日本の戦後民主主義は虚妄でしかなかった。それを是正しようとする動きが出てくるのは当然の成り行きであり、遅きに逸した感すらある。丸山眞男が『歴史意識の「古層」』で論じていた「おのずから成り行く勢い」としての「持続低音」が顕在化しつつあるのではないか。今こそ日本に回帰すべきであり、守るべき日本の国柄を再確認するときなのである▼進歩派であった丸山が、あえて日本の「古層」にこだわったのは、欧米の学問を根付かせようとして果たせなかった、インテリの宿命を痛感したからではないだろうか。あらゆる思想が受容されても、日本ではそれが土着することがなく、あくまでもフアッションに過ぎないのである▼そして思想とはもっと別な力が働くのである。それが「持続低音」なのである。戦後の民主主義のお花畑が通用しなくなっているのを、多くの日本人が認識するようになってきた。中共や北朝鮮が信義を重んじる平和国家でないことは、周知の事実となったからである▼もはや無防備でいることは、座して死を待つことであるのを、多くの国民が理解するようになってきた。核ミサイルなどによる攻撃の前に、敵地攻撃を容認しようとする意見が主流になりつつあるのは、一つの大きな流れなのである。使い古された意味もない理念は捨て去るべきだろう。失われた日本を取り戻すことなくしては、危機に対処することはできないからである。
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