修行僧時代、私のいた道場には夏と冬の2回、「結制安居(けっせいあんご)」と呼ばれる、外出を原則的に禁止して修行に集中するという、いわば修行強化期間がありました(100日間です)。
この期間中、特別に「首座寮(しゅそりょう)」という部署が設けられ、そこには住職から任命されて修行僧のリーダーとなる「首座」、その後見役としての「書記」、さらに二人の身の回りの世話を務める「弁事(べんじ)」の3人が所属します。
当時、首座は入門2、3年目の修行僧、書記は4年目以上、弁事はだいたい1、2年目の修行僧がなるのが普通でした。書記と弁事は、首座が選んで決めます。
ということは、どちらが先に入門したかが絶対的な意味を持つ道場の人間関係において、首座は表看板として重要でも、修行僧全体に対する実質的かつ絶大な権力は、書記が持つことになります(書記が最高権力者なんて、どこぞの独裁国家のようだな、と思った記憶があります)。
私は修行4年目の夏、この書記役をしたことがあります。当時任命された首座に「今回はグッと締まった安居にしたいんで、直哉さん、書記お願いしますよ」と頼まれたのです。
私はまず、立場が下の者からのお願いごとに弱い。今も、後輩から講演など依頼されると、ほとんど断れません。
次に、「締まった安居にしたいんで」という一句に参った。ヨシ、と意気に感じたわけです(その結果、あの夏安居の若い修行僧は大変な「災難」にあったわけですが)。
もう一つ、私も2年目で首座をしたので、書記を頼みに行って断られる辛さを知っていたのです。私の頼みを引き受けてくれた当時の書記和尚さんには、今でも全く頭が上がりません。ですから、一発でオーケーして、首座の負担を少しでも取り除いてやりたかったのです。
まだ「ダースベイダー」とは言われていなかったと思いますが、「道場原理主義者」を自認して調子に乗っていた頃です。書記を務めることに決まって、私のテンションは全面的かつ無際限に上がっていきました。
そして、いよいよ結制安居初日、私は、修行僧総出で行う朝の回廊掃除の直後、集まった修行僧を前に仁王立ちして、有無を言わさぬ勢いで訓令しました。
「よいか! 今回の夏安居は、有り難くもご開山高祖大師(こうそだいし:道元禅師のことです)の膝下、全員一丸、鉄の意志で修行を貫徹する!!
ゆえに、これに臨んで病気をする怪我をするなど、とんでもない裏切り行為である!
よく聞け! この安居中、病気なら肺炎、怪我なら骨折以上でない限り、病院にも行かせない!! このことを全山に周知徹底せよ!!!
わかったか!(全員のハイの大音声) 声が小さい!! わかったか!!!(ハイの絶叫)」
ずいぶん後になって、あの時の修行僧に訊いてみたら、彼は言っていました。
「あの時は、皆でこれは大変なことになったと、真っ暗な気持ちになりました」
ところが、あろうことか、こう大見得を切った直後、解散して首座寮に戻る途中の敷居に躓いて、私は右足の小指を骨折してしまったのです。
ポキッと乾いた音が聞こえた時、本当に全身から冷や汗がでました。
「書記おっさん(和尚の略称)、どうします?」
思ってもみない事態に、首座も弁事も途方に暮れた顔で言いますが、本当に途方に暮れていたのはこっちです。すでに小指は親指大に腫れています。しかし、あの大見得の後で、とても骨折しましたなんぞと言えません。
私は覚悟を決めました。包帯などを巻いて坐禅堂や仏殿などに入ることは禁止されていて、かといってあの頃はテーピングに適当なバンデージのような物はありませんでした。
結局ガムテープでつま先をぐるぐる巻きにして、長めの着物と早足で、負傷をごまかそうとしました。建物の中は薄暗いところが多かったので。
幸いに、坐禅と法要での正座は、我慢できないほどの激痛ではありませんでした。問題は朝。
首座寮のメンバーは毎日交代で、3時半の起床時に、鈴を振りながら階段だらけの伽藍を全力疾走して、起床を知らせる仕事があったのです。
これは、どうにも無理でした。歩くのがやっとなのに走るなんて。
3人は鳩首合議。致し方なく採用した対策はキセルでした。つまり、目立つ最初の10メートルと最後の10メートルを私が走り、バトンタッチ式に鈴を弁事に渡して代走させるという、実に姑息な手段でした。
私はこの方法で何とか一か月を誤魔化しました。今思っても汗がにじむような大失言、大失敗です。
しかし、あのとき、100人近くいて、私たち3人と身近に接していた一年目の修行僧は、一切何も言いませんでした。最後まで私の指示を遵守し、書記として立ててくれました。
言っていたのを私が知らなかっただけかもしれませんが、あの頃の私は、あえて知らぬふりをしてくれたのだと思っていましたし、今もそう思っています。
一か月もキセルをしていたのですから、わからないはずがありません。「恩に着る」という言葉がありますが、腹に沁み渡る実感としてそう思ったのは、あの夏安居の入門一年目の修行僧に対してが初めてです。
いまでも当時の一年目の修行僧に会うと、どことなく負い目を感じる私ですが、この夏安居では他にも大失言があり、いずれ機会があったら紹介しようと思います。
あるとき、失言者いわく、
「口は災いの元だな」
後輩いわく、
「その災いがなかったら、直哉さんじゃありませんよ」
追記1:次回「仏教私流」は6月23日午後6時半より、東京赤坂・豊川稲荷別院にて、行います。
追記2:「中国禅」講義のレジュメを提供してくださった方々、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。