草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本の危機を救うのは若者のナショナリズムだ!

2011年08月21日 | 祖国日本を救う運動

 テレビや新聞が黙殺すればするほど、自分たちを追い詰めることになるのに、それを知ってか知らずか、マスコミは徹底して無視したいようだ。しかし、フジテレビを批判したデモの参加者は2万人近くに達するとか。デモ参加者のほとんどは若い人で、団塊の世代と違って、サヨクへの未練などまったくない世代である。そうした若者の怒りが爆発したにもかかわらず、報道しないというのは、マスコミとしての既得権益を守りたいからだろう。ナショナリズムといえば橋川文三だが、右翼の心情を理解したふりをして、大東塾の影山正治を褒めたかと思うと、片一方で三島由紀夫をけなした芸当は、そもそも無理があったのではないか。三島に二重スパイとまで罵られた橋川は、晩年はアルコール中毒であったとか。そして、昼間から酒臭かったという。戦争中のわが身を断罪するに急なあまり、橋川は日本人としての非合理なパトスまで手放してしまったのだ。いくら擬似宗教国家とあげつらってみても、かつての日本という国家は、若者に死ぬべき意味を与えてくれた。それを嘲ることが戦後民主主義の風潮であったが、サヨクは死にがいを示せず、ごっこの世界に終始した。歴史の揺り戻しのなかで、またまたナショナリズムに火が付きつつある。危機になればなるほど、若者はナショナリズムに目覚めるのであり、外敵に対して身構えるのである。

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夏彦流に言うなら原発事故で町がいくつも消えつつある福島県

2011年08月21日 | 思想家

 福島県の子供たちが次々と県外に逃げ出している。いくら民主党政権が大丈夫だと言っても、福島県民の多くはそれを信用してはおらず、自主的な避難が相次いでいるのだ。そのせいもあって、福島市や郡山市では、めっきり子供の姿を見かけなくなった。当然のごとく、子供ばかりか、母親も一緒に離れることになる。今後もその傾向に歯止めがかからないのでは、と県教育委員会も頭を悩めているが、すでに県外に避難した子供の数は、福島県の小中学生のうちの約一割に達するという。そういえば、山本夏彦は「子供がいて年寄りがいて、若い男がいて若い女がいて、生れ出るものがいて死ぬものがいて、はじめて家であり町である」(『編集兼発行人』)と喝破していた。山本夏彦流に言うならば、福島県では今、町がいくつも消えつつあるのだ。寂莫たる光景ではなかろうか。だからといって、無理して引き戻せというわけにはいかない。もはやその現実を受け入れる以外にないのであり、いくら抵抗しても無駄なのである。そのエッセイで山本は、子供に面倒を見てもらうことができず、老人ホームに入るしか手がない親たちを皮肉ったのだが、原発事故によって浜通りや中通りが丸ごと老人ホーム化することになったのだから、何をか言わんやである。

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