草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

大切なものを保存するための改革が保守主義だ

2023年05月19日 | 科学技術
 安倍さんの書斎にエドモンド・バークの『フランス革命の省察』(半澤孝麿訳)が並んでいたのが印象的であった。宏池会の創設者の池田勇人の後を継ぎながらも、首相になることができなかった前尾繁三郎も、エドモンド・バークを引用していた。
 今回のLGBT法案に関して、過激な内容に異を唱えるためにも、私たちはバークの保守主義を思い出すべきではないだろうか。
 バークが主張したのは「保存と改革」を同時に行うことであった。だからこそ、バークは「旧い制度の有益な部分が依然維持されており、しかも、付加されたものが保存されているものに旨(うま)く適合しそうな時こそ、溌溂たる精神、着実で忍耐強い注意力、比較総合する様々の力、知略に飛んだ判断力を繰り出す諸手段等々が発揮される時なのです」と書いたのである。
 あくまでも改革というものは、大切なものを守り抜くための手段であって、改革のための改革とは別なのである。急激な改革は混乱と悲劇をもたらす元凶となりかねないからだ。
 バークは「多数の人が不幸になりかねない」というのを恐れたのである。「緩慢であってもしっかりと支えられた進歩」というのを信条としたのだ。
 さらに、現在生きている者たちの責任として、すでにこの世を去った者たちや、これから生まれてくる者たちの身になって考えることも説いたのである。
 それはイデオロギーと呼ぶよりも、人間の本性に根差した行動様式化も知れない。しかし、混乱を最小限にするという知恵が、私たちには備わっており、それを活用しない手はないだろう。LGBT法案を慎重に審議すべきだというのは、そうした保守主義の立場からの見解なのである。
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愛の多様性を認めつつも夫婦愛の再確認も

2023年05月19日 | 思想家
 男女の愛ばかりではなく、それ以外の愛の多様性を認めることはやぶさかではないが、人類の営みのなかで、夫婦愛というものが、自然の生き物としての営みにそっていることだけは否定できない。
 京都学派の高山岩男は『教育哲学』において、夫婦愛について深い洞察をしており、一読するに値する。
 高山は「夫婦は一個の人格であり、男女は夫婦になって一個の完全な人格となすと考うべきである」との考え方を示す。つまり、男女が一緒に暮らすことだけでは、それぞれが完全な人間になったとはいえないというのだ。それはまさしくヘーゲル的な理解ではあるが、それなりの説得力がある。
「夫が夫たり妻が妻たるのは、すなわち人間的な夫婦たることはそう容易なことではない。人間的な夫婦となり、子を生み親となって、はじめて完全な資格の人間となる。この場合もただ産みっぱなしの親で、子を一人前の人間まで育て上げることをしないならば、まだ親であって親ではない。親たることもまた容易な業ではなく、責任の自覚とそれに応ずる苦労があって初めて人間的な親となる」
 高山の言説というのは、あくまでも夫婦愛について生命の連続という観点から語っているだけであり、それ以外の愛を認めないわけではないのである。
 多様な愛の形を学校などで教える場合には、性的なものを通して結ばれる夫婦愛の責任と自覚についても、同じように教える必要があるのではないか。単なる浴室やトイレの問題ではなく、LGBT法案はもっと根源的な人類に対する問いかけを含んでおり、簡単に結論を導き出すことは難しいからである。
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