私はかつて50歳代の男性を二人、出家得度させて弟子にしたことがあります。その後、この二人は修行に入る前後に断念して、結局僧侶にはなりませんでした。理由はそれぞれです。
その他に弟子以外でも、比較的高齢で出家して、後に還俗した人たちを今までに何人か見ています。
その一方で、40歳を過ぎてから出家して修行僧となり、今も僧侶であり住職である人を、私は10人以上知っています。最高齢は60歳を過ぎ、小学校長を定年後に入門してきた者、一番驚いたのは、自衛隊の陸将を退官して修行僧になった者です。
さて、いわゆる初期経典には、ブッダの言葉として、「晩年に出家した者」に具えることが難しい項目を列挙したものがあります。その項目とは、以下のようなものです。
①機敏であること
②威儀を具えていること
③多くの教えを聞くこと
④教えを論ずること(説法者であること)
⑤律(僧団の生活規範)を身に付けること
⑥よく説くこと
⑦学んだことをしっかりと把握すること
⑧教えられたことを恭しく巧みに行うこと
①は、確かに歳と共に難しくなるでしょう。ですが、道場では、甘くは接しませんが配慮はしますから、ハナから修行が無理とは思いません。
②は、修行僧らしい、あるいは僧侶らしい立ち居振る舞いや佇まいを意味するでしょう。これも、まあ数年修行経験を積むうち様になってきますから、加齢は致命的障害にならないはずです。
③、④、⑥については、必ずしも晩年僧の弱点にはならないと思います。要は志を以て実践と勉学の両面に研鑽を積むことが重要なのであって、この点、箸にも棒にもかからない若い修行僧は少なくありません。
ただ、⑦が主に記憶力や理解力についての言及だとすると、加齢による減退がある場合には、それを補う工夫は要るでしょう。ですが、「把握」ができないわけではないと思います。あくまで「難しい」ということです。
私は思うに、問題は⑤と⑧です。なぜなら、⑤と⑧はそれまでの思考や行動のパターンを大きく切り替えなければならないからです。要するに在家から出家へと、生活スタイルを劇的に転換する必要があるのです。
これは、過去に多くの経験を積み重ねてきた晩年の者には、そう簡単なことでありません。生活習慣化した過去の経験が、切り替えの障害になるのです。
たとえば道場では、昔から先に入門した者の立場が上ですから、場合によっては孫のような「先輩」の指導・指示に無条件で服従しなければなりません(特に修行初期)。それがルールなのです。これを屈託なく即時にできる者は、そう多くありません。
私が入門した頃には、新到和尚(新人1年目)が集まる大部屋の正面に、茶色に変色した紙が貼ってありました。いわく、
「年齢を忘れよ。過去を忘れよ。自分を忘れよ」
出家に限らず、生きていると、この種の切り替えが必要になる場面が、一度や二度はあるものです。
その他に弟子以外でも、比較的高齢で出家して、後に還俗した人たちを今までに何人か見ています。
その一方で、40歳を過ぎてから出家して修行僧となり、今も僧侶であり住職である人を、私は10人以上知っています。最高齢は60歳を過ぎ、小学校長を定年後に入門してきた者、一番驚いたのは、自衛隊の陸将を退官して修行僧になった者です。
さて、いわゆる初期経典には、ブッダの言葉として、「晩年に出家した者」に具えることが難しい項目を列挙したものがあります。その項目とは、以下のようなものです。
①機敏であること
②威儀を具えていること
③多くの教えを聞くこと
④教えを論ずること(説法者であること)
⑤律(僧団の生活規範)を身に付けること
⑥よく説くこと
⑦学んだことをしっかりと把握すること
⑧教えられたことを恭しく巧みに行うこと
①は、確かに歳と共に難しくなるでしょう。ですが、道場では、甘くは接しませんが配慮はしますから、ハナから修行が無理とは思いません。
②は、修行僧らしい、あるいは僧侶らしい立ち居振る舞いや佇まいを意味するでしょう。これも、まあ数年修行経験を積むうち様になってきますから、加齢は致命的障害にならないはずです。
③、④、⑥については、必ずしも晩年僧の弱点にはならないと思います。要は志を以て実践と勉学の両面に研鑽を積むことが重要なのであって、この点、箸にも棒にもかからない若い修行僧は少なくありません。
ただ、⑦が主に記憶力や理解力についての言及だとすると、加齢による減退がある場合には、それを補う工夫は要るでしょう。ですが、「把握」ができないわけではないと思います。あくまで「難しい」ということです。
私は思うに、問題は⑤と⑧です。なぜなら、⑤と⑧はそれまでの思考や行動のパターンを大きく切り替えなければならないからです。要するに在家から出家へと、生活スタイルを劇的に転換する必要があるのです。
これは、過去に多くの経験を積み重ねてきた晩年の者には、そう簡単なことでありません。生活習慣化した過去の経験が、切り替えの障害になるのです。
たとえば道場では、昔から先に入門した者の立場が上ですから、場合によっては孫のような「先輩」の指導・指示に無条件で服従しなければなりません(特に修行初期)。それがルールなのです。これを屈託なく即時にできる者は、そう多くありません。
私が入門した頃には、新到和尚(新人1年目)が集まる大部屋の正面に、茶色に変色した紙が貼ってありました。いわく、
「年齢を忘れよ。過去を忘れよ。自分を忘れよ」
出家に限らず、生きていると、この種の切り替えが必要になる場面が、一度や二度はあるものです。