草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

靖国神社の遊就館は自虐史観へ対抗するためだ!

2013年05月13日 | 祖国日本を救う運動

 靖国神社に遊就館があることについて、サヨクは批判しているようだが、あれは過去の歴史を否定された日本人の、素朴な抵抗なのである。静寂のなかで、私も英霊と対面するのが筋だとは思う。しかし、戦後の日本人は、あまりにも自虐史観に毒されてしまった。それに対抗するには、あのような博物館をつくらざるを得なかったのだ。已むに已まれぬ思いがあったことを、私たちは理解すべきだろう。特攻兵器桜花や人間魚雷回天が展示されていたりするのは、それなりの理由があるのだ。アメリカの宣伝戦によって、日本人が一方的に悪と決め付けられたために、日本人は屈折してしまったのである。日本維新の会の橋下徹が民主党的なことを、平気で口にしている。日本が侵略国家であったと、本心から信じているようだ。勉強不足もはなはだしい。大東亜戦争に日本が突入したのは、アメリカの策略に引っかかったからだ。そんなことはアメリカ人でも知っている。今なおそれを日本人が口にできないのが問題なのだ。真実の歴史が教えられるようになれば、靖国神社も本当の意味で鎮魂の場所になるだろう。それができないのは、サヨクの歴史観が、まだまだ根強いからである。散華せし者たちは、自らの死を意味のあるものと信じた。それを理解してもらえれば、兵器を展示する必要などまったくないのである。戦後の日本があまりにも異常だったのだ。

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1 コメント

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Unknown (通りがけ)
2013-05-14 02:30:33
私は遊就館に安置される兵器は御神体のようにも思います。神道の考えでは、木や石をはじめ、万物に神がやどります。もちろん戦場で戦った兵器一つ一つにも神がやどります。だから靖国神社に神として兵器があることに違和感を感じることはありません。しかし神を信じないマルキストのような連中には理解不能な事でしょう。先の大戦では陛下から賜った兵器は命と同じ価値を持っていました。兵器と兵士は銃は一体であり、砲兵は砲と、飛行兵は飛行機と一体でした。輸送船が沈む時、積荷の砲だけ沈ませるわけにいかないと、砲に体を縛り付け、一緒に沈んだ陸軍砲兵の話も知られています。また飛行兵は飛行機と一体だから体当たり攻撃もできたのです。皇軍兵士にとって兵器は神であり、命を持ったものでした。それは現代の我々には想像しにくいことかも知れませんが、神道の考え方からすれば自然な感覚なのです。侍と刀の関係などを想像すると良いかもしれません。刀を御神体とする感覚と同じ感覚なのです。
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