恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

夜の雨

2014年09月29日 | 日記
 街には、夜から急に雨が降り出した。

 女たちは頭と足元を気にし、男は前かがみに足早に歩きだす。誰もが誰かと交錯して、私はその狭間を縫った。

「だから!ダメだって言ってるの!!」

 突然、甲高い声が路上の雑多な音を割ると、私の体の右側に塊りが衝突して跳ね返った。

 目の前に転がったのは、子どもである。降り出した雨と涙と鼻水に濡れた、拳くらいに小さい顔が、目を見開いたまま口を穴にしている。

 私は、ひっくり返った子どもの両脇に腕を入れて、そのまま引き上げた。

「だいじょうぶ、ね?」

 目の隅に、先の尖ったオレンジ色の靴が見える。顔を上げると、立ち竦んだ若い女の眼が、当惑したように、切なそうに、光を失って固まっていた。彼女は今まで生きてきて、こういう格好をした僧侶を間近で見たことがあっただろうか。

 いきなり、子どもの泣き声が弾けた。喉を焼くような、悲鳴が連続するような、通り過ぎていく者がチラッと視線を投げるような、口から沸き出る、誰も聞きたくない騒音。

 私は、泣き続ける子どもの両肩を回して、若い女に向かって軽く押した。即座に、若い女は固まった視線を断ち切った。そして、棒でも持つように子どもの左手を掴むと、そのまま振り返りざまに引き摺っていく。

 女と子どもと泣き声は、たちまち雑踏の中に飲み込まれた。

 駅に行く私は、逆方向に歩き出した。おそらく、何かに腹を立てて。彼女にではなく、自分にでもなく、何かに。

見ただけで走る

2014年09月20日 | 日記
今年何度目? 思いつき禅問答シリーズ。

 仏教以外の教えを信奉する行者(「外道」)が、釈尊に質問しました。

「言葉によってでもよいですし、言葉ではない方法でもかまいませんが、あなたの会得したものを教えて下さい(有言を問わず、無言を問わず)」

 すると、釈尊はしばらくただ沈黙していました(世尊良久す)。ところが、それを見た行者は大いに釈尊を讃えて言いました。

「ああ、偉大なる師の慈悲深さよ! 私を覆う迷いの雲を払って、正しい道に導いてくださった(世尊の大慈大悲、我が迷雲を開いて、我をして得入せしむ)」

 これを見ていた阿難は不思議に思って、師である釈尊に問いました。

「あの行者はいったい何がわかって『正しい道に導いてくださった』などと言ったのですか?(外道は何の所証ありてか、得入すと言える)」

 釈尊は答えました。

「世の名馬とされる馬が、鞭を見ただけで(叩かれる前に)走り出すようなものだよ(世の良馬の、鞭影を見て行くが如し)」



この問答を簡単に片づけるなら、それなりに優秀だった行者は、釈尊が沈黙で示した「言葉を超えた真理」、あるいは釈尊の存在自体に「ありのままに現れた真理」を悟り、釈尊がそれを認めたのだ、という説明になりがちです。

 しかし、この説明は行者の言う「無言」と釈尊の「良久」の違いを無視しています。けだし、問題の核心はここだと、私は考えます。

 ことが「言葉を超えた真理云々」に止まるなら、行者はすでにそんなことはわかっているのです。だから、「無言を問わず」と言えるわけです。

 釈尊の沈黙は、「言葉を超えた」何かを無条件で前提とする「無言」とは次元が異なります。

 釈尊の沈黙は、言葉と言葉で意味されるものとの間を見ています。すなわち、沈黙は単なる言語の欠如ではないのです。

「言葉にできない真理」それ自体など幻想にすぎないません(すでに「言葉にできない」と言ってしまっている)。もしそんなものがあるなら、それは、決して完結せずに言語化し続ける運動において示されるだけだ・・・・、沈黙の意味はこれです。

「言葉にできない真理」それ自体を前提にものを考えていた行者は、釈尊の沈黙によって初めて自分の幻想を自覚することができました。だから、釈尊を讃えたのです。

 同じ沈黙の姿を見て何もわからなかった阿難にくらべれば、釈尊の沈黙に接しただけでそこまで悟った行者は優秀です。 まさに「鞭を見ただけで走る馬」でしょう

集中より反復

2014年09月16日 | 日記
恐山にいるときは、朝は地蔵殿の本尊様の下で坐禅させてもらっています。

 以前、締め切り間際の原稿が書けずに夜更かしして、ほとんど寝る間もなく坐禅に行ったことがありました。

 覚えているのは、手を組み足を組み、姿勢と息を整え、「さて・・・」という気分になったところまで。どうやらここで私は「落ちて」しまったようなのです。

 次に気がついたときには、背後に参拝の方々が朝のお勤めに参加しようと集まり始めていて、この時まで熟睡していたらしい私はビックリ仰天、大慌てで退散しました。

 この失敗に苦笑しつつ、私は駆け出しの修行僧時代を思い出しました。

 道場に入門後まもなく、まだ慣れない毎日で疲労困憊だった頃、とにかく朝の坐禅は眠くて仕方がありませんでした。ほとんどの新参僧は、坐った途端に頭がグラグラ揺れ始めたものです。

 すると、坐禅堂で唯一言葉を発することができる立場の老師が、語気するどく私たちを戒めるわけです。

 「坐ったとたん眠り込むとは何たることか! 道元禅師様の膝下で修行できる勝縁(ありがたい因縁)を何と心得る!!」

 という叱咤を枕詞にして語り出されるのは、道元禅師の中国・宋の国での修行時代のエピソードです。

 禅師が自分の師匠と見込んで入門したのは、天童如浄という禅師で、この人はまさに坐禅修行一途の指導者だったのです。

 毎日、修行僧とともに夜は11時ごろまで、朝はなんと未明の2時ごろから、一日として休まず坐禅三昧でした。

 指導も苛烈を極め、疲労で思わず寝てしまう修行僧を見ると、自分の履物を取って頭を殴りつけたといいます。それでも誰一人として不平を言い出すことはなく、むしろ如浄禅師に打たれることを皆喜んでいたと、道元禅師は回想しています。

 「この道元禅師様の修行に比べれば、尊公(修行僧に呼び掛けるときの二人称)らの修行など修行のうちに入らん! これしきで眠るなど、もってのほかである!!」

 坐堂に鳴り響く老師の声で、私たちは無理やり背骨を伸ばし、しばし必死で眠気に耐えました。懐かしい思い出です。

 ただ、今の私はここで一つ、思うところがあります。それは、道元禅師の修行時代のような苛烈な坐禅修行は、一時期の方便として意味があるものの、大して重要ではなく、坐禅としては拙いということです。

 長時間ぶっ通しで坐り続けるような方法に意味があるのは、修行初期、安定した坐禅ができる体作り、つまり自分なりの「坐相」を手に入れるまでです。

 心身ともに安定的に坐禅するには、まず第一に身体が坐禅の型に適応し、馴染まなければなりません。これには、ある程度集中的な訓練が必要で、場合によっては長時間坐る方法も有効です。私も、修行僧3、4年目頃には、3、4時間坐ることはザラでした。

 当時私が目指していたのは、とにかく楽に坐るということでした。それには、体を坐禅に慣らすほかないと思ったのです。

 ちなみに、生まれつきよほど足腰が柔軟でない限り、坐禅を長時間行って痛みを感じない者などいません。痛くても坐禅できるようになるだけです。すなわち、痛みが坐禅の姿勢を崩したり、呼吸を乱したりすることがなくなり、痛くてもそれなりに坐禅が続き、意識は痛みから遊離していくわけです。

 このあたりまでもっていくのに、長時間の坐禅が方法的に有効な場合があります。しかし、長時間の集中的な坐禅それ自体には、大した意味はありません。言い換えれば、時々思い出したかのごとく長時間集中的に坐禅するより、たとえ時間は短くても定期的に坐禅を反復すること、つまり坐禅を生活に組み込み習慣化することの方がよほど重要です。

 私自身は、気の向くときに突如として5時間「精神集中」して坐禅するより、時刻を決めて毎日欠かさず1回5分、文字通り死ぬまで坐禅する方がよっぽど「只管打坐」だと思っています。この5分が10分になり、やがて1時間、2時間になるなら、それはそれでなお結構です。ですが、大事なのは時間の長さではなく、それが確かに習慣になっているかなのです。

 これは、言語と自意識の作用を解毒するという、私の考える坐禅の意義から言って、しかるべき結論でしょう。