テレビや新聞が黙殺すればするほど、自分たちを追い詰めることになるのに、それを知ってか知らずか、マスコミは徹底して無視したいようだ。しかし、フジテレビを批判したデモの参加者は2万人近くに達するとか。デモ参加者のほとんどは若い人で、団塊の世代と違って、サヨクへの未練などまったくない世代である。そうした若者の怒りが爆発したにもかかわらず、報道しないというのは、マスコミとしての既得権益を守りたいからだろう。ナショナリズムといえば橋川文三だが、右翼の心情を理解したふりをして、大東塾の影山正治を褒めたかと思うと、片一方で三島由紀夫をけなした芸当は、そもそも無理があったのではないか。三島に二重スパイとまで罵られた橋川は、晩年はアルコール中毒であったとか。そして、昼間から酒臭かったという。戦争中のわが身を断罪するに急なあまり、橋川は日本人としての非合理なパトスまで手放してしまったのだ。いくら擬似宗教国家とあげつらってみても、かつての日本という国家は、若者に死ぬべき意味を与えてくれた。それを嘲ることが戦後民主主義の風潮であったが、サヨクは死にがいを示せず、ごっこの世界に終始した。歴史の揺り戻しのなかで、またまたナショナリズムに火が付きつつある。危機になればなるほど、若者はナショナリズムに目覚めるのであり、外敵に対して身構えるのである。
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