草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

一機一艦の神風特別攻撃隊は日本民族の誇りだ!

2016年08月15日 | 歴史

終戦記念日も71年目を迎えると、もはや日本国民の大部分は大東亜戦争を知らない。戦没者を悼む式典にしても、徐々に形骸化するのはやむを得ないだろう。それでも語り継ぐべきものがあるとすれば、白人の欧米列強の支配に対して、それを打破すべく私たちの先人が戦ったという歴史的な事実である。敗れたとはいえ、それがきっかけになって、アジアアフリカの国が次々と独立を果たしたからだ。日本を悪者にする東京裁判史観を否定することで、一日も早く日本を取り戻さなくてはならない▼昭和19年10月25日、最初の神風特別攻撃隊として、関幸男大尉らの9機がレイテ湾の航空母艦などに体当たりを敢行した。大岡昇平は『レイテ戦記』において、当時の日本の軍隊の主だった者たちが、勝つことを諦めていたことに触れ、「ただ一勝を博してから、和平交渉に入るという、戦略の仮面をかぶった面子の意識に動かれていだだけであった」と指摘するとともに、若者に無謀な死を強いたことを批判した。しかし、その一方で大岡は「これらの障害にも拘らず、出撃数フィリピンで400以上、沖縄1,900以上の中で、命中フィリピンで111、沖縄で133、ほかに同数の至近突入があったことは、われわれの誇りでなければならない」と書いたのである▼極限のなかで飛行機を操縦して体当たりするのは並大抵のことではない。それを成し遂げた若者たちを高く評価したのだ。憲法9条のおかげで日本の平和が維持されたのではなく、散華した若者たちのパトスが今もなお日本人に息づいていることに、反日国家が恐れをなしているからではないだろうか。彼らの崇高な死は平和の礎となったのである。

 

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