恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

開山しました。

2021年05月10日 | 日記
 誠に残念ながら、未だコロナウイルス禍が終息しない中、今年5月1日、恐山は開山の日を迎えました。以下は、開山当日のご挨拶です。

 皆様、本年度の開山初日、お参りお疲れさまでございました。未だ新型ウイルス禍が収まらぬ状況でこの日を迎えざるを得なかったことは、誠に残念に存じております。

 昨年の恐山は宿坊を閉鎖し、恒例の夏の例大祭と秋季祭も規模を大幅に縮小して行いました。今年はできうる限りの感染対策を施し、宿坊は開かせていただきました。おそらくは、皆様方の日常も昨年以来、一変されたのではないでしょうか。

 私自身にも驚くようなことがございました。住職している寺の檀家さんに葬儀を断られたのです。

 亡くなったのは明るく人気者のお婆ちゃんで、いつも冗談で「方丈さん、私ももうすぐだから、その時はよろしくお願いします!」などと言って笑っていた人です。喪主の息子夫婦から「お葬式は方丈さんとは別の和尚さんで」と告げられたときは、大ショックでした。

 しかし、理由を聞けば致し方ない。夫婦二人とも高齢者施設に勤務していたのです。しかも、私はその頃、第二波ピークの東京にいたのです。

「ごめんね、方丈さん。万が一にも私たちが持ち込むわけにはいかないの」

 これがソーシャルディスタンスというものでしょう。

 しかし他方で、有名なコメディアンが急逝したとき、私たち日本人はこのウイルスの恐ろしさを初めて実感したと言えるでしょう。就中、彼は家族の誰にも看取られず、そのまま直ちに火葬されてしまいました。実兄の方が自宅前で弟の骨壺を呆然とした様子で抱えていた姿は、我々に衝撃を与えました。
 
 看取りと弔いの機会を奪われたとき、大きなダメージが遺族に残ることは、その後も様々な事例で我々の知るところとなりました。

 以来今に至るまで、私は改めて「ご縁」というものの意味をつくづくと考え直しました。

 皆さん。私たちは今、本当に無力です。ウイルスは猖獗を極め、医療は限界に近付きつつあります。ワクチンの普及はままならず、今後の変異はワクチンの効果を奪うかもしれません。変異によっては、従来の我々の個人的予防も難しくなりかねません。

 かくも無力なとき、我々にできることは多くありません。ですが、それでもなお一つ、今してみる意味のあることを、私は申し上げたく思います。

 それは、生きていく上で、自分にとって何が本当に大切なのか、誰が一番大事なのかを、よく考えることです。

 これを考えることは、結局、自分は誰と何を共有したいのかを考えることであり、それが「ご縁」の在り様であり、生きることのリアルな意味ではないでしょうか。

 様々なご心配のあることは私も同様です。しかし、どうか一時でも、心静かにご自身をめぐるご縁に思いをはせていただきたいと、2021年の開山にあたり、切に願うところでございます。

 本日はお参り誠にありがとうございました。


追記:今年の恐山について。

〇開山期間、入山・閉山の時刻には変更ありません。

〇法要、売店と軽食店の営業も変更ありません。

〇宿坊も例年どおりに開いておりますが、感染症対策のため、検温・手指消毒、対人距離の維持(ソーシャルディスタンス)などにご協力をお願いします。

〇宿泊予約の方で、検温の結果、体温が37.5度以上の方と、そのお連れ様には、宿泊をご遠慮願います。

〇夏季例大祭と秋季祭の実施方法については、現在検討中です。ご参拝ご予定の方は、日にちが近くなりましたら、電話にてお確かめください。

〇宿泊者向けの院代法話は中止します。恐山は、屋外に大量の小虫が発生するため、夜間に窓を開けての換気ができず、感染の懸念が払拭できない現状では、実施は困難と判断致しました。

〇院代法話は、9月の日中に複数回行う予定でいます。日時は後日当ブログでお知らせします。

〇「坐禅と講話の会」は今年も中止します。

〇ウイルス禍の状況によっては、入山・宿泊などに変更が生じることがあります。