恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

「なんとなく」の志

2006年12月27日 | インポート

 今年ももう年の暮れ。一年はあっと言う間ですね。ブログも年末は早く更新しておこうと思いながら、今日になってしまいました。

 この前、慶応大学湘南キャンパスのゼミに呼ばれて、話をしてきました。加藤秀樹教授のゼミです。ゼミの皆さん、熱心に聴いていただいてありがとうございました。長時間早口でまくし立て、申し訳ありませんでした。

 加藤先生は、50を少し出たくらいの、とても上品な方でした。教授は本職でなく、「構想日本」というシンクタンクの代表が活動の中心なのです。私は、このシンクタンクの設立の頃を知っています。というのも、新聞か雑誌で、官公庁にも大きな企業にも属さない、まったく個人が設立した政策提言の民間シンクタンクと知り、今の日本でそんなものが成り立ち、運営し続られるのかと、驚いた覚えがあるからです。まさか、その代表から声がかかるとは思いもよりませんでした(シンクタンクの職員の方が私の仏教講義を聴き、呼んでみたらと言ってくださったんだそうです)。

 四時間近い講義をなんとか押し流した後、ゼミの方々とレストランで懇親させてもらいました。そのおり、先生といろいろお話することができ、大変嬉しかったです。

「個人でシンクタンク立ち上げて、ちゃんと実績挙げながらここまでやってくるなんて、先生のほかに例がないでしょう?」

「そうねぇ。あまり知りませんねぇ」

「その前は何をなさってたんですか?」

「いやね、大蔵省の官僚でね」

「へえー、じゃ、普通ならエリート、黙ってそのまま勤めていれば人生バンザイじゃないですか。それがまたどうしてって、人は訊くでしょう? ぼくもだけど」

「そうなんですけどね。これが答えようがなくてね。なりゆきなんだよね」

「ああ、うん、わかりますよ、わかるな。 ぼくも出家の理由訊かれるときは、かならずそう答えます。はぐらかしてるんじゃないんですよね。ホント、そう言うのが一番感覚的に近い」

「そうそう。強いて言えば、入省していくらも経たないうちに地方の役所の長のつく役職になる。すると、若造のうちから、その地方の政財界のお偉方に高そうな店でさんざん接待されるような生活をするわけですね。最初はまあ、悪い気はしないんだけど、結局こういう生活がいつまでも続くのかな、中央に行っても会う人と店がかわるだけかとか思うと、いったい何のためにやってるのか。官僚という以上、やっぱり国や社会の行く末に何か貢献しないと、なんてね、今思うと、漠然とそんな感じかなぁ」

 先生はにこやかに微笑んで、そう言うだけで多くを語りませんでしたが、私は一度で共感しました。この「なりゆき」は言葉としては簡単に聞こえるでしょうが、本人には容易ならざるものなのです。節目ごとに明確に選択jしていった結果ではなく、折々の人生の分かれ道で、どういうわけか色々な力や縁が働いて、ある一つの方向に行き先が決まっていく感じ。さらにその一番深いところで、先生の言う「漠然とした感じ」が働いているのです。

 私にも、何かこの世の中に居場所のない感じ、というより居場所を求めること自体に感じる疼痛のような違和感があったのです。

 案外、自信満々口にすることのできる「大志」より、こういう「なりゆき」の志の方が息長く人を支えるような気もします。


埋まっていた仏さま

2006年12月18日 | インポート

Photo_46  考えてみればひと月ほど、恐山の話をしていませんでした。閉山の後は、リアルタイムの恐山話があまり書けなくなり、申し訳ありません。

 さて、右の写真は地蔵殿の奥にある開山堂にお祀りしてある仏像です。どうですか? ちょっと変わっていると思いませんか。一見して、日本ではあまり見かけない感じでしょう。むしろ異国風に見えませんか。実際、日本でこれに近い表情の仏像を強いて挙げれば、飛鳥時代の最も古い頃のものでしょう。つまり、当時の中国韓国の仏像の影響を強く残していた時代の仏像です。私などには、東南アジア風にも見えますが。

 この仏像は、実に不思議な来歴を持っています。まず、頭と両手は同じ仏像のものではないのです。これらは、伝えられるところでは、明治初期に地蔵殿を再建したとき、土中から突如として掘り出されたのだそうです。その埋まっていた場所の様子から、おそらくこの頭と両手は、それぞれ違う仏像の一部だろうと言われてきました。つまり、少なくとも、二体以上の仏像が埋まっていた可能性があるわけです。下の台座は、これらを乗せるために特注されたものなのです。いまでも、どこかに胴体があるのかもしれません。

 一見して日本風に見えないところから、恐山では百済(古代朝鮮半島の国)仏と呼んでいますが、実際のところは不明です。見た人の中には、学者さんに鑑定してもらいなさい、と言う人もいます。ただ、私は今のところその気はありません。不思議な仏さま、のままでいいような気がするのです。

 明らかに出来るものは明らかにすべきだという考えには一理も二理もありますが、世の中、こういうものくらいは、不思議のまま残してもいいでしょう。


口を支える耳

2006年12月11日 | インポート

 先日、評論家の宮崎哲弥氏がメインキャスターをつとめるテレビ番組に呼ばれて、話をしてきました。氏とは3年ほど前から共著を出す準備をすすめている間柄なのです。

 拙著についてのことをはじめ、話題は多岐におよびましたが、時節柄、いじめ問題も大きなテーマになりました。その中で、私が面白いと思ったやりとりがあります。

私「今年がライブドア問題にはじまり、イジメで終わるのは象徴的ですね。両方とも、自己をめぐる闘争、存在の根拠を求めての闘争でしょう。だって、堀江という人、お金が好きな人ではないでしょう?」

宮崎氏「そう、そのとおり!」

私「アレが欲しい、何か買いたいものがあるとか、そういうわけでお金がいるんじゃない。むしろそんな欲は少ないでしょう。どうでもいいかもしれない。彼にとってお金は、『この世でお金で買えないものはない。お金が最大の力だ』という主張、自己を根拠付けるアイデアなんでしょう」

宮崎氏「まったくそのとおり。イデオロギーなんだね。その意味で、彼はオウム信者の<弟>のようなもの。面白かったのは彼に雑誌の仕事でインタビューしたとき。私が『いま何が一番怖いか』と質問したら、彼、何と答えたと思う?」

私「どうだろう?」

宮崎氏「『死ぬことですね』と言ったんだよ。今なら、有罪判決とか言いそうなもんでしょ。違うんだよ」

 このやりとりに限らず、対談は非常に面白かったです。なかでも、私がつくづく感心したのは、宮崎氏の話を聴く力というか、相手から話を引き出してくる力です。彼の応答や相槌どころか、表情や声の抑揚にまで、相手の思考を刺激し、何かを言わせる力を感じました。私は、茂木健一郎という今大活躍の脳科学者とも対談したことがありますが、彼らのようにすぐれた思考と卓抜した見解の持ち主は、どうやら、発言する能力は当然のこととしても、それ以前に非常に優れた聴く力があるのではないでしょうか。

 よく聴くには、まず相手や対象を偏見なく受け容れなければなりません。これは、正確に対象を観察する力に相通じるでしょうし、もしそうなら、この力なくして真っ当な物事の理解は成り立ちようがないでしょうから。

 ところで、気がついたことがもう一つ。前々から、自分には話が面白くなると場の状況を忘れてしまう傾向があると思っていましたが、今回の私もまさにそうでした。途中で完全にテレビに出ていることを忘れ、「ただ宮崎氏と議論しているだけ」状態になっていました。あとでビデオを送ってくれた友人も、「オマエ、敬語が多少入るだけで、話の調子、俺と話しているときと同じじゃん」と言って来ました。これはまずいな。


年賀状の疑惑

2006年12月04日 | インポート

 実につまらぬ話で恐縮ですが、毎年この時期になると同じことを考えるので、書かせていただきます。

 年賀状を書くのが楽しい方、好きな方はおられるのでしょうか? いや、まあ、おられるのでしょうねぇ。うらやましいです。

 私なんぞはいじましい理由で書いてます。出さないで、「ちぇっ、あいつ・・」みたいに思われたらいやだなあ・・・とか。出さないのにもらったらバツがわるいなあ・・とか。

 実際は、年賀状を出す出さない程度のことでつながったり壊れたりする関係なら、壊れてしまったってかまわないでしょうから、どうしても年賀状を出さねばならない理由などないのでしょうが、しかし、なぜかやめられない。

 ただ、自分がもらうと、なんだかちょっと、どこか嬉しい感じがするのも本当で、案外これが「ああ、めんどうくさーい!」と叫びつつ書いている理由なのでしょう。

 諸行無常、会者定離の教えから言えば、年賀状なぞあっさり廃止してしまうのが道理なのかもしれませんが、あのちょっと嬉しい感じは、諸行無常、会者定離が人の世の常だからこそかもしれません。