橋下徹には日本の政治を任せられない。テレビタレントであった芸能人政治家は、戦後民主主義の延長でしか、物を考えられないのだろう。憲法96条にこだわるのも、そのせいなのである。安倍政権は橋下に引きずられるべきではない。憲法9条についても、これだけ近隣諸国から日本が脅かされているのに、国民に聞いてからというのも、責任放棄以外の何物でもない。国家を成り立たせしめているのは、生きている人間たちだけでなく、死者の声にも耳を傾けなくてはならないし、これから生まれてくる者たちへの配慮も求められる。国民主権と言っても、もっと奥深いものがあるのだ。橋下と私たち真正保守の違いは、それを念頭に置くか、置かないかの違いである。いうまでもなく、その奥深さの核となっているのは、皇室の存在である。田中忠雄は『天皇・日本のいのち』のなかで、「これを失えば、日本は日本でなくなり、国民は国民でなくなる。これがなければ、国は解体しばらばらになり、国民は全体としての個性を失って精神的に荒廃し、人類文化に寄与すべき根本の力を持たなくなる」と書いている。橋下にはそれが理解できないのだ。その時々の思いつきで発言し、しかも指南役が新自由主義の竹中平蔵では、まともな憲法観は無理なのだろう。憲法論議においては日本の国柄が問われるべきであり、そこに目が向かないとすれば、橋下は根本においてはサヨクなのである。
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