言うまいと思っても、暑い! 今、お盆で福井に帰っていますが、今日は34℃を超え、明日は36℃になるとか。法要一つで衣は汗でびっしょりです。皆様くれぐれもお体に気をつけられますよう。
昔、ある修行僧が老師に質問しました。
「寒さや暑さがやって来たら、どこに避けたらいいのでしょう?」
老師が答えます。
「どうして寒くも暑くもないところに行かないのだ」
「寒くも暑くもないところとは、どんなところなんですか?」
「寒い時は、人を凍るほどひどく寒がらせるな。暑い時は、煮えるほどひどく暑がらせるものだ」
寒いときには、もうすでに寒いのだから、今更避けようもなく、暑いときも、もう暑いのだから、それを避ける行為はもはや無意味だろう。寒くても暑くても、なんとか修行していく工夫をすることこそ、修行者が寒さ暑さを避けることなのであり、仏道を志す者の正しい態度だ、というわけでしょう。
クーラーにすぐ頼りたくなる私などは恥じ入るばかりですが、これは寒さ暑さばかりの話ではないはずです。
生まれてきてしまえば、その時はもう生きることを避けるわけにはいきません。生きる工夫をせざるを得ないのです。自殺できるだろうと言うかもしれませんが、この世で人間が行う自殺は、所詮、愚かな生きる工夫のひとつです(死が何であるか原理的にわからないのに、死ねばこの世の問題が解決するはずだと信じこむのは、愚かとしか言いようがありません)。
ああ、でも暑いなあ・・・・・
ところで、読者の方から、恐山を開いたのは弘法大師だと参拝者に教えていた人がいるというお知らせをいただきました。
実は恐山には全国から、たとえば「巷の神さま」とでも言うべき「霊能者」的人物がやってきたり、「先達さん」とか呼ばれる、寺社仏閣を巡拝するグループを率いる、セミプロ的なりリーダーがお参りに来ます。こういう方々は、必ずしも恐山に関する正確な知識を持っていません。弘法大師恐山開山説を唱えていたのは、おそらくそういう方々でしょう。私どもとしては困るのですが、終日監視しているわけにもいかず、入山時にお渡しするパンフレットをお読みいただくことを願うばかりです。ちなみに、恐山をお開きになったのは、慈覚大師円仁様(比叡山延暦寺第三世座主)です。
最後にお知らせ。「仏教・私流」は、8月はお休み、次回は9月11日午後6時半からです。