本記事より4回の予定で、『月刊石材』(石文社)の昨年4・5月号に掲載されたインタビューをご紹介します。聞き手は、青森市㈱やまと石材社長・石井靖氏です。
□死後にも人はいる
石井靖社長(以下、石井) 今日は本当にありがとうございます。楽しみにしておりましたのが半分と、雑誌『AERA』(二〇〇九年一月二十六日号)の記事を拝見しまして、非常に怖い方だということが書かれていましたので、緊張が半分です。
石材業界は、もともと代々石屋さんというのが多いんですけど、私の場合は、親がまったく別な業界だったんです。今日は素直に聞こうと思っているんですが、この業界に入った時に、私たちは仏教のお手伝いというのか、供養するためのお墓を作らせていただいているんですけど、どうも仏教の話をお伺いしますと、矛盾のようなものを常に感じておりまして。
私たちの仕事に対して、お客様はとても喜んでいただき、また泣きながらお墓に語りかけている姿を見て、私は非常に「素晴らしい、意義のある仕事なんだ」、「誇りを持てる仕事なんだ」という風に思ってはいるものの、一方では仏教からすると「あれ、違うのか?」というところがありまして悶々としていたんです。
南先生のご著書に、おばあちゃんの話があって「私は極楽へ行けるんでしょうか」という問いのお答えとして、「仏教の教義からいくと矛盾なんだけど、それはそれでいいことだ」と書かれていまして、すごい感銘を受けたんです。
実は仏教側から、「矛盾」という言葉を聞きたかった、というのが正直なところで、その先に私たちの仕事の意味があるんじゃないのか、と思いまして、ぜひお会いして、お話をお伺いしたいと思った次第です。
南直哉(以下、南) なるほど。それは仏教が始まって以来の非常に大きい問題で、今も完全に解決されてない、おそらく決定的な問題の一つだと思うんです。つまり簡単に言うと、日本以外でもそうですが、死者儀礼の全体の構成の仕方は、どう見ても「死後にも人はいる」という前提で、お墓も「そこに少なくとも寝ている」のが前提でしょう。
あるおばあちゃんが「死にたくない」と言うんです。理由を聞いたら、「あんな暗くてじめじめした所(お墓)に入りたくない」と言うんです。そのおばあちゃんは、お墓に入ってから、「ジッとしている」と思っているわけです。リアルにそう思っているわけです。
あるいは嫁に行った先などで、「あの人とは一緒にいられない」とかね。つまりあの空間に入って、ずっと暮らしていくような感覚を持っている。これはおそらく、一人や二人の話じゃなくて、そう思っている人がいっぱいいると思うんです。
日本における死者儀礼とは、「死んだ後も人がいるんだ」ということを前提に、たぶんものを考えているとしか言いようがない。『おくりびと』という映画が今回あたったのも、死体という物体が横になっているということだったら、あり得ないことです。少なくとも遺体であり、遺体である以前に、死者として「ある存在の仕方をしている人間だ」と意識するからだと思うんです。
石井 ある存在の仕方をしている人間…。
南 そうです。死者であって物じゃない。ただの物だったら、ああはならないです。そう考えると、やはり日本人にとって、「死者であって物じゃない」というイメージがあるわけで、ただ仏教の根本的な考え方からすると、その考え方は、どう考えてもその通りには折衷できないと私は思います。
死後の世界とか、死後の霊魂あるいは死後の人格という考え方は、古今東西どの民族やどの文化の中にもあるわけで、死後の世界と死後の存在、あるいは霊魂みたいなものをもたない民族、文化はない。それくらい普遍的だということには、理由があると思うんです。
結局、死というものは現象として理解出来ないことだと思うんです。人間の誕生からの過程をずっと見ても、「ここで死が発生しました」ということは、絶対に言えないですよね。ほうっておけば、呼吸が止まって腐ってくる。最後腐乱する。過程はそうでしょうが、どの時点で死が発生したかというのは、顕微鏡をのぞいていてわかると思いますか? 組織が崩れていくだけです。ある時点で身体機能が止まって、肉体組織が崩れていく。その過程はトレース出来ますが、「ここで死が発生しました」とは、誰も断言できない。誰もわからない。
死の一番根本的な定義は、わからないということだと思うんです。わかるわけはないですからね、死んだ時、その人はいないんですから。
石井 経験出来ないという意味ですよね。
南 経験出来ないことは、理解出来ないですから、人間は死を理解することが、絶対に出来ない。理解出来ないことなのに、それが起こるということになれば、モデルを考えるしかないわけです。あるいは物語を考えるしかない。
人間が死に関して使えるモデルは二つしかなく、一つは旅行で、一つは別離です。つまり死ぬ本人にとっては「どこかに行く」という旅行モデルで考えるしかない。自分が知っている人の死に関して言えば、別れ、別離という形でこの死を理解するしかないわけです。第三者、あるいは他人の死について言えば、もはや無関係ですから葬式もやらないわけです。
石井 別離というのは非常にすっと入ってくるんですけど、旅行というのがちょっとピンとこないんですが。
南 つまりこの世界とは別の世界、この国から違う国へ行くということです。
石井 亡くなると、今の状況が一つ終了するわけですよね。でも、「別の所に行くだけなんだ」という納得の仕方ですね。
南 そういう仕方しか普通は出来ないでしょうね。『おくりびと』では、着せ替えのシーンがあり、旅行仕度するわけです。死装束というのはそういうことです。それは旅行がモデルです。これ以外、たぶん人間はわからんわけです。
石井 今お話を伺っていまして、自分自身に置き換えると「そうだ、旅行だ」と思うんですが、『おくりびと』に代表されるような話でいくと、送る側も「旅行するんだ」と信じることによって自分自身を納得させる。
南 それが別離ですね。
石井 それが別離ですか。自分が行くんじゃないけれども。
南 行くとそこで別れるじゃないですか。袂を分つ。だから「おくりびと」と言うんです。結局この二つしか人類にはモデルがないんです。おそらくどの宗教だろうが、どの文化だろうが、この二つをはずした死者儀礼はないはずです。おそらく、特定のどの宗教、どの教義とも関係はないと思うんです。これは普遍的なモデルですよ。考え方のパラダイムです。
考え方のパターンだから宗教とは別なんです。社会をもった人間が実存する上で、死という概念を処理するには、これ以外のモデルはない。それは宗教が発明したというよりは、宗教以前にある感覚。もっと言えば、いわゆる三大宗教、四大宗教と言われるような大きな宗教が発生する以前に、人間が自意識を持ち社会を持って暮らし始めて以後、おそらくこれ以外の考え方は持てなくて、あとは、それぞれの宗教が、このパターンをどのように取り込んでどう処理したかの問題だけです。
私は世の中の宗教を、傲慢ながら「仏教とそれ以外」としか考えないんです。なぜかと言うと、考え方のパターンが異常なんです。つまり、「自己存在には根拠が欠けている」ということを、真っ向から教えの根本として打ち出す宗教はないのです。仏教以外は全部、絶対者なり、絶対理念なり、絶対精神みたいなものが、人間の存在の根拠、社会の存在の根拠にあるというのが、およそ思想とか宗教の根本です。
でも、仏教だけがそれを言わない。だから私にしてみれば、「仏教とそれ以外」と言って構わないのですが、その時に、別離あるいは旅立ちのモデルを仏教と理論的に融合することが、私はものすごく難しいと思うんです。
ところが仏陀は天才的に頭がいいですから、要するに「『あるのか、ないのか』に関しては言わない」と、こうくるわけです。言ってしまったら、「なぜわかったんだ」ということになる。そこが、やっぱりよく考えた人だろうと思うんです。同時に「そこが人間精神の難しさ」ということがよくわかったんだと思います。
そうすると、「言わない」ということになると、ある条件においては「それを言ってもいい」という風に解釈可能でしょう。だから、仏教の教義は他の宗教とか、他の人間の考え方と折衷する余地、のりしろがあるんだと思うんです。
石井 今のお話は、すごい衝撃です。ご著書の中に「無記」というのが出てきまして、「言わなかった。じゃあ、一体我々の仕事は何なんだろう」「お客様が拝んでいるのは何なんだろう」という悶々とした気持ちがありました。
南 言わないから成り立たない。では、どうでもいいから言わなかったのかといったら、決定的に重要だから言わなかったんです。
なぜかと言えば、親や子や兄弟が死ねば、ある実存が変化するぐらいの衝撃を受けるわけです。そして現実に肉体がなくなっても、その人格は明らかに存在しているわけです。
石井 それは霊魂とかの話じゃない。
南 違うんです。全く関係ないです。私は二年前に父を失ったけれど、今のほうがよっぽど頻繁に思い出しますからね。
恐山に九十歳のおばあちゃんが車椅子で来たので、何をしに来たのかと思って聞いたら、付き添いの人が「水子供養の申し込み」だと言う。何か昔の水子さんだなと思って「どちらさんの水子さんですか?」と伺ったら、「おばあちゃんの」と言うんです。九十歳のおばあちゃんが、自分の水子供養をするために、関西から恐山まで来るんです。
石井 六十年以上前でしょう、きっと。
南 普通に考えるとおかしいでしょう。でも本人にとっては、リアル極まりないんです。いない人間にそんなことをするわけがない。いるんですよ、本人にとっては。伊達や酔狂で、人が関西から下北半島まで来ないでしょう。六十年前の子供は、それを連れてくるぐらいのリアリティを持って存在しているんです。
そうなると、この問題を無視して人間を考えることはできない。あるいは死という問題が、宗教の、仏教の決定的なテーマの一つだとするならば、その死を人間は「別離」と「旅立ち」というモデルでしか考えられないというならば、この二つをどのように扱うかなんです。
つまり「真理がどうか」は、どうでもいいわけです。仏教の教義からいったら、自己存在、自己との同一性を担保できるようなもの、有体にいえば、霊魂みたいなものがあるとは言えない。ないとは言わない。あるとは断言できない。教義の上で、人間が死に向かってどのように考えるか、ということにアプローチをする方法があるのかないのか、ということです。
この問題は、僧侶実践者が責任を持って発言する以外には道はない、と私は思いますね。そうすると、自分の言葉の適用範囲と適用条件を確定した上で、話をするしかないです。
石井 この方にはこのような話で、この方には今はここなんだと。
南 そうです。たとえば、物理的にいなくなってしまった存在を、なおかつこの自分の生きている世界に根付かせようと考えた時に、お墓というのは、一つの意味があるものだろうと思います。いるんだから彼らは。
「いる」という事実を、どこでこの現存世界に担保するのかといった時に、必要なものとして出てくるものが、象徴的な、シンボリックな存在であり、それがやっぱりお墓とかいうものでしょう、と私は思いますが。
□お墓の本質とは何か?
石井 「お墓の本質とは何か?」を一生懸命勉強するようになり、段々まさに南先生がおっしゃるように宗教的な教義と関係ないところにいきます。
宗教学者、民俗学者の先生方は「死者が蘇ってこないように、穢れを閉じ込めるために作ったのが、日本人のお墓の原点だ」という説だったのですけれど、青森で言うならば三内丸山遺跡は違う。おっしゃるように死者をリアルに感じて、メインストリートにお墓を作った。穢れだと思うならもっと遠くにやったはずですが、そうではなく、自分たちの子供の遺体を縄文土器に納めて、家のすぐ側に置いていた。
もっとびっくりしたのは、昨年から発掘調査が始まったある小さいストーンサークルでは、一時期に石を並べたのではなくて、何らかの一定時期をおいて並べている。それで学者の人が、「今でいう追善供養みたいなもんですかね」とおっしゃって、衝撃を受けたんです。
南 記憶を繰り返すための儀礼が、かなり古くからあったんだろうと思います。つまり、物理的に存在しないものを象徴的に存在させるには、記憶を強化しないといけないわけです。
石井