恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

月を見上げる

2015年12月30日 | 日記
彼は暗闇が怖い。でも、ときどき夜道を歩いて、月を見上げる。

背中と顎を伸ばして、目を見開き、少し口元が緩んで、

体いっぱいに光をあびるように、

そのまま飛び立っていくかのような姿で、

彼は月を見上げる。

歩き出す。10歩、20歩。

立ち止まり、足をそろえ、両手を左右のポケットの位置に定めて、

また月を見上げる。

そして、多くの言葉を知らない彼は、

「月、きれいだねえ」

と言う。


彼は争いを知らない。だから、争いになると、その場を離れる。

それが欲しいから、手を伸ばす。

そこに別の誰かが手を伸ばす。

彼は睨まれる。「これ僕の!」と大きな声で言われる。

驚いて、手を引っ込め、視線をあちこちに向けながら、

彼はそこから離れていく。

そして、次の居場所を決め、どうしたものかというように、

胸の前で両手を握りしめて、立っている。

好きな歌を小さな声で歌いながら。


彼は勉強も仕事も嫌いである。させようとすると、逃げる。

ただ、しなければならないと覚悟を決めると、耐える。

彼は理解が遅い。

彼はとても不器用だ。

でも、3時間、4時間、

叱られながら、呆れられながら、時々涙ぐみながら、

彼はそれを止めない。

そしてついに、教える人が、「もう、いいや! 今日はこれまで!」と言うと、

「今日はこれまで!」と大声でまぜっかえして、

信じがたいほど素早い身のこなしで逃げていく。


彼はひとから「かわいそう」と言われることもある。

誰も彼のようになりたくはないだろう。

しかし、彼は不幸ではない。

少なくとも、幸せと不幸せの区別が、彼にはない。


今年も当ブログをお読みいただき、ありがとうございました。

皆様の新年のご多幸を祈念申し上げます。







番外:よかったと思います。

2015年12月28日 | 日記
 異例ではありますが、書いておきます。

 本日午後、日韓両国の外相が、いわゆる「従軍慰安婦」問題について、日本政府が当時の旧日本軍の関与を認めた上で「責任を痛感する」と言明して、「最終的かつ不可逆的に」解決されたと表明しました。私は大変結構な結論に至ったと思います(もちろん、今後の成り行きは予断を許しませんが)。

 特に、しばしばナショナリスティックな言動が目立つ安倍政権において、政府が「責任」に言及して妥結したことは、それなりの「英断」ではないでしょうか(アメリカの圧力があったとしても、です)。

 私は現政権の政策には納得しかねるところが多々あるものですが、今回の件は、両国首脳と交渉担当者の努力を慶賀したいと思います。

 私事ながら、修行僧時代、私は道場における各国の仏教者との国際交流を10年以上担当していました。その中でも中国と韓国との交流は極めて比重が高く(まあ、当然なのですが)、国際会議や相互訪問などによって「友好親善」関係を結ぶことは、重要な仕事でした。

 当時、日中韓の仏教指導者層はほとんどが戦争経験世代でした。したがって、交流の現場に居合わせると、もちろん「友好親善」が前面に出るのですが、中国・韓国の個々の僧侶に接したとき、時として過去にたいする「わだかまり」とでも言うべきものが、影が差すように現れることがありました。

 私はその後も折に触れ、一番近い隣国との交流を妨げる「歴史認識」問題に注意を払ってきました。ここで「共通認識」が得られないと、「友好親善」の核心部分に空洞が生じると考えたからです。


 「歴史」に限らず物事は、それが起こった直後から、もう「客観的事実」それ自体などありません。あるのは「事実」として共有される認識なのです。とすれば、何事につけても、「事実」を問題にするなら、当事者が「認識」において「共有」を形成するしかありません。どれほど困難でも、そうする以外にないのです。

 今回の「解決」は、国際関係における対立する困難な問題について、「共通認識」の形成を遂げた例として、喜ばしいと思っています。

 仄聞するに、「従軍慰安婦」問題は韓国のみに限ったことではありません。今後政府が韓国以外の国々にも同様の取り組みを広げていくなら、それは結果的に、「戦時性暴力」を批判する国際的運動に、日本が「名誉ある地位」を占める足掛かりになることでしょう。これぞ「国益」であり「国家の品格」を実現するものではないでしょうか。

 日本と中国・韓国の間には、「歴史問題」で懸案がまだまだ多くあります。私は今回の「解決」を第一歩として、さらに問題解決が続いていくことを願ってやみません。

 暗いニュースの多かった一年の暮れに、コップ21パリ会議の協定合意に並んで、よいニュースを聞けたと思っています。

影と力

2015年12月20日 | 日記
 何度も言うように、「死」そのものは、我々の経験外であり、それが何であるかは「絶対に」わかりません(わかったら、それは「死」ではありません)。

「死」は「絶対にわからない何か」という純粋な否定性以外に意味を持たない観念なのです。では、我々の経験のうちに、「死」はまったく現象しないのでしょうか。「死」それ自体は現れないにしても、その影が差すことはないのか。あるいは作用してくる力はないのか。

 思うに、「死」は我々に「意味」や「価値」を欲望させる力として作用してくるのです。この影が「生」に輪郭を与えるということです。

「死」がまったく識知できなければ、我々は「しなくてはならない」「なすべき」ことを発想「できない」でしょう(死なない人間に、しなければならないことなど、あり得ない)。つまり、「意味」も「価値」も無用です。「死」の触発によってこそ、「生」に「重さ」を与える力が働くというわけです。

 時として、死期を悟った人が「生きていることの証し」を求めて仕事に邁進したり、自分の葬式や死後の手配に尋常ならざる努力をするのは、彼において「意味」に対する欲望の昂進と、その過剰生産が起こっているのでしょう。

 と同時に、「死」はその「意味」や「価値」の恒常的な喪失と欠乏として知覚されます。したがって、「意味」はいくら増産されても充足することはありません。

 なぜなら、我々は「生まれてこなくてもかまわなかったのに生まれてきた(たまたま生まれてきた)」存在だからです。けっして「生まれるべくして生まれてきた(生まれる理由がわかった上で生まれてきた)」のではありません。もし後者なら、我々は「意味」や「価値」を発想「しない」でしょう(「人生」について、惑星軌道を認識するような「データ確認」が行われ、「理論的結論」が出されるにすぎない)。

 前提が「生まれてこなくてもかまわない」なら、どれほど「意味」を打ち込んでも、底が抜けている以上、穴は埋まりません。

 この状況に苛立って、「とっとと死んだ方がマシだ」と考えるのももっともですが、「マシだ」という「意味」も「意味」である以上、「生」を「意味」づけているのであって、「死」には関係ありません。その「意味」も「死」の否定性によって拒絶されます(「マシ」かどうかはわからない)。

 ならば、逆に言うと、「意味」や「価値」を欲望する実存の構造を解体(「生」を無「意味」化)してしまえば、「死」は消失するという理屈が出てくるでしょう。

 仏教が、「天国・地獄」や「永遠の命」を結論とせずに「ニルヴァーナ」で「死」の話を締めたのは、「意味」の過剰生産を避けることが「死」の受容に有効だと考えたからでしょう(だとすると、「修行」とは「意味の自覚と制御」だと言えるかもしれない)。

番外:お知らせとお勧め

2015年12月10日 | 日記
 私の知人である僧侶、松本紹圭師が主催する活動に「未来の住職塾」というものがあります。

 インターネット上に設立された「彼岸寺」でも知られる師ですが、これからの寺院と住職の在り方を考え直す試みの一つとして、私は有意義な活動だと思います。

 今後も全国主要都市で開催される運びですので、興味と関心のある現住職、あるいは今後住職になろうという僧侶の方は、参加を検討されてはいかがでしょうか。詳細については、「未来の住職塾」「彼岸寺」で検索していただければ知ることができます。

 ※ この記事についてのコメントは受け付けません。

ゴータマ・シッダッタの出家

2015年12月10日 | 日記
 後にゴータマ・ブッダとなった人物の出家の事情は、後に「四門出遊」の故事として伝えられています。宮殿の東西南北四つの門から外出した青年シッダッタが、その道中、老人、病人、死人、最後に修行者に出会い、人生の苦を目の当たりにして、修行者となる決意をした、という逸話です。

 しかし、この話が「老いるのはいやだなあ、病むのはいやだなあ、死ぬのはいやだなあ」程度のことなら、誰でもそう思うだろうし、思ったからと言って、出家などしないでしょう。しかも、本人は当時30歳前の健康な若者ですから、はっきり言えば他人事で、たいして実感のない「いやだなあ」だったではずです。

 ということは、老いと病と死を目の当たりしたとき、いったい彼は何を考えたかが問題でしょう。

 思うに、彼は、老・病・死がおよそ「自己」という様式で実存する人間の、その実存の条件であることを発見したのです。そんなことは誰でも普通にわかることだと言うかもしれません。

 確かにそうかもしれませんが、私が言う「実存の条件であること」の発見は、単に「わかる」ことではありません。そうではなくて、

「老いて、病んで、死ぬことが条件であるにもかかわらず、なおかつ、それらがいつどこでどう現実になるのかも全くわからないまま、なぜ我々は平気な顔で生きているられるのか」

 という問題の自覚なのです。彼はある経典で、自覚のなかったころの自分の在り方を「傲り」と言っています。

 この自覚から、「平気でいられる」「傲り」のメカニズムを考えて、今度は「無明」を発見するわけです。ということは、「四門出遊」の故事が意味しているのは、シッダッタ青年において炸裂した「実存すること」そのものの自覚が、いわゆるプロブレマティーク、つまり彼自らが取り組むべき根本的な問題として、改めて設定されたということなのです。

 ある事柄の自覚は、常にそのものに対する否定性(そうではないもの)との直面を契機にすることでしか、起こりません。しかし、その直面が常に自覚を呼び起こすわけでもありません。まして、その自覚は必ずしも誰かの根本問題として設定されるわけでもありません。

 シッダッタ青年に起こったのは、まさにこの三つ、直面・自覚・問題化です。我々にとって、少なくとも私にとって、それは本当に幸運なこととしか、言い様がありません(シッダッタ青年にとってそうだったかは知りませんが)。