか」

「無理だ。まず、哲学、つまり形而上学由来の論理で、存在と時間を別概念として区切っている。ニーチェじゃないが、『と』の字が間にある。である以上、一度論理で区切って始めたものを、さらに論理でつなぐことはできない(『分ける』ことによって、『分かる』ようにしようとしているのだから)」

「なるほど、言いたいことがわかってきた。『眼蔵』の方には『と』の字がない。『有時』だ」

「そう。『と』が要らない。『眼蔵』の場合は、存在と時間の根源的な関係を、『非思量』の行為(=坐禅)によって直接実証できるから、『と』の字を削除できる」

「ものは言いようだな」

「したがって、その関係を言語化しようとすると、哲学的、あるいは形而上学的論理は使えない。そもそも言語自体が形而上学的だ。言語の意味はいつでもどこでも同じでなければならない。ということは、遷移する時間または時間的現象を宿命的に取り逃がす。つまり、存在に届かない」

「わからんでもない」

「いや、それでも語るというなら、別の論理を発明しなければならない。『眼蔵』の、論理をわざと破綻させながら更新していくような語り口は、時間の言語化という無理な試みの必然かもしれない」

「すると、『存在と時間』の完成を断念した後の、ハイデガーのいわゆる『後期思想』も、そうした語り口への変更だと言うのか?」

「そう。なんだか、文学的と言うか、宗教がかった、人によっては秘教的とさえ思える言い回しは、『と』の字を始末する自前の論理を追及した結果に見える」

「そういう読み方の後遺症も大きそうだな」

「その通り。あのとき、ひとつ悟りを開いた。仏教の問題の核心は言語だと、そう感づいたな。以後数年、もはや仏教本には見向きもせずに、ハイデカーと、マルクスの流れで出てきた広松渉を橋頭保に、哲学・思想系に絞って乱読し続けた。その途中で思いがけず発見したのが『中論』で、衝撃と言うより、『大当たり!』という感じだったよ」

「外道め!」