本年秋季祭直前の3・4日、30代を中心とする僧侶の方々が研修に来山されました(未来の住職塾サンガ)。
いわゆる伝統教団に所属する若手のお坊さんが超宗派で参加する勉強会のようなものらしく、すでに何回も集まりを重ねているのだそうです。
これまでは時代環境の急激な変化の中、今後の寺院をどう運営していくかに焦点をあてて活動していたそうですが、今年から従来の組織を改め、未来の「僧侶のあり方」を考える方向にも活動を広げていくのだそうです。その手始めとして、恐山で研修したいという依頼があったわけです。
実は、私は最近、自宗派の僧侶の研修のみならず、他宗派の住職研修や青年会活動での講演を依頼されることが増えてきました。そのほとんどが、「今後の教団と僧侶」問題をテーマにするものです。
一度、なぜ宗派の違う私なんかに依頼されるんですかと訊いてみたら、「あなたほど思い切った言い方をする人間が、自分たちの宗門内にいない」と言われてしまいました。
思い切ったこと言わせてもらえる宗派に属していてよかったなと、内心しみじみ感謝しましたが、確かに私が言うことは、檀家制度を前提に組織された教団体制・教学体系・僧侶養成システムを持つ全ての宗派に共通する問題だと思います。
今回も、日ごろの考えをストレートに言わせていただきましたが、皆さんには非常に熱心に聴いていただき、質問も活発でした。講演後の分科会でも突っ込んだやりとりが長時間続いたと聞きました。
前にも言いましたが、少子高齢化・人口減という未踏の領域に踏み込んでいく日本では、もはや60歳以上からまともな知恵は出ません。今後の荒波は、まず40歳以下の世代の試行錯誤によって乗り切ってもらうことを期待するだけです。
翌日、境内案内の途中やお見送りの間際まで、質問が途切れず、一人の質問の周りに数人の方が集まって私との問答を聞いていただきました。その真剣な姿を見ていると、もはや否も応もなく、この世代に未来の伝統教団を託す以外に選択肢がないことを、いまさらながら実感しました。
皆さんの精進を祈るばかりです。
1日おいて6日から、秋季祭でした。台風通過にもろにかかった3日間で、特に7日は今まで経験したことがないような強風。小石が舞い上がる通称「賽の河原」への参拝を停止し、建物の雨戸をすべて閉めざるを得ませんでいた。もちろん参拝者も大減少。参りました。
その強風の日、わざわざ塔婆供養にみえられたおばあさんがいました。旦那さんと早くに亡くなった娘さんの供養を申し込まれて、一言。
「こんな日でもお祭りさ、やってる。ありがてえ」
こちらこそ、ありがたかったです。そして、変えたくない大切なことを守るために、我々は変わらなければならないのだと思います。
いわゆる伝統教団に所属する若手のお坊さんが超宗派で参加する勉強会のようなものらしく、すでに何回も集まりを重ねているのだそうです。
これまでは時代環境の急激な変化の中、今後の寺院をどう運営していくかに焦点をあてて活動していたそうですが、今年から従来の組織を改め、未来の「僧侶のあり方」を考える方向にも活動を広げていくのだそうです。その手始めとして、恐山で研修したいという依頼があったわけです。
実は、私は最近、自宗派の僧侶の研修のみならず、他宗派の住職研修や青年会活動での講演を依頼されることが増えてきました。そのほとんどが、「今後の教団と僧侶」問題をテーマにするものです。
一度、なぜ宗派の違う私なんかに依頼されるんですかと訊いてみたら、「あなたほど思い切った言い方をする人間が、自分たちの宗門内にいない」と言われてしまいました。
思い切ったこと言わせてもらえる宗派に属していてよかったなと、内心しみじみ感謝しましたが、確かに私が言うことは、檀家制度を前提に組織された教団体制・教学体系・僧侶養成システムを持つ全ての宗派に共通する問題だと思います。
今回も、日ごろの考えをストレートに言わせていただきましたが、皆さんには非常に熱心に聴いていただき、質問も活発でした。講演後の分科会でも突っ込んだやりとりが長時間続いたと聞きました。
前にも言いましたが、少子高齢化・人口減という未踏の領域に踏み込んでいく日本では、もはや60歳以上からまともな知恵は出ません。今後の荒波は、まず40歳以下の世代の試行錯誤によって乗り切ってもらうことを期待するだけです。
翌日、境内案内の途中やお見送りの間際まで、質問が途切れず、一人の質問の周りに数人の方が集まって私との問答を聞いていただきました。その真剣な姿を見ていると、もはや否も応もなく、この世代に未来の伝統教団を託す以外に選択肢がないことを、いまさらながら実感しました。
皆さんの精進を祈るばかりです。
1日おいて6日から、秋季祭でした。台風通過にもろにかかった3日間で、特に7日は今まで経験したことがないような強風。小石が舞い上がる通称「賽の河原」への参拝を停止し、建物の雨戸をすべて閉めざるを得ませんでいた。もちろん参拝者も大減少。参りました。
その強風の日、わざわざ塔婆供養にみえられたおばあさんがいました。旦那さんと早くに亡くなった娘さんの供養を申し込まれて、一言。
「こんな日でもお祭りさ、やってる。ありがてえ」
こちらこそ、ありがたかったです。そして、変えたくない大切なことを守るために、我々は変わらなければならないのだと思います。
41~59歳の方は、どうなるんでしょうか?
ブッダは80歳まで、智恵を持ち続け生きられたようですから、アキラメズ、少しは期待されてもよろしいのではないですかね。
>この世代に未来の伝統教団を託す以外に選択肢がない
わざわざ託さなくても、担われていきますよ。頼もしい人達ではありませんか。
高所得の高齢者の皆さんへ!
ケチケチ貯め込まず、この若者達に、たっぷりバラまいて下さい。近い将来、あなた方を助けてくれる人達なんですから!
たぶん。
僧侶のあり方ですか・・・・
どなた宛に書かれているのか知りませんが、政治も権力者次第と言いますし・・・・、つまり、思い切って年金クラスのトップを解雇してみる、とかですかね?
考えようと思ったんですけど、それだとまるで政治みたい。
保守は檀家制度ベース。
改革は檀家制度抜き。
最近南さんのアメリカ安居体験記を読みました。
ミネソタの禅センターは快適だったそうで。
それこそ、お寺ではない禅センターみたいな場所が増えたらどうなんでしょうね。
被指導者目線で言えば、そういう場所の方が近づきやすい気もします。
正直な話、自分の事はどうでも良いんですよ。
お寺だろうが、道場だろうが、禅センターだろうが、
行きたいものは行きたいわけです。
問題は如何に家族に誤解されないで行けるか、なんですよ。
そう考えると逆にむしろ得体の知れない場所より
お寺の方が誤解が少ない気もするなあ。
檀家制度はともかく、
弔う事、供養する想いがある以上
それに応える場所は必要なんでしょうね。
その場所を設けることにお寺と僧侶ほど適任はないんじゃないですかね。
まあそういうわけで全ての禅寺に禅センターを
併設するという方向でお願いします(笑)
超宗派からも需要があるようですし、丁度よいではありませんか。
ノーベル賞を受賞された本○氏が「新たな道を開かれた」のように、試行錯誤にも内助の支えが必要ですし、何事もバランスでしょう。
なお、氏は76歳で、モットーは「好奇心と常識を疑うこと(簡単に信じない)」、6つのCです。
この場を借りて、おめでとうございます‼
わたくし南さんのご著書や講演の追っかけなのですが、
今年の8月にようやく恐山を参拝いたしました。
暴風雨で雷もなっていましたが、
小雨の時に全体を歩くことができました。
なんだか慄然としつつ、初めて見たのに原風景のような安心感もあり…。
また、ここ(と福井のお寺)が南さんの日常だと思うと、
都会でご著書を読んでいるのと違う思いが湧いてきました。
若いお坊さんが、試行錯誤していらっしゃるのは、とても楽しみです。
いくつかの名刹といわれるお寺の座禅会や講話にミーハーに行ってみたのですが、
(年配の)お坊さんの話のつまらなさに愕然としました。
参加者は若い人も含めて数十人いるのに、「苦労があってこそ人生楽しい」みたいな
床屋談義で、せっかく仏教を知る機会なのにもったいない〜〜と思いました。
檀家も減って、お坊さんたちには部外者にはわからないご苦労があるのだと思いますが、
素晴らしい仏教をどうにか伝え広めて頂きたく存じます。
そうではなく、原点から言えば本来、僧侶と寺は葬儀屋ではないでしょうから、思い切って檀家は無くして、全て禅センターにしてしまえばどうでしょうね。
<案として>
葬儀自体は大体、葬儀屋さんがされていますし、遺族から必要とされれば、必要に応じて執り行う、という臨機応変さも兼ね備えておく。
今後は無縁仏も増えるようですし、墓問題のように場所確保や管理も厳しい状況ですから、遺骨のあり方も墓や納骨は取り止めて、散骨や樹木葬のように、自然に還す方法に変えていく。
そこら辺もう少し、次世代にも負担のかからない方法を取り決めて、その分、禅センターに力を注ぐ。
こんな感じです。
近所には、複合的な市民センターが建ちました。老若男女が自由に活動やお茶できる場所。
浄土真宗本願寺派は、京都から始まった、自殺相談センター(sotto)に場所を提供したり、協力しているようです。
禅センターいいですねぇ。
院代が話されている時
場内は緊張で張り詰めた感じになりましたね。
院代が言っていることを
熱心にノートに書いている方もいれば、
記事でも言及されているように
真面目に質問したりする光景を今でも
鮮明に覚えています。
私は人の態度を見て
話し手と聞き手の相好作用観察に
絶えない興味がありますが、
恐山で観察された院代の
『人を鷲掴む』言い方は
草分け的な事例でしたね。
私も他の方が質問されている脇で
邪魔にならないようにして
聞いてましたが、
その時、
質問者A
応答者B
観察者C
ABCの要素がどう影響し合っているかを
気が済むまで
観察できました。
その観察の結果から言えることは
応答者Bは
質問者Aが言おうとする事柄に対して
地図的な視点から答えているが、
質問者は既知識に対しての解釈を求めている。
だが、応答者Bはそれを敢えて指摘せず、
視野の限界性を見せようとする。
観察者Cはその流れをただ見つめていただけでしたが、
今になって振り返って考えると、
院代の思い切った言い方は
聞く人の狭い視野を広げてあげる
手術のメスのような働きをしているのではと思えてきたので
私個人の鑑賞(感想も含む)を書いてみました。