♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神殿の幕が裂けた / 関根弘興

2022年03月07日 | Weblog

2021.8.30放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 毎日お届けしているこの「世の光」は、太平洋放送協会PBAが制作しています。聖書のすばらしいメッセージを届けるために設立されたPBAは、今年(※2021年)、設立70周年を迎えました。

 さて、聖書が私たちに語りかける中心は一体何でしょうか。それはイエス・キリストの十字架と復活によってもたらされた素晴らしい救いがあるということです。

 イエス様は当時最も極悪な犯罪人を処刑する道具であった十字架につけられました。聖書はイエス・キリストの十字架の意味をこう説明しています。第二コリント5章21節

 「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」

 と。つまり、罪のないイエス・キリストが私たちのすべての罪を背負い、罪の罰を受けて死んでくださったというのです。あなたのためにいのちを捨ててくださるほどの大きな愛をイエス・キリストは注いでくださいました。

 さて、イエス・キリストが十字架上で息を引き取られたときに、いくつかの不思議な出来事が起こったと聖書は記しています。それは、エルサレムにあった神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたというのです。

 神殿は入り口から入ってすぐのところが聖所というものがあり、その奥には至聖所と呼ばれる場所があります。そしてこの場所は垂れ幕で仕切られていたのです。至聖所とは神様が語りかけて下さるもっとも聖なる場所とされていました。その至聖所の入り口にかかっていた垂れ幕は、罪ある人間はそのままでは神様に自由に近づくことはできないということ、そして神様に近づくためには、罪の贖いが必要であるということを教えるためのものでした。

 しかしどうでしょう。イエス様が十字架で死なれたとき、何と私たちと神様とを隔てるその幕が真っ二つに裂けたのです。それはイエス・キリストの十字架によって私たちは罪のない者と認められ、神様に自由に何の隔ての壁もなく近づくことができるようになったということを示すためのものでした。うれしいですねえ。

 今、私たちはイエス・キリストの十字架によって躊躇することなく大胆に神様に近づき、神様とともに歩み、神様と親しく語り合うことのできるものとされているのです。

      (PBA制作「世の光」2021.8.30放送でのお話しより)
 ***

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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