2021.9.18放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所ではイエス様が生まれ故郷の会堂で聖書を教えられた時のことが記されています。
私は京都の福知山という田舎の教会に母親に連れられて行き、そして教会の皆さんから、幼い頃から愛され育てられていきました。そんな私が福知山の教会の礼拝で初めて説教をした時のことです。母親が家に帰ってくると、「今日のあんたの説教よかったなぁ。どこの本に書いてあったん?」と言いました。自分の息子があんな良い説教できるはずがない。どこかの本に書いてあったのをそのまま引用したのだろうと母は考えたわけです。思わず笑ってしまいました。母親としては生活のすべてを知っている息子なのにという思いがあったんでしょう。
一方、他の教会の方々は、まっすぐに聖書のことばを聖書のことばとして聞いてくださいました。オムツを替えてもらったような方もおられます。「あのシゲちゃんが!」と、かわいがってくださった方々がおられます。礼拝司会者が「大嶋牧師の説教です。」とバトンが渡され、「先生、今日の聖書のことばで教えられました。」と説教を神のことばと聞いて下さる方々がおられました。
牧師は神のことばを神のことばとして聞いて下さる聴衆によって育てられていくのです。もし福知山の方々が、気に入るような説教ではないと、聞く耳を持たない人々だったらどうだったでしょうか。私の心が揺さぶられることが起こったでしょう。「もっとあの人たちの気に入る説教をしないといけない」と思ったかもしれません。
そしてその内、牧師の側で起こってくるのは、自分の気に入る信徒を産み出したいという誘惑にかられていくでしょう。そこにはキリストの教会がありません。恵みのことばが語られる教会とはならないんです。
教会には神様がおられます。神様が牧師も信徒も恵みのことばで育ててくださるんです。その神様が良くしようとしてくださるはずだと信じて、恵みのことばを語り聞くんです。神様が人を育てようとされているプロセスにあるのだ。そして人を育てようとされる恵みの神を見つめる。なぜならば神は恵みの神であって、恵みのことばを語ってくださる。
この恵みの神のことばが語れる教会に行っていただきたいと思います。会堂に集まる出発点、それは神のことばを聞くためであったことを見失わず、神のことばを誠実に聞いていきたいと思います。
( PBA制作「世の光」2021.9.18放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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