恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

死の強度、生の力

2008年01月26日 | インポート

    ある人から、あなたは絶対の真理や正義を信用しないと言っているが、ならば真理や正義以外に何を判断の根拠にしているのか、と尋ねられました。

 実際私は、「真理」も「正義」も一定の条件のもとでしか、つまり時と場合によってしか通用しないだろうと考えています。だからと言って、それを無視して物事を判断しているわけではありません。通用する条件を慎重に考えながら、それらを使おうと努めているのです。

 ただ、私が現実に自分の身の振り方などを判断するときに頼りにしている基準は、真理や正義などではなく、「そうせざるをえない」のかどうか、「もはやそうする以外にしかたがない」かどうかであることが多いと思います。

 なんだか「主体性」のカケラもない、情けない話ですが、そのかわり、こうしてなされた決断は逃げ場がないだけに強い。私の出家は、まさにそうでした。

 ただ、この考えを突き詰めると問題なのは、人はみな「死なざるをえない」ことは確かなのに、「生きざるをえない」とは必ずしも言えない、ということです。つまり、この考え方に従えば、死のほうが生よりもはるかにリアリティーが高くなってしまうわけです。

 私はここに宗教の持つ根源的な課題があると思います。思うに、人間は、意識の底辺では、生よりも死のほうをはるかにリアルに感じているのでしょう。したがって、強度が常に不足しがちな生に、「意味」や「価値」を注入することで死に拮抗する力を与えることを、宗教は自らの役割としているのではないか。私はそう思うときがあるのです。

お知らせ。次回の「仏教・私流」は2月14日(木)午後6時半より、赤坂の豊川稲荷・東京別院にて行います。


ついに・・・!

2008年01月15日 | インポート

 亡父の四十九日法要などで、いま福井の住職地にいます。つい最近、驚くべきというか、喜ぶべきというか、住職13年目にして初めて、飛び込みの参禅希望者がやってきました。

 家人に呼ばれて出て行くと、本堂前に30歳代後半かと見える女性が立っていて、いきなり

「あのう、このお寺で坐禅の指導はしていただけるんでしょうか?」

 と言うのです。あまり突然でビックリしましたが、禅寺としては大変結構なことです。そこで、

「ええ、日時の都合がつけばいくらでもしますが・・・、しかし、どうしてこの寺で坐禅の指導をやっていそうだと見当をつけたんですか?」

 と訊いてみました。私は内心、「いえ、前に和尚さんの本を読んで・・・」みたいな話になるのかなと思っていたら、さにあらず、彼女は元はと言えば曹洞宗系の駒沢大学卒業で、禅宗に若干の知識があったそうです。一度坐禅をしてみたいと思っていたところ、いま道を通りかかったら、寺の門柱に曹洞宗とあったので、とりあえず入ってみただけだということでした。

 私は拍子抜けしましたが、しかし、とても嬉しく思いました。特に僧侶や寺側が仕掛けた参禅プログラムに乗ったわけでもなく、通りかかったついでに、坐禅の指導でも受けようかという、このフィーリングが実に有難い。こういう、ある種「カジュアル感覚」の参禅者がもっと増えてくれれば、日本の禅寺もお坊さんも、ぐっと成長すると思います。

 その2日後、彼女は夫君を連れてやってきて、二人とも熱心に坐禅に取り組んで行きました。一緒に坐った私は久しぶりに、なんだかとても爽快な気分になりました。

 お知らせ。玄侑宗久師との対談本『〈問い〉の問答』(佼成出版社)が1月30日に刊行されます。私は今まで何回か出版がらみの対談を行っていますが、実際に対談が本になって書店に出るのはこれが初めてです。よろしければ御高覧下さい。


禅師様ご逝去

2008年01月05日 | インポート

 皆様には、新年をご清安にお迎えのことと存じ上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 正月早々訃報の話で誠に恐縮ですが。大本山永平寺の貫首、宮崎奕保(えきほ)禅師が本日早朝、ご逝去なさいました。満106歳だったそうです。国内の宗教指導者としては、現時点でおそらく最高齢でしょう(かつて、京都清水寺の御住職で、108歳まで長生きされた老師がおられます)。

 宮崎禅師は1993年に永平寺の貫首に就任されました。私はそのときちょうど10年目の修行僧でした。その後、恐山の夏の大祭に毎年お越しいただいていましたので、亡くなったと知らせが来たときには、月並みですが、「感無量」とでも言いたい気持ちでした。

 禅師にまつわる思い出は数々ありますが、中でも一番のものは、私が修行僧一年目のときのことです。

 当時禅師は「監院(かんにん)」といって、永平寺管理運営の最高責任者の地位にありました。当時から時の貫首を凌ぐほどのカリスマティックな指導者で、全山の尊敬を集めていたものです。ですが、その頃は必ずしも体調が万全ではなく、普段は実務を代行させ、必要に応じて永平寺にお戻りになるという状態でした。

 したがって、監院老師がご帰山だ、ということになると大変でした。古参指導部から「本日監院老師がお帰りになる。明朝の坐禅には全員特に注意するように」と通達が出て、全山が一気に緊張したものです。

 禅師はまさに坐禅一筋の修行をなさってきた方なので、すでに80歳半ばになろうとしていた当時も、一日も欠かすことなく、修行僧と坐禅をともになさっていたのです。

 私はまだ入門したての修行僧で、なんだか山内がただならぬ雰囲気になってきたことだけはわかりましたが、監院老師がどういう人で、どんなに偉いかは知りません。ただ、翌朝はたまたま坐禅堂の係が当たっていたので、失礼のないようにしようと思ったくらいでした。

 さてその朝、坐禅直前の準備をしていると、私が横切りかけた廊下の、10メートル(10メートルですよ!)ほど先を、侍者を随えて近づいてきた大柄の老僧がいました。私は、誰かもわからず、とりあえず合掌一礼して何気なくそのまま横切ったのですが、これが後でえらいことになりました。

 私はたちまち指導部に「監院老師の前を横切ったフトドキ者」ということで呼び出され、警策(きょうさく・坐禅中に眠っている修行僧を警告するために打つ、棒状の道具)で気合を入れられるわ、謹慎させられるわ、散々に絞られてしまいました。いや、世の中に前を横切っただけであれだけ怒られる人がいるとは、思ってもみませんでした。

 いま、私はとても懐かしくあの頃の自分と永平寺を思い出します。当時の永平寺の修行の仕方や雰囲気がすべてよいとは思いません。ですが、ただ帰ってくるというだけで、永平寺の修行僧全員を、まるで神経に電気が走るように、問答無用に引き締めてしまうような人物に出会えたことは、忘れがたい貴重な記憶です。おそらく、修行にはこういう指導者、教えの意味を自らの存在感を通して具体的な体験として与える指導者が必要なのでしょう。

 心から禅師の御冥福をお祈り申し上げます。