広島サミットが成功だったという人に言いたい。アメリカが日本の広島と長崎に原爆を投下したことは戦争犯罪である。わざわざバイデンが広島の土を踏んだわけだから、謝罪すべきではなかったか。それを一切しなかったばかりか、原爆資料館で、何を見、どんな感想を抱いたかも、マスコミに報道させなかったのである。
バイデンの謝罪と日米同盟とは全く無関係であり、別の問題である。しかも、たかだか78年前の出来事なのである。ポツダム宣言を受諾した昭和20年8月15日、天皇陛下は玉音放送で「敵は新たに残虐なる爆弾を使用して しきりに無辜を殺傷し 惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る」とお述べになられたことを、私たちは忘れてしまったのだろうか。
今危惧されていることは、ウクライナを侵略しているロシアが、劣勢に立たされていることで、プーチンが戦術核を使用することではないか。戦略核とは違って、被爆する範囲が限られていても、戦闘員以外へ被害が拡大することは明らかである。
バイデンが二度と過ちを繰り返さないということを世界に宣言すれば、ロシアに対する明確な牽制になったはずである。それをせずに、原爆ドームに花束を捧げただけで、それで許されてしまうならば、ロシアを批判することすらできないではないか。
このことは、今回の広島サミットの粉砕を叫んだ中核派の諸君にも言いたい。君たちが主張すべきは、アメリカが日本に行った原爆投下ではないか。その過去が消え去っていないことを、叫ぶべきだったのである。
よく言われるように、原爆は空から降ってきたのではない。誰かが投下したのである、まったくそのことに触れず、核の使用を容認するのであれば、ロシアを思いとどまらせることなど無理なのである。
我が国にとって先の戦争は、正当化できない暴走があったことは事実であり、それで裁かれるのは止もう得ないとしても、アメリカが行った戦争犯罪もまた、許されることではないのである。
広島サミットで確認できたことは、核なき世界は現実離れしているということだ。どこの国も核を放棄する気などない。それが明確になったわけだから、広島、長崎の悲劇を繰り返さないために、我が国が国民の命を守るために、何を為すべきかを、もはや深刻に考えなければならないときなのである。