恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

経年劣化

2018年10月30日 | 日記
 私は原則的には朝、どうしても無理な時はできる時間を択んで、坐禅をしています。これは修行と言うよりもはや習慣で、それなりに落ち着いた坐禅になっています。

 ところが、ここ半年くらい前から、突然、坐禅で組んでいる足が落ちるようになったのです。これは一大事です。

 坐禅の足の組み方の基本は「結跏趺坐」と言います。胡坐のように坐ってから、右足を左腿の上に乗せ、左足を右腿の上に乗せる方法で、私も30年以上、この坐り方でやってきました。

 なのに、ある日突然、坐禅を始めてしばらく時間が経つと、左足がじわじわずれ動き、しまいに右膝から床に落ちてしまうのです。何度やり直しても同じ。これでは私が今まで作ってきた坐禅が機能しません。大変です。

 足を逆に組んでも、今度は右足がずり落ちます。足の位置を様々に変え、ミリ単位で調整してもダメ。最後は足にタオルを咬ませてみました。すると、足は止まるのですが、微妙に姿勢に影響して坐禅の安定を損ないます。

 その上さらに不思議なのは、恐山で坐禅するときだけ、足が落ちずに安定していることです。なぜだ!?

 私は途方に暮れてしまいました。とにかく原因がわからない。

 さんざん考えて一つ思いついたのは、スクワットです。

 50歳を過ぎたころから、足腰が衰えだしたのか、私は階段で時々躓くようになりました。列車での移動が多く駅の階段を頻繁に使う身には、これはまずい。周りの人にぶつかったら危険この上ない。

 そこでスクワットをするようになったのですが、これが太腿を大きくして、坐禅のバランスを崩したのではないか?

 しかし、考えてみれば、もうずいぶん昔のことで、最近回数を急に増やしたわけでもありません。なのにここにきて、なぜ急に足が落ちるのか?

 問題の解決は、発生同様、唐突に起こりました。

 ある日、知り合いの人と一緒に坐禅をしていたら、やはり途中で足が、ドスン!と音を立てて落ちてしまいました。静寂の時間ですから、本堂中に大音声で響きます。

 坐禅を終え、私は不調法を詫び、苦衷を話してみました。すると、その人はあっさり、

「尻の肉が落ちて薄くなったんでしょ。それが限界値を超えて、姿勢全体のバランスが崩れたんですよ。老化現象ですな!」

 が、が~~~~ん!! えっ、そうなの? 老化!?

 試しに子供用の小さい坐蒲(坐禅用のクッション)を出してきてやってみたら、なんとこれがバッチリ!

「それでも大きいんじゃないですか? そこの座布団、それ一枚で十分に見えますけどね」

 え、えっ、これ以上?

 で、坐ってみると、もっとバッチリ!!

 これで恐山でだけ足が落ちない理由がわかりました。恐山で私は、導師用の蒲団(坐褥)が置いてある台の上で、坐禅をしていたのです。柔らかい蒲団の真ん中に坐蒲があるので、坐ると沈み、体のバランスが自然と最適に調節されたわけです。

 私は思い出しました。修行僧時代、老師方の坐蒲が、年を重ねるにつれて段々小さくなっていくのが不思議だったことを。とりわけ、前の永平寺貫首・故宮崎奕保禅師、生涯を坐禅で貫かれた大禅師の晩年、その坐蒲が、直径20センチ・厚さ5センチくらいにしか見えなかったことを。あれなら無くてもよいんじゃないかと思ったものです。

 指摘した坐禅人いわく、

「あなたもいよいよ『老師』の域に達しつつありますな! いや、めでたい、あははははははは(爆笑)」

 ううっ・・・・ 諸行無常・・・・、


「あるべきはずのニルヴァーナ」

2018年10月20日 | 日記
 私は今までに何度か書評をする機会を与えられたことがありました。
 以下は、茂木健一郎氏の『生命と偶有性』という著書についてのものですが、いま読むと、自分の仏教観がわりと素直に、かつシンプルに出ているので、畏れながら紹介させていただきます。



「あるべきはずのニルヴァーナ」

存在すること自体は取るに足りないことだろう。しかし、「なぜ」と問うなら、それは厄災となる。
不治の病に侵された者が、最愛の子供を奪われた者が、天災ですべてを失った者が発する、「なぜ」。
この言葉は理由を問うているのではない。そうではなくて、存在を問うている。彼らがそのように存在していることの無根拠さを露わにしているのだ。そこに、問う存在たる「人間」の絶対的な孤独がある。絶対的とはどういうことか。人は人であるかぎり、たとえやめたくても、「なぜ」と問うことをやめられない、ということである。我々は「なぜ、なぜと問うのか」とさえ問いうる。それこそが根源的な欲望、「無明」なのだ。

存在するものには根拠が欠けている。私が仏教から読み取った「諸行無常」の意味はそれである。このとき、なぜ「諸行無常」なのかを問い、「理由」を探そうとするなら、まさに厄災を招く「無明」となる。
仏教が私に示したのは、「なぜ」と問うことを断念せよ、ということだった。「なぜ私は存在するのか」と問うな。「どのように存在するのか」を問え。「すべては無常である。なぜか」ではなく、「すべては無常である。ならば、どうする」と問い続けよ。
それは無常であることに覚悟をきめながら、あえて自己であり続けるという困難を受け容れる意志である。

人間が「自己」という形式でしか存在し得ない業を背負うなら、いかなる自己であろうとするかを問い続け、「自己」を作り続けなければならない。
ならば「自己」とは、偶然の怒濤をあえて渡ろうとして、数々の難破の果てに、ついに彼の岸に乗り上げた必然という名の小舟である。渡り終わったとき、小舟は思い残すことなく捨てられる。ブッダの説くニルヴァーナを、私はそういうものだと思ってきた。

私が「無常」と言い続けてきたことを、本書で茂木健一郎氏は「偶有性」と言う。私が「厄災」と言っていることを、茂木氏は「奇跡」と言うだろう。つまり、私にとって存在は「苦」であっても、彼にとっては「美しい躍動」なのだ。
私は心底羨ましい。同じようなことを前提として考えながら、彼は存在を、生命を、享受し祝福しようとしている。
「クオリア」として開かれた彼の道程は、リアルとバーチャルの対立を無効にする、「あわい」としての「仮想」に至り、いま「リアル」を真に「リアル」として現成する条件たる、「偶有性」に届こうとしている。

 私はこれまで、彼が次々に提唱する刺激的な言葉に接するたび、自分が学んだ限りでの仏教の考え方に引き寄せてみた。
たとえば、「空」や「縁起」を説く中観思想、認識の構造を明かそうとする唯識思想などとの関係に思いをめぐらすと、その底に茂木氏のアイデアに共通する水脈を感じざるを得なかった。
そればかりではない。私には及びもつかない茂木氏のずば抜けた知性が、客観的対象の単なる科学的理解ではなく、常に具体的な「一人称の生」、つまり「自己」をどう担っていくかに向けられていることを見れば、それが道元禅師の言う「自己をならう」修行、禅家が標榜する「己事究明」の姿勢と同じであることは、一目瞭然であった。

 しかもそうすることで、彼は、私が打ち捨てられるべきだと思っている小舟を、慈しんでいるのだ。そこにはおそらく、私がまだ味わったことがない、求道の悦楽があるかもしれない。彼は言う。
「偶有性の本質を見失わない限り、私たちは戦慄し続けることができる。この一瞬は過ぎ去る。そして、何も死ぬことはないのだ」
だとするなら、その求道の果てにも、私が想像もできない、もうひとつのニルヴァーナがあるはずなのだ。茂木氏はそれを「無私を得る道」と呼ぶ。
「私秘的な体験に誠実に寄り添うことの中にこそ、巨大な宇宙につながる術がある。この認識こそが、これからの困難な時代に私たちの未来を照らす希望でなければならない」
この希望が「恩寵」でなくてなんであろう。


『波』(新潮社 2015年6月号より)

次の世代と秋季祭

2018年10月10日 | 日記
 本年秋季祭直前の3・4日、30代を中心とする僧侶の方々が研修に来山されました(未来の住職塾サンガ)。

 いわゆる伝統教団に所属する若手のお坊さんが超宗派で参加する勉強会のようなものらしく、すでに何回も集まりを重ねているのだそうです。

 これまでは時代環境の急激な変化の中、今後の寺院をどう運営していくかに焦点をあてて活動していたそうですが、今年から従来の組織を改め、未来の「僧侶のあり方」を考える方向にも活動を広げていくのだそうです。その手始めとして、恐山で研修したいという依頼があったわけです。

 実は、私は最近、自宗派の僧侶の研修のみならず、他宗派の住職研修や青年会活動での講演を依頼されることが増えてきました。そのほとんどが、「今後の教団と僧侶」問題をテーマにするものです。

 一度、なぜ宗派の違う私なんかに依頼されるんですかと訊いてみたら、「あなたほど思い切った言い方をする人間が、自分たちの宗門内にいない」と言われてしまいました。

 思い切ったこと言わせてもらえる宗派に属していてよかったなと、内心しみじみ感謝しましたが、確かに私が言うことは、檀家制度を前提に組織された教団体制・教学体系・僧侶養成システムを持つ全ての宗派に共通する問題だと思います。

 今回も、日ごろの考えをストレートに言わせていただきましたが、皆さんには非常に熱心に聴いていただき、質問も活発でした。講演後の分科会でも突っ込んだやりとりが長時間続いたと聞きました。

 前にも言いましたが、少子高齢化・人口減という未踏の領域に踏み込んでいく日本では、もはや60歳以上からまともな知恵は出ません。今後の荒波は、まず40歳以下の世代の試行錯誤によって乗り切ってもらうことを期待するだけです。

 翌日、境内案内の途中やお見送りの間際まで、質問が途切れず、一人の質問の周りに数人の方が集まって私との問答を聞いていただきました。その真剣な姿を見ていると、もはや否も応もなく、この世代に未来の伝統教団を託す以外に選択肢がないことを、いまさらながら実感しました。

 皆さんの精進を祈るばかりです。

 1日おいて6日から、秋季祭でした。台風通過にもろにかかった3日間で、特に7日は今まで経験したことがないような強風。小石が舞い上がる通称「賽の河原」への参拝を停止し、建物の雨戸をすべて閉めざるを得ませんでいた。もちろん参拝者も大減少。参りました。

 その強風の日、わざわざ塔婆供養にみえられたおばあさんがいました。旦那さんと早くに亡くなった娘さんの供養を申し込まれて、一言。

「こんな日でもお祭りさ、やってる。ありがてえ」

 こちらこそ、ありがたかったです。そして、変えたくない大切なことを守るために、我々は変わらなければならないのだと思います。