草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

戦争を煽った革新右翼は今のグローバリストだ

2023年05月04日 | 思想家
 自民党内に保守派とグローバリストが同居しているように、昭和前期に精神右翼と革新右翼と二つの流れがあったというのが、伊藤隆の見方である。その渦中にあった矢部貞治の日記において、そうした色分けがされていたからだ。その対立が明確になるのは、昭和10年代になってからといわれる。
 精神右翼とは復古的な勢力であり、黒竜会とか玄洋社の流れを汲み、小林順一郎、井田磐楠というような在郷軍人会、平沼騏一郎のグループ、陸軍では2・26事件に決起した皇道派であった。
 革新右翼とは新体制を目指した勢力であり、近衛文麿や昭和研究会、ゾルゲ事件で刑死した尾崎秀実、中野正剛の東方会、第一次日本共産党の中心メンバーであった赤松克麿の日本革新党、麻生久の率いる社会大衆党の大部分、陸軍では統制派で、海軍では軍縮に反対した艦隊派である。矢部もその一人であった。
 いうまでもなく主流は革新右翼であった。社会大衆党は社会主義よりも全体主義を掲げるようになり、そこには河野密、浅沼稲治郎、三輪寿壮なども入る。革新官僚といわれた迫水久常、岸信介、和田博雄、勝間田清も含まれるのである。
 驚くべきことに、伊藤によれば、矢部が精神右翼と呼んでいる部分は「赤の排撃、ソ連の警戒を根本的主張とする」ことから、支那事変の急速処理、南方進出の危険性、英米との開戦の不可という立場に固執した。
 そうした考え方に立脚すれば、「新体制、三国同盟、南進」というスローガンを掲げた革新右翼こそが、日米戦争の責任を問われるべきなのである。
 これに懲りた戦後の日本の保守政治は、吉田茂や鳩山一郎にしても、反共一点張りであったが、ソビエトが崩壊したのを受けて、グローバリストが、かつての革新右翼のような力を持ち始めている。いかに時代錯誤とはいわれようとも、精神右翼には、日本人としての常識があった。もう一度それを見直すべきときではないだろうか。同じ過ちを繰り返してはならないからである。
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