恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

白い林

2006年08月31日 | インポート

Photo_34  これ、何の写真だと思いますか? 全部手ぬぐいやタオルなのです。恐山へのお参りが増える時期、「賽の河原」と称される岩場の参道の一角に、枝という枝、幹という幹にビッシリ、手ぬぐいやタオルが結び付けられたところが現れるのです。

 私が初めて、これを遠めに見たときは、白樺の林にしか見えませんでした。ちょっとくたびれた白樺だな、とは思いましたが、まさか手ぬぐいやタオルだとは想像もしませんでした。これはいったい、何のおまじないでしょう?Photo_35

 実は、これはおまじないでもなんでもありません。供養なのです。恐山も夏は暑い。30度くらいにはなるわけです。すると、あの世へ旅する、あるいはあの世からやってくる祖先の霊、懐かしい人の霊も暑かろう。暑ければ汗もかくだろう、というわけで、その汗を拭ってもらおうと、手ぬぐいやタオルを供養する、というわけなのです。

 この白い林は、一番長いときには、30メートル近くになります。無数の白い布の帯。私は最初に見たとき、つくづくと感じたものです。

 「死者」はけっして「死体」ではない。同時にあるのかないのかも曖昧な「霊魂」でも「幽霊」でもない。「死者」が現れるのは、こういうところなのだ。この枝や幹に手ぬぐいを結びつけるとき、そこには「死者」がリアルに現前する。それが「死」において生きる「者」のあり方なのだろう。

 だとすると、「成仏」とは、こういう供養がまさに尽きるところ、その思いが遂げられ、消え果てたときに起こるのではないか。それが供養される者と供養する者との、「死者」からの解脱でもあるのだろう。

・・・・こんなことをとりとめもなく考えながら、私は長いこと白い林を眺めていたことでした。


移動中

2006年08月26日 | インポート

 今日、秋田から帰ってきました。秋田県の若いお坊さんの勉強会に招かれ、話をしてきたのです。私には、時々こういう仕事があります。わが宗派の若手僧侶の勉強意欲は、このところずいぶん高まってきたように思いました。

 で、恐山に帰り着き、夜のうちにブログを更新しておこうと思ったのですが、急に明日札幌に行く用事ができて、まとまった記事が書けません。申し訳ない。

どうも、最近は特に移動することが多く、いろいろな人に迷惑をかけてしまいます。ですが、実は、いざ本当に移動が始まってしまうと、これは意外に本人には悪くない。もはや目的地に着くまでは、何をどう心配しても仕方がありませんから、自分の時間として使うほかありません。「自由」なわけです。私は、雑誌を読んだり、ぼんやり考え事をしたり。

 案外、こうやって移動中の時間を楽しんでいる人は多いのではないでしょうか。そして、私のように、時として移動中にこそ「自由」を感じるとすれば、それはいかにも現代人らしい、世知辛い自由の味のような気がします。


イタコさん2

2006年08月21日 | インポート

Photo_32  今回は再びイタコさんのお話です。左の写真は、夏の例大祭の最中、イタコさんの小屋の前に並ぶ人々の列です。自分の順番が来るまで、2、3時間待つことはザラです。Photo_33

右の写真は、例大祭最終日の午後5時ごろ。もうイタコさんたちも帰り支度をはじめた頃合のものです。このような小屋はみな自前で、イタコさんの家族らが建て、期間中ずっと付き添っています。

 さて、イタコさんの口寄せ(降霊術)については、私は以前、二つ、「へぇ~」と思う話を聞きました。

 一つは、前に、カナダ人の男性が観光に来たときのこと。彼は、ずらりと並ぶお世辞にも立派といえない小屋に目を留め、案内の通訳に、何の小屋か尋ねました。通訳がこの地方に古くから住む霊媒師たちのものだと答えると、彼は冷やかし半分ながら、非常な興味を示し、直ちに「入ろう」と言いだしたのだそうです。

 このときの口寄せは、大変だったといいます。カナダ人は英語のみ。イタコさんも最高齢に近いお年寄りで、下北半島からほとんど出たことが無いという人で、下北弁オンリー。彼と彼女の間には、日本語通訳と下北弁通訳がいたそうです。

 さて、口寄せが始まると、最初ニヤニヤ笑っていたカナダ人は、そのうち何も言わなくなり、最後には泣き出してしまいました。そのとき、このめずらしい口寄せを見ていた周りの人たちは、通訳に一体どうしたのか訊くと、いわく、「彼は、これは私のママに違いないと言っている」と答えたそうです。お婆さんと自分は今日はじめて会ったのに、この人は私の生まれた家の様子を知っている。その家で、私とママしかいない時に起こったことを知っている・・・・・。カナダ人はそう言って泣いたというのです。

 もう一つ。あるとき、恐山の受付に中年のご婦人が来られて、涙ぐんだ表情のまま、丁寧に頭を下げ、「今日はありがとうございました。おかげで様で母に会えました」と挨拶したのだそうです。受付の僧侶は、「ああ、恐山がイタコさんを雇っているとでも誤解しているな」と思ったそうですが、別に説明する必要も無いと思い、ただ「そうですか、それはよかったですね。どうしました」と、答えたのです。

 すると、彼女が言うには、自分の母親は、晩年重度の認知症になり、ついには、子供の顔もわからず、排泄も自分ではままならない状態になってしまったのだそうです。ですが、亡くなる直前まで、ある歌のある一節だけ、突然繰り返して歌い出しました。その歌が、童謡とか民謡とか、昔の唱歌ならともかく、どう考えても年寄りが歌うとは思えないような歌、おそらく当時のアイドル歌手の歌うような歌だったのだそうです。

 この彼女が、イタコさんにお母さんの名前と生年月日を告げて、口寄せしてもらったところ、イタコさんが一瞬目を閉じて黙り込んだ後に、その口から出てきたのは、まさにその歌のその一節のみ、だったというのです。

 これらは、多分、事実としてあったことだろうと、私は思います。ですが、問題はこの後です。この事実をどう解釈して、どう他人に説明するのか、という段階になれば、これは単に事実を述べることとは別でしょう。いかなる概念を用い、どういう因果関係にまとめて解釈し説明するかで、この事実の見え方は全然違うからです。

 注意しなければいけないのは、ある概念を用い、ある因果関係を設定するときの、前提条件です。頭から「霊魂の実在」を前提にすれば、そういう話以外にはなりようがありません。解釈や説明に大事なのは、前提となる「霊魂」と「実在」という概念の定義なのです。

「霊魂」とは、身体と分離した自意識のことなのか。「実在」とは、目の前にあるのコップの存在くらいの強度を持つ経験なのか。

 そして同時に、解釈者・説明者は、その解釈や説明で何を意図しているのか。人を脅したいのか、励ましたいのか。もっとも大事なのはここです。

 この前、恐山に一泊した50歳前後の男性が、「母に会うことができました。本当にありがたいです」と私に言うのです。ですが、何を言われたのか訊いてみると、「遠くまで本当によく会いに来てくれた。後のことで迷惑をかけてすまない。みんななかよくやってくれ」という、私には、誰にでも当てはまるようなことにしか思えないことでした。

 ところが、この男性は、母親の没後、いささか遺産のことで親族といざこざがあったらしいのです。だとすると、「後のことで迷惑」と「みんななかよくやってくれ」は、彼に響いたでしょう。私はそのとき、彼が口寄せをお母さんの言葉だと信じることが、とても善いことだと思いました。


「品評」の功徳

2006年08月11日 | インポート

 実は私、恥ずかしながら、今年、47歳12ヶ月にして、初めて自家用車を買いました。東京の学生時代・会社員時代は地下鉄とJRで不自由はなかったし、後はずっと禅道場暮らしだったので、必要を感じなかったのです。

 しかし、さすがに、恐山で仕事をするようになると、車なしではどうにもならないと悟らざるを得ませんでした。そこで、昨年末から教習所に通い、苦難の果てに免許を手に入れたのです(これはこれで、いつか書いてみたいネタなのですが)。

 で、次に車を買う段になったのですが、どの車がいいのかさっぱりわからない。結局、車大好きの弟子の言うとおりのものを買ったのです。車「ド素人」の私としては、一番手っ取り早かったので。

 こうして、車種を決め、注文もしてから、急に思いついて(このときまで思いつかないのが、40歳でパソコンを始めた中年男の悲しさですな)、インターネットを検索jしてみたら、実に出るわ出るわ、車関係のサイトのあることないこと。その中の、車を批評・論評するサイト・ブログの多いこと多くないこと、もうビックリ!

 読んでみると、役に立つのは無論、実に面白い。これには驚きました。

 その理由の一つは、書き手が本当に車好きなのだということが、文章の全体ににじみ出ていることです。だから、欠点の指摘も悪口や中傷になるはずがなく、きちんとした批判になっていて、根底に愛情が感じられるのです。ジャンルを問わず、私が読んで感心する批評には、必ずこれがあります。上品なのです。

 二つ目が、相手が車だからかもしれませんが、話が常に具体的なこと。知っていれば目に見えるような書きぶりだし、知らなければ、必ず読み手にも確かめようのある話なので、文章に嘘やゴマカシが感じられず、さわやかなのです。

 三つ目が、ネットでは当然のことながら、書き手読み手の交流があること。ということは、文章が独善的になることが少なく、信用できるのです。

 四つ目は、「ワーストランキング」のような企画・文章が目につかなかったこと。あるのかもしれませんが、少なくとも、すぐ見当たるものはなさそうです。実際、車好きにしてみれば、「よい車」の情報が欲しいわけで、ことさら「悪い車」を探しても、なんら生産的ではないでしょう。「よい車」がわかれば、読み手がそうでない車を判断するのは簡単です。情報の価値としては、それで十分なはずです。それでも、あえて「悪い車」探しをするとなれば、書き手の意図は批評とは別だということになってしまいます。

 最近の新興宗教問題の相変わらずぶりを見るにつけ、私は宗教や宗教者にも、こうした批評・論評の場がないものかと思います。

 霊はイエスで救われたが、肉はまだだ。その肉まで救うのが教祖で、その方法がセックスだ・・・・・マスコミが伝えるこの教義がそのとおりなら、これほど馬鹿げた教義を信じ込まされるには、相当の手練手管、前段階があるはずでしょう。この信じる前段階の時期に、教えや教祖を相対化する視点が持てれば、話はこれほど単純ではなかったかもしれません。

 この「相対化」に、宗教や宗教者を「品評」することが役に立つのではないか。宗教への深い敬意を心に持ちつつ、公平で具体的な「支持」と「批判」がなされる公開の場があるといいのではないかと、私は思うのですが。もう、あるのでしょうか?


お盆だ、暑いよ

2006年08月06日 | インポート

 福井に帰ってきました。お盆です。暑い! ほんの5、6日前、恐山は、朝がまだヒンヤリしていました。寒がりの私などは、ストーブ点けようかな、と思ったくらいです。ところが、2、3日前から、突然晴れて温度急上昇、30度近くなり、福井に来てみたら、今日は35度です。今年のお盆は、檀家さんまわりがキツイかもなあ。

 私の寺は、今日が檀家さん総出の大掃除の日。7、8日と諸準備があって、9日夜に境内の「三界万霊等」塔の前で供養を行い、これを皮切りに16日の「山門施食法会」まで、お盆の法要が続きます。県外で働いている家族や親族も戻り、檀家さんはどの家も急に人数が増え、この期間はお墓参りの人が途絶えません。

 私もこの寺に住職して11年目ですが、お盆の様子は毎年変わりません。いつもと同じ光景が、寺で、お墓で、檀家さんの家でも繰り返されます。おそらく生きている「伝統」とはこういうものでしょう。

 ところで、最近、しばしば「国を愛そう」とか「日本を愛そう」とか声高に言う人を見ますが、彼等はそもそも何を愛そうというのか、私にはよくわからないことがあります。

 以前「愛国者」を自認する若者と話しをしていて、「国の何を愛するのか」と訊いてみたら、面食らったような顔をして、一瞬口ごもり、「・・・文化とか、伝統とか・・・」と言いました。そこでさらに、「どういう文化や、伝統か」と言うと、もう何も答えないのです。

 思うのですが、「愛する」という感情は、人であれ、物であれ、具体的なものにしかまともに働きません。「国」だの「文化」だの「伝統」だの、抽象的な概念に対する愛は、要するに自分の考えを愛するのでしょうから、結局はナルシシズムと同じことです。自分の容姿を愛するにしろ、考えを愛すにしろ、自己愛に変わりはありません。

 私の経験では、「愛国者」で日本の具体的な伝統文化に深い造詣を持っている人は極めてまれです。ほとんど知らない「愛国者」の方が多いような気がするのですが、私の偏見でしょうか。近頃、日本の伝統・文化に「武士道」を挙げる人がいますが、武士が兵士としての実質的な役割を失った江戸時代の、一地方で編集した封建道徳だけを持ち上げて日本の文化・伝統を代表させるのは無理でしょう。日本の文化・伝統は、それほど底が浅くはないはずです。

「愛する」と言うなら、「浮世絵を愛する」とか、「華道を愛する」とか、「柔道を愛する」、「宮崎アニメを愛する」というふうになるのが自然でしょう。ですが、そうなら、「愛する」などと大げさに言わなくても、「浮世絵が好き、華道が好き、柔道、宮崎アニメが好き」でよいのではないでしょうか。

  そして、さらに言えば、好き嫌い以前に、当たり前の習慣として生きているお盆のような「伝統」は、これまた「愛する」までもなく、愛するまでもないがゆえに、これぞ確かな「伝統」なのだと思えるのです。


ありがたい、なやましい

2006年08月01日 | インポート

Photo_27  大祭も終わりころになると、たとえば、恐山で最初に参拝の方を迎えるお地蔵様は、左の写真のような状態になります。手製のよだれ掛けや帽子、着物などが供養され、さらに無数の風車。子供にとりわけ慈悲深いと信じられたお地蔵様には、おもちゃの象徴として、風車が供えられるのです。幼い子供を亡くした人は、お地蔵様に一つ、わが子に一つ、供えるのでしょう。

 右の写真は、別の場所のお地蔵様です。 どうです、この量。この時期、 Photo_30お参りの人はそれぞれに、大きなリュックサックを背負ってきたり、両手にいくつも紙袋をぶら下げたりして、お供物を持ってくるのです。

 「賽の河原」と称される岩場にも、沢山のお菓子や飲み物が供えれています。どちらかと言えば無彩色が勝る恐山の風景には、色とりどりのお供えは、供養する人の深い心ばえが見えるようで、目にあざやかです。

 ですが、その一方で、こうしたお菓子や飲み物は、絶好のカラスの餌になってしまいます。環境の厳しい恐山には、普段はカラスはいないのに、お供え多く上がる時期になると、カラスがやってきます。豊富なお菓子のせいでカラスは贅沢になり、いまやただの塩せんべいなどには、見向きもしません。現代の若者よろしく、プリン、ゼリー、ポテトチップスなど、勝手気まに食べ散らかしています。Photo_31

 実は、我々には、これが悩みの種なのです。普段は、外の岩場などにさほど多くのお菓子が供えられるわけではないので、山内の清掃班がきちんと後片付けができるのですが、この大祭前後は、次から次へとあまりに多く供えられるので、清掃が追いつきません。結果、カラスや強風に飛ばされ、境内が汚れてしまうのです。ですから、時々、「境内がゴミだらだ」と苦情を頂くのですが、私たちとしては、本当に困ってしまいます。それはもともとゴミなどではなく、供物なのです。

 以前、こう苦情がくるなら、お供えが終わったら、すぐに片付けたらどうだろう、という話になったのだそうです。ところが、これにも苦情が来る。というのは、お供えした人が、そのまままっすぐ帰ってしまえば問題はないのですが、大抵は一度振り返る。すると、まさにその頃、係りがザザザッと、お供えを片付けているわけです。それを見て、「いませっかくお供えしたのに!」と、ご立腹になるわけです。

 どちらにしろ怒られるなら、どうする? 結局、せっかく遠くから重いお供物を持ってきてお参りしてくれるのだから、こちらの都合でサッサと片付けるのはやめよう、ということになり、なんとか清掃に努力して、ゴミの苦情を減らしていこう、となったのです。

 亡くなった人を偲ぶ気持ちや、仏様への信仰心を形に表そうとするのは、美しく、自然な気持ちの流れです。ただ、その気持ちの流れが滞らないようにするために、見えないところで努力している人たちもいることを知っていただけると、嬉しいです。