恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

あと2日

2019年03月30日 | 日記
 このところメディアで続いていた平成回顧と新元号をめぐる喧噪も、あと2日。便乗するわけではありませんが、30から60歳までの30年が重なる私としても、多少の感慨がないでもなく。とりとめのない話をさせていただきます。

 昭和の終わり・平成の始まりの1989年、私は修行道場で丸4年が経つ頃でした。この年から、新聞が自由に読める立場となって、一気に外部の情報に接することが多くなった私にとって、非常に印象深かったのは、出生率が1.57になったという記事と、「ベルリンの壁」崩壊のニュースでした。

 前者は「1.57ショック」とも呼ばれました。それは、丙午の迷信で出生率が大きく下がる年よりも、この1989年、さらに低くなったからです。本格的な少子高齢化の始まりでした。

 少子化に注目したのは、1984年(私が出家した年です)に伊丹十三監督の「お葬式」という映画が発表されたことを、この年に知ったからです。この映画は、見事なまでに我々伝統教団の行うお葬式を戯画化しコメディー化していました。しかもかなりヒットした。ということは、もう我々の「お葬式」は社会においてリアリティを喪失しつつあるということだ、私はそう思いました。

 つまり、少子化と「お葬式」の戯画化は、それまでの日本社会を基礎づけ、伝統教教団が依って立つ檀家制度を支える、「イエ」が崩壊過程に入ったことを示していると、私は考えたのです(数年後、修行僧に講義する立場になった私は、集中的にこの問題を取り上げ、僧侶と教団が大きな転換期に入ることを説き続けました)。

 このアイデアにダメを押したのは、1992年の『磯野家の謎』という本の出版です。まんが「サザエさん」の磯野家は、日本の「イエ」の典型であり、磯野家タイプの「イエ」が、まさに檀家制度の「家」です。これを「研究」した本の出版は、私には、これまでの日本社会を基礎づけていた「イエ」が存在感を失いつつあることの証左に思えました。

 およそ、マンガが「研究」の対象となり、しかもストーリーではなく、磯野家自体の不思議さを摘出して楽しむとなれば、それは磯野家を客観視し、ということは磯野家から距離を取るようになったということだと思ったからです。このことは、「お葬式」映画同様、「イエ」を基盤とする檀家制度のリアリティ喪失と同じことだと、当時私は思いました。

「イエ」が崩壊過程に入るということは、従来の日本社会を構成するパラダイムの腐食を意味し、それは、1991年のバブル崩壊で「高度経済成長」主義の終わりとして、1995年のオウム真理教事件(サリン事件)や1997年のサカキバラ事件(神戸連続児童殺傷事件)で、「豊かさ」追求の生き方モデルと教育方法の空中分解として、そして1995年の阪神淡路大震災で、戦後日本社会システムの驚くほどの脆弱さとして、はっきりと現象化しました。

 そして、根本的な方向性(次のパラダイムの不在)を見失った社会は、最早機能不全に陥った「昭和」パラダイムを、陳腐な弥縫策に頼って引きずっているうちに、東日本大震災と原発事故で止めを刺されました。

 にもかかわらず、今の日本の指導層は、金をばらまいて「経済成長」に固執し、その上オリンピックに万博などと昭和の亡霊まで持ち出して、この期に及んでも弥縫策を続けるつもりです。これを見れば、少なくとも日本の60歳以上が次世代のパラダイムを構想する能力を持たないことは、歴然、当たり前です。

 次のパラダイムはまだ現れません。しかし、これまで30年の世界を見渡せば、今後の日本社会のパラダイムの方向性は見えるでしょう。

 1984年の「ベルリンの壁」崩壊は、グローバル化開始を告げる世紀の鐘の音でした。続く1991年のソ連崩壊、2001年のアメリカ同時多発テロ、イスラム過激派の台頭と昨今の世界規模のナショナリズムの過熱は、冷戦が構造化していた国際秩序が溶解していくプロセスで起こったことです。

 この大規模な構造変化こそ、まさに経済のグローバル化(カネ、ヒト、モノ、そして何より情報の大規模で高速の移動)の結果です。それに決定的に作用したのが、インターネットをはじめとするコンピューター・デジタル技術の爆発的発達です。

 1995年のウインドウズ95は本格的なインターネッ時代の幕開けであり、2007年のスマートフォン登場は、個人の意識を一気にグローバル化する手段を与えました(同時に、その反動として、国家のナショナリズムと同様、個人が狭い人間関係に閉塞していく作用も持ちました)。

 そして、2010年代、ディープラーニング技術の高度化で、人工知能が劇的に進化し、「人間」の在り方さえ根底から変えかねません。

 この一連の流れを概観すれば、結局、グローバル化の趨勢は変わらず、さらに規模と強度を増すと言えるでしょう。それによって、経済分野をはるかに超え、社会のあらゆる局面での多様化は不可避で、次世代においては、多様な人々の共存を可能にするパラダイムを構築する以外に、選択の余地はないと、私は思います。

 ここ1年でさえ、日本が外国人労働者の受け入れ(おそらく、「移民」と「多民族国家」の皮切り)を始め、世界的な規模の「LGBT」「MeToo」運動の展開、そして「地球温暖化問題」共有化の深まり、中国の台頭とEUの動揺など、これだけをざっと考えてみても、もう方向性は見えているのではないでしょうか。

 この間、日本の仏教の動向はどうだったか。

 檀家制度が崩壊過程に入った以上、今までと別の動きが現れるのは当然です。それはまず、仏教を語る言葉の質的変化として現れました。

 1991年、スマナサーラ長老が再来日し、テラバーダ仏教の本格的な布教を開始します。あえて言わせてもらえば、その3年後、私が論壇誌にエッセイの連載を始めました。さらに2004年、臨済宗の玄侑宗久師が芥川賞を受賞し、小説にとどまらず仏教をテーマに精力的な執筆活動を行います。以後、陸続として、新たな語り口を持つ仏教者の発言が続きます。

 これら発言者に共通するのは、「家」ではなく「個人」(あるいは個人の問題)に向けて言葉を発しようとする態度です。それはとりものさず、発言者が自らの土台とする教えを徹底的に再検討し再確認する作業を不可欠としました。

 それは、従来のパラダイムの崩壊によって「普通の生き方のモデル」を失い、剥き出しの実存となった「個人(というより『孤人』)」の需要に応える動向だったと言えるでしょう。

 ならば、上述した日本社会の転換がそうであるように、平成の終わり以後、伝統教団の組織構造の転換は当然、不可避となるでしょう。主体的にそうするか、なし崩し的にそうなるかは、まだわかりませんが。

 今回は長々と失礼しました。


  

破杓庵問答

2019年03月20日 | 日記
「問う。如何なるか是れ幸福」

「今日と同じ明日がくることを信じていて、しかも信じていることを忘れている状態」

「如何なるか是れ真理」

「アクセサリーみたいなもんだ。無くても構わんが、無いと寂しい」

「如何なるか是れ死」

「後ろの正面と同じ。見えたらただの正面で、後ろではない。誰も見たことがないのに、その話はできる」

「如何なるか是れ生」

「空気だな。感じることはできるが、つかめない」

「如何なるか是れ希望」

「蛍光灯。明るい時にはいらない。いちおう予備もあったほうがいいけど」

「如何なるか是れ絶望」

「落とし穴。落ちても底無しということはない。ただ、底抜けしないうちに出る算段がいる」

震災8年

2019年03月10日 | 日記
 昨日の夕食メニューをなかなか思い出せない身になってみると、いわゆる「記憶の風化」は仕方のないことだと思わざるを得ません。

 しかし、経験はそれこそ心身に刻み込まれ、時に意識の底に沈み、また浮上することはあっても、決して風化することはありません。

「風化」の真の問題はまさにこの違い、つまり、当事者の直接の経験と、必ずしも当事者とは言えない者の記憶との、ギャップだと思います。

 東日本大震災直後から3年くらいは、恐山にお参りに来られたかなりの被災者が、その生々しい経験を自ら話して下さることがありました。そういう機会が重なるうち、私は次第に、被災者ご自身に話したい気持ちがあるのだと、感じるようになりました。

 ところが、5年を過ぎた頃から、被災者の方々から当時の経験や気持ちを伺うことが、急に減ってきたのです。

 私は、被災から受けた心身のダメージが癒えてきて、話が出てこなくなったのだと、始めは思いました。しかし、違いました。端的に言うと、被災者は我慢しているのです。被災の経験、それに続く生活の再建、打ち続く困難。それをもう、他人に話すことを諦めている。私にはそう思えました。

「いまさら言ってもしょうがないですもんね」

 ある中年男性の被災者がぽろっと漏らしたひと言です。これが経験と記憶のギャップでしょう。

 風化する記憶しか持たない人に、もう経験を話しても通じないどころか迷惑だろう。そう考えているのではないか。

 たとえ被災の事実を共有していても、被災の経験は人それぞれで、5年も経つとお互いの立場も境遇も、大きく違ってしまいます。すると、たとえ同じ被災者に対しても、自分の経験を語ることは躊躇われるのではないか。

 私は今、この状況を心配しています。経験は語られることで意味を持ち、当事者の実存に場所を得、「自己」に統合されていきます。というよりも経験は語られることで初めて経験となるのです。そうでなければ、それはただの出来事、あるいは「原体験」にすぎません。

 経験となりきらず、自己に位置づけられない出来事は、それが大きく深いほど実存を動揺させ続け、ついには亀裂を生じさせ、場合によっては心身の不調として顕在化するでしょう。

 とは言え、現実に被災者は容易に語り難いとすれば、どうするのか。私にもさしたる答えはありません。

 ただ、こちらがただ当事者の話を聞く気になっているだけではもう通用しないでしょう。そうではなくて、まず対話をはじめることが大事だろうと思います。始まりが困難な経験の話でなかったとしても、対話が続くうちに、それが浮上してくるかもしれません。そして対話がさらなる語りを促すかもしれません。

 恐山は、それを可能にする場所の一つだと、私は思います。そして、自分がその対話の相手となることができれば、僧侶として本当にありがたく思います。

理解の不理解

2019年03月01日 | 日記
「理解する」「わかる」と言うとき、それは何を意味しているのでしょうか。

 一つは、事象Aと事象Bとの間の対応関係を記述して、「理解した」「わかった」と言う場合です。例えば、脳の物理的・化学的過程と意識現象の対応関係を記述して、「意識が解明された」と称するときなどです。

 意識の場合、対応関係の記述で「理解」とするのは、無理があります。なぜなら、「怒る」という現象を脳の物理的・科学的過程として解明したとしても、「自分が正しい」という「信念」も持たない者は怒れないからです。「自分が正しい」を科学的に解明することは不可能でしょう。

 もう一つは、事象AとBを因果関係で説明できたときに、「理解した」と考えることです。つまり「AによってBが起こった」と説明することをもって、「理解した」と考えることです。

 すぐにわかるように、この説明にも難があります。つまり、同じ事象に複数の因果関係を設定でき、どれが正しいかは、説明そのものでは決められないからです。

「宇宙は神によって創られた」という説明と「宇宙はビッグバンによって生まれた」説明の正誤は、説明自体から結論できません。

 対応関係にしても因果関係にしても、説明の正誤は再現性にかかっています。つまり、事象Aを再現したら、かならずそれに対応して、あるいはそれを原因として、事象Bが再現されるかどうかです。

 怒ったときの脳の物理的・化学的過程を解明したと言うとき、同じ過程を再現したら、必ず人が怒れば、それを「理解」としようというわけです。

 あるいは、特定の角度と特定の力で、特定の重さのボールを打ち出せば、何回やっても同じ距離まで飛ぶことを再現して、ボールの飛翔についての「理解」と考えるのです。

 この再現性によって説明の正誤を判断する場合の最大の障害は、たった1度しか起こら無いことに関しては、正誤が判断できないことです。まさかビッグバンを再現するわけにもいきますまい。

 すると、再現不能な事象の理解は、所詮「信念」にすぎません。ということは、宗教が時に「迷信」となるように、科学もやはり「迷信」になる時があるでしょう。

 その一方、再現可能性による理解は、結局、人間が対象を操作し支配することと同然です。しかし、操作し支配できることが「正しい理解」だと言うなら、「権力を持つ者が正しい」ということと違いがありません。それは浅はかというものでしょう。

 人間に開かれた世界と魚に開かれた世界は決定的に違い、どちらが「正しい」世界か誰にも決められない以上、我々の理解はすべからく誤解であり、そのうちで最も支持を得た誤解を理解と決めておこうという、所詮は身もフタもない内輪の多数決話になるしかありません。

 ゴータマ・ブッダが「真理」の主張を戒めるゆえんでしょう。