恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

明けましておめでとうございます。

2023年01月01日 | 日記
新年あけましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

昨年もまた、びっくりするような、しかもあまりよくないことが、国内外で多く起こってしまいました。就中、大方の注目が集中したのは、国内では、元首相の殺害とそれにかかわる宗教教団の問題、世界では、いつの時代の話かと疑うような、絵に描いたような侵略戦争です。

このうち、宗教教団の問題では、様々な事柄が取り上げられ、多くの批判がなされました。

私は、この件についての本質的な問題は、隠ぺいだと思います。

まず宗教的には、この団体が自らが宗教団体であることを隠して人々に接近することです。この隠ぺいは、自ら「まともな団体ではない」と告白しているのも同然で、接近された側は「まともでない」ことがわからないのですから、大損害の可能性大です。

また政治的には、政治家も団体もお互いの関係を隠ぺいしていたことです。各種団体の政治活動は自由ですが、政治家と団体の双方が関係を隠ぺいすれば、有権者は選挙で選択の自由を著しく毀損され、国は重大な損害を被ります。

この二重の隠ぺいの他にも、多岐にわたる深刻な問題が露見し批判されましたが、そのうちの一つに、「マインドコントロール」があります。

私は仏教者として、この「マインドコントロール」の問題は、デリケートな面が多々あり、取り扱いには注意が必要だと思っています。

「マインドコントロール」を、仮に「特定の言説で人々を一定の方向に誘導すること」だとすると、これは「教育」「指導」「営業」という名で、世間で広く行われている行為です。

「マインドコントロール」とまともな「教育」や「指導」「営業」との違い(これらもしばしば「マインドコントロール」に陥る)の一つは、言説による誘導の前段で、対象者が既に持っている不安や恐怖、苦悩につけこんで、これを煽るか否かです。

「マインドコントロール」は、対象となる人の持つ不安と恐怖を「ターゲット」にして始まります。「ターゲット」と言うのは、それを利用することが目的だからであり、目的である以上、相手に不安や恐怖、苦悩が無ければ、必要に応じてそれを捏造するでしょう。

「マインドコントロール」のこの手法は、人々の持つ不安や恐怖、苦悩を理解し共有して、何らかの解決策を考えようとする態度とは、まるで違うものです。

このような前段の扇動行為の上で、脅迫(○○をしないとワルいことが起こる)と利益誘導(○○をすればイイことが起こる)を基本的な論理として、対象を自分の利益になる方向に誘導し、最終的に意のまままにするのが、「マインドコントロール」でしょう。

ただ、脅迫と利益誘導それ自体は、「教育」「指導」「営業」においても、基本的論理として一般的に使用さています。

これがいわゆる「カルト」と呼ばれる集団の「マインドコントロール」になると、脅迫と利益誘導の論理を、それを使う当事者以外、誰もその正当性を検証できないか、検証が極めて難しくなるように工夫(「祟り」「前世が見える」など)して設定します。

このような枠組みに対象となる人々を嵌め込んで、自在に対象を操作し、法外な金品と労働力を搾取して、本人と家族の生活が崩壊するところまで追い込むのが、「マインドコントロール」の本領です。

「マインドコントロール」の問題は、安易に考えるべきではありません。宗教者は特に、そうではない方々も、自分がしていること、されていることが、「マインドコントロール」になっていないかどうか、時に反省した方がよいだろうと、私は思います。

本年が皆様方にとって無事で幸多きことを、心より祈念申し上げます。 合掌

追記:
昨年予告致しました、『正法眼蔵』購読・現代語訳本ですが、出版社の事情で、今春刊行の予定が秋に延期となりました。
「待っている」と言って下さる方もおられたので、一言申し上げます。あしからずご海容ください。