草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

カリスマ性がない野田佳彦では国民を束ねるのは土台無理

2011年08月29日 | 政局

 菅直人政権で財務大臣を務めた野田佳彦を、どうして私が評価するだろう。原発事故への対応がデタラメであったことで、今でも福島県の子供たちは、死の灰を浴び続けているのだ。それだけに、新首相に就任すると言っても、期待する気にはなれない。根っからの保守派であっても、周りがサヨクなわけだから、きっと合わせるに違いないし、かえってサヨクに擦り寄っていくのではなかろうか。一昨年の政権交代以降、これで民主党は三人目の首相である。国民もよくこれまで付き合ってきたと思うが、ダチョウ倶楽部の上山竜平とそっくりで、コメディアンのような顔し、まるっきり大物らしくない政治家が日本の政治のトップに立つのは、日本にとって幸福なことなのだろうか。マックス・ウエーバーは、支配の正当性として、伝統的支配、カリスマ的支配、法的支配の三つをあげている。とくに、政治的指導者には、国民を魅了するカリスマ性が求められるのだそうだ。現在のような危機的状況下にあっては、なおさらではなかろうか。しかし、野田にはそうした魅力が微塵もない。それなりの人望があるのは、仲間内の面倒見が良かっただけだろう。それで日本国民を束ねることができるのだろうか。民主党の権力闘争はどうでもいいが、これまで以上に日本丸の前途が危ぶまれてならない。

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天皇家を王家と貶めて国家解体を目論むNHKに怒りの声を!

2011年08月29日 | マスコミ評

 NHKが来年の大河ドラマ「平清盛」のなかで、天皇家を王家と表記することに批判が高まっている。韓国が天皇陛下を日王と貶めていることと符合するだけに、フジテレビに続いて、今後はNHKが日の丸デモの標的になるだろう。言葉というものは、簡単に変更すべきではないし、天皇家という言い方も、日本の歴史を踏まえて用いられているのだ。「平清盛」のなかでは、平家と源氏との権力闘争がテーマとなるために、そこに関与していることを印象付けようと、あえて王家という表現にこだわるのだろう。しかし、何千年にもわたって、連綿と日本の天皇家が続いてきた背景には、政治権力者としての面よりも、日本文化の象徴としての面が強かったことが挙げられる。テレビドラマだから許されるという次元ではないのだ。三島由紀夫は『文化防衛論』のなかで、天皇陛下について「われわれの歴史的連続性・文化的同一性・民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴」と位置づけるとともに、「その(文化的象徴)天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない」と述べていた。NHKを政治勢力と決め付けるつもりはないが、その背後に特定の政治勢力がいることは明らかである。国家解体に歯止めをかける意味でも、NHKが王家と表記することに、私たちは怒りの声を上げるべきだろう。

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