恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

番外:『正法眼蔵』私流・第7回のお知らせ

2024年06月25日 | 日記
東京赤坂・豊川別院様での講義「『正法眼蔵』私流」第7回は、

 7月・8月は休講とし、9月13日午後6時より行います。

なお、誠に恐縮ですが、この回より、別院様の開場時刻を午後5時30分にさせていただきます。

その他の参加要領については、2024年1月18日付けの本ブログ記事をご覧ください。

止め時の難しさ

2024年06月01日 | 日記
 以前、知り合いのタクシードライバーと元警官が同じことを言っていました。

「人が運転を続けていれば、いつか高齢になり、その結果必ず事故を起こす。起こす前に自分で止めるか、人に言われて止められれば、それは立派だが、ほとんどそうはならない。何らかの事故を起こしてから止める。物損の事故ならまだしも、人身事故なら後悔しても追いつかない」

 つまり、多くの人は、軽重はともかく、何らかの事故を起こすまで、車の運転を止めないということです。私の知る限り、80過ぎても運転を続けていた人の多くは、事故を起こしてから、家族に反論の余地なく叱られて、運転を止めています。

 老朽原発の使用を延長するらしいですが、このまま使い続けていたら、いつか必ず事故が起きます(延長が60年で終わる保証はない)。政府と運営会社が自分で止めるか、世間に言われて止められれば、それは立派ですが、おそらくそうならないでしょう。つまり、何らかの事故を起こしてから、運転を止めるでしょう。

 しかし、その事故が、軽微で終わる保証はありません。もし、かの福島原発レベルの事故が起こったら、その責任は誰がとるのでしょうか。

 かつて私が修行した永平寺は、原発が集中立地する福井県にあります。いま私がいる恐山もまた、原子力施設が集まる青森県にあります。もし大規模な事故が起これば、800年近い歴史を持つ修行道場も、1200年続く霊場も、その姿が変わらぬまま、立ち枯れるがごとく滅亡することになります。これを許容することは、私にはできません。

 もう一度申し上げます。どのような機械も装置も、使い続けている限り、いつか必ず壊れ、事故を起こすのです。それは、人が老い、病み、死ぬのとまったく同じことです。