恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

少なくとも・・・

2007年06月29日 | インポート

 せんだって、恐山が所在する市の市長さんが現職のまま急逝されました。なにしろ、6期20年余にわたって市長を務められた方だけに、縁のある人たちも多く、葬儀はまことに盛大でした。

 院代の私も、山主の代理でご自宅にお経を挙げに行ってきたのですが、その折のことです。迎えの車が市長さんの家に近づいたとき、運転をしていた人が「あれが市長の家です」と指差した先を見て、私は驚いてしまいました。

 私は、長く市長を務めた人で、さらに父上も市長だったと聞きましたから、大豪邸とは言わなくても、それなりに瀟洒な家だろうと、思うとはなしに思っていたのですが、その家を見た瞬間、「えっ・・・」と声が出たなり、次の言葉をあわてて飲み込みました。私は失礼ながら、「えっ・・・このボロ家!」と言いそうになったのです。

 実際には、確かに古い家ではありましたが、「ボロ家」などではなかったのです。が、事前に漠然と想像していたイメージとあまりにかけ離れていたので、こんな言葉を口にしそうになったわけです。

 読経の後、市長さんの書斎に通していただきました。そこは壁がすべて本棚で、ミステリーから哲学書まで、あらゆるジャンルの書物が並んでいました。聞けば、市長の公用車には常に5、6冊の本があったのだそうです。

 これらを見て、私は思いました。仮に誰かが「あの市長は、過去に私腹を肥やしたこともあったんだよ」と言ったとしても、自分はまず信じないだろうな、と。

 人の一面を見て全体を判断するのは危険であることは、承知しているつもりです。また、人の評価が事実に合わないことも、ままあるでしょう。しかし、20年以上の間、彼があの家から毎日市役所に通い、寸暇を惜しんで読書し勉強していたことは、本当でしょう。少なくともこの一点において、私は今の時代に稀な立派な政治家だったと思うのです。

「少なくとも彼は約束したことは守った」「少なくとも彼女は他人の悪口は言わなかった」「少なくともあの人は困っている人を見過ごさなかった」

 我々凡人には、多くの善行は為しがたいかもしれません。しかし、死んだ後、誰かに「少なくともあの人は・・・」と言ってもらえる何かが残ったら、それは決して小さくない功徳だろうと、私は思います。


何だソレ?

2007年06月19日 | インポート

 今からちょうど3時間くらい前に、土屋アンナというモデルで女優で歌手の人が、帰って行きました。恐山で1泊2日の坐禅修行をするために来て、さきほど終わったのです。

 おそらく、土屋アンナさんを知っている人(実に大勢いるのでしょうが)は、何だソレ?!と思うでしょうし、私を知っている人(ごく一部の人)も、何だソレ?!と思うでしょうし、両方知っている人は、もっと何だソレ??!!と思うでしょう。

 ことの始まりは、NHKがハイビジョン番組の一つとして、恐山の宿坊に著名人を泊まらせて、私が坐禅指導するところを撮らせてほしい、と言ってきたことです。通常なら、恐山ではこの種の依頼は即お断りなのですが、今年は当方に若干の事情があり、引き受けたのです。

 このとき、私はやってくる著名人の名前を聞きませんでした。が、まあ、よくある旅番組に出てくるタレントさんの一人だろうと、気楽に考えていたのです。

 数日後、担当ディレクターが訪ねてきたので、私は訊きました。

「ところで、誰がくるのですか?」

「土屋アンナさんです」

「ああ、そうですか」

 とんでもない。実は「ああ、そうですか」どころではありませんでした。禅道場に入門以来、ということは、松田聖子氏や中森明菜氏以来、まともにタレントさんの顔と名前が一致しない私は、このとき、土屋アンナさんが誰だかまったく知らず、梅宮アンナさんだと思い込んでいたのです。ところが、部分的に二人のプロフィールが似ているため、会話のつじつまが合い、最初のうちは双方とも気がつかず、私が

「こんなところまで、坐禅に来る気になるとは、彼女も離婚して苦労したんでしょうね。旦那さん、ほら、前には誠意大将軍とか言ってて、今宝石売ってる人でしたっけ・・・」

 と言ったところで、大きな誤解が明らかになりました。

 では、土屋アンナさん恐山参禅の顛末やいかに。興味のある方は、まずは番組を御覧いただく方がよいでしょうから、ここではお話しません。予定ではNHKハイビジョンで7月16日から20日までの4日間のうち1日、時間帯は夜7時半、あたりまでは決まっているようです。

 これ、皆さん是非御覧下さい、とはどうしても言えません。どんな代物になるのか、当人も想像がつかないのです。

 ただ、やってきた土屋さんは大真面目も大真面目、本気でした。仕事を超えてと言うよりも、仕事はきっかけにすぎないという調子でした。一方の私も、相手が大真面目なのだから、文字通り参禅者として相対するしかありません。あれほど取り扱い注意の参禅者をテレビカメラの前で指導したことは、後にも先にもなく、今後二度と私が参禅者の指導をテレビの前ですることはないでしょう。その意味では、貴重な経験をしたのかも知れません。

 それにしても、最初から彼女が誰だか知っていれば!! 

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」

 本当です。

  お知らせ。次回「仏教・私流」は、7月29日(日)午後6時半より、豊川稲荷東京別院にて、行います。


恐山の円空仏

2007年06月08日 | インポート

Photo_62 Photo_60   写真は恐山の開山堂に奉安してある円空和尚の作になる観音像です。左が十一面観音、右は腰掛けて片足を上げている、観音像ではあまり多くない半跏思惟像です。

 円空はすでによくj知られている僧侶にして彫刻家。江戸時代のはじめに今の岐阜県に生まれました。中部地方を中心に全国各地を遍歴して、「円空仏」と呼ばれる、鑿(のみ)跡も荒々しい、素朴で独特の仏像を数多く遺しました。

 恐山のものは、研究では初期に属するとされ、鉈で叩き割って作ったのかいう感さえある後期の作品にくらべれば、仕上げは丁寧です。

 円空仏などは典型的でしょうが、すぐれた芸術家の作品を年代順に並べてみると、彼が試行錯誤を続けながら、自分自身の表現様式を完成させていく過程が、ときに劇的に見えてくることがあります。

 以前、老僧にある画家の話をして、

「何ですね、人間、年をとってくるとだんだん余計なものが落ちていって、その人に必要なものだけが残り、表現として完成するんですかね」

 すると、老僧

「年をとるとくたびれるから、若い頃のようにイロイロ手間ひまかけてやってみる気がせんのじゃろ」 

 これには参りましたが、そう言えば小学生の頃、作文の宿題を父親に見せたら、

「お前、自分で一番良いと思うところを全部削って書き直してみろ」

と言われたことがありました。驚きましたが、そのように書き直した作品が、確か何かの賞に当選したはずです。 

 若い頃は何が余計なものなのか中々わからず、案外余計なものの方に力瘤をつくっているのかもしれません。そして、余計なものと必要なものを、あれこれ悩まずとも自然に区別できることを円熟といい、その知恵を持つ人を「長老」というのかもしれません。