♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■忍耐は、運命を左右する / 板倉邦雄

2022年03月19日 | Weblog

2021/9/11放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「忍耐は、運命を左右する」という題でお話ししましょう。

 囚人パウロたちを乗せたイタリア行きの船はクレタ島の「良き港」に到着しました。その港で長い時が経過し、航海が危険な季節になってまいりました。暴風雨が多い季節に入り、航海には一番危険な時でした。パウロは三回にわたる伝道旅行でこの海域を何回も行き来したことがあります。コリント人への第二の手紙の中で、「難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂流したこともあります」と書いてあります。ですから、パウロは人々に警告しました。「皆さん、私の見るところでは、この航海では積荷や船体ばかりではなく、私たちのいのちにも危害と大きな損失が及ぶでしょう。」

 しかしローマの百人隊長は、パウロの意見よりも船長や船主のほうを信頼しました。当然です。囚人パウロの意見よりは、航海のプロである経験豊かな船長や船主の意見の方を信頼するでしょう。それに百人隊長は、囚人たちを一日も早くイタリアのローマに連行しなくてはなりませんでしたし、さらにこの「良き港」は冬を過ごすのには適していなかったのです。大多数の人々は、「良き港」から北西80キロにあるフェニクスの港に行って、そこで冬を過ごしたいと主張したからでした。

 時に南風が静かに吹いてきました。人々はこの時とばかりに碇を上げてクレタ島の岸に沿って航行しました。しかしこの後、一行は大嵐に遭遇することになります。忍耐は私たちの運命を左右することになるのです。

 私たちは忍耐して待つことができないようですね。不便や不快なことに耐えられないようです。自分たちのやりたいこと、願っていることのためには、危険を承知でも突き進むのです。この世界は私たちのために回っているのではありません。この世界は、神が創造し、神が支配し、処理し、導いている世界です。私たちはこの神の造られた世界の営みの中に生かされ、動き、存在している者であることを忘れてはなりません。

  (PBA制作「世の光」2021.9.11放送でのお話より )


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■イタリア行きの船で / 板倉邦雄

2022年03月18日 | Weblog

2021/9/10放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は、「イタリア行きの船で」という題でお話ししましょう。

 ローマ皇帝カエサルに上訴したパウロは、いよいよ船で、イタリアのローマを目指すことになります。使徒の働き27章に入りました。

 さて、囚人パウロは船でイタリア行きが決まりました。医者のルカとテサロニケ教会のアリスタルコも同行します。パウロの他にも囚人数人がローマの百人隊長ユリウスに託されました。そして、アジア沿岸の各所に寄港することになっているアドラミティオの船に乗り込んでカイサリアの港を出帆したのです。

 次の日、シリアの沿岸シドンに入港しました。百人隊長ユリウスはパウロを親切に取り扱い、パウロがシドンの友人たち宅を訪れパウロを歓迎することを許したのです。いわゆる外出を許可しました。それだけ囚人パウロは百人隊長の信頼を得ていたのです。もし逃げたら百人隊長の首が飛ぶことになるのですから。

 それからパウロ一行はシドンの港から船出し、リキア地方のミラに入港しました。ミラの港で乗り換えて出航した後、幾日もの間のろのろと船の進みが遅くて、パウロ一行はかろうじて小アジアのクニド半島の沖合に到着しました。風が船の行く手を阻むので、クレタ島のサルモネ岬からクレタ島の島影に沿って航行しながら、かろうじてクレタ島の南岸にありました「良き港」と呼ばれる港に着いたのです。

 さて、今から二千年前の船旅の情景が描かれていました。風と潮の流れだけが頼りです。風が出てくると帆をあげて前に進みます。風のないときは潮の流れに任せて進み、進めない時は碇を降ろしてしばらく停泊するのです。

 私たちは自然の営みの中で自分たちを委ねて自然の法則に逆らうことなく生活しなければなりません。私たちにとっては不便であっても自然の営みとともに生きて生活していたのです。現代の便利の時代にあって不便に生きることは、とても大切なことかもしれませんね。それはこの世界の創造主である神とともに生きることになります。

  (PBA制作「世の光」2021.9.10放送でのお話より )


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■クリスチャンになる / 板倉邦雄

2022年03月17日 | Weblog

2021/9/9放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「クリスチャンになる」という題でお話ししましょう。

 パウロは今、手と足を鎖につながれて、ローマ総督フェストゥス、ユダヤの王様ヘロデ・アグリッパ夫妻、そして千人隊長やカイザリアの市の市議たちの前で弁明をしてまいりました。しかし、弁明というよりは列席のすべての人たちが自分のようになってもらいたいという証の伝道ではなかったでしょうか。使徒の働き26章の最後です。

 さて、パウロの弁明を聞いたローマのフェストゥス総督は大声を張り上げて言います。「パウロよ、おまえは気が狂っている。博学がおまえを狂わせているのだ!」

 パウロは答えました。「フェストゥス閣下、私は気が狂ってはいません。私は、まじめな真実なことばを語っているのです。ところで、アグリッパ王よ、あなたは預言者を信じますか? 預言者の語った約束を信じておられると思います。」

 アグリッパ王はパウロに言いました。「おまえは少し説教しただけで私をクリスチャンにしようとしているのか。」

 「いいえ、説くことが少しであろうと多くであろうと私が神に祈るのは、ただアグリッパ王よ、あなただけではなく、今日、私のことばを聞いた人々もみな私のようにクリスチャンになって下さることです。」

 パウロの今までの弁明は、列席者のすべての人々がパウロのようなクリスチャンになってもらいたいための弁明だったのですねえ。

 クリスチャンとは口を開けばキリスト、キリスト、と語るために、当時の人々があだ名で呼んだのがクリスチャン、キリストにひっつく者の意味となりました。ですからクリスチャンになるとはイエス・キリストに結びつく人となることでした。イエス・キリストを信頼して生活するようになる人です。そのためにパウロのように神に対する悔い改めをして神に立ち返ることが求められました。神への悔い改めと、そして救い主であるイエス・キリストへの信仰です。この二つがクリスチャンになる条件だとパウロは説教しました。
 ペテロの説教を思いだしてください。使徒の働き2章(38節)にはこうあります。
 「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」(口語訳聖書)

  (PBA制作「世の光」2021.9.9放送でのお話より )


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■パウロの弁明⑤「宣教の心得」 / 板倉邦雄

2022年03月16日 | Weblog

2021/9/8放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は、「パウロの弁明 その5 『宣教の心得』」という題でお話ししましょう。

 さてパウロの弁明の最後になります。ここにはパウロの宣教の心得と実践が弁明されています。使徒の働き26章です。

 「こういう次第ですから、私は天からの啓示にそむかず、まず初めにダマスコにいる人々に、それからエルサレムにいる人々、さらにユダヤ全土の人々、そして異邦人たちに、悔い改めて神に立ち帰り、悔改めにふさわしい行いをするように説き進めてきました。そのために、ユダヤ人たちは、神殿の境内にいる私を捕えて殺そうとしたのです。しかし、私は今日に至るまで神の加護を受けてまいりました。そして堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしてきました。預言者たちやモーセが、必ず起こると語ったこと以外には何一つ宣べてはいません。つまり私は、救世主キリストが苦難を受けること、また、死者の中から最初に復活して、このユダヤの国民にも異邦人にも、光であるイエス・キリストを宣べ伝えるに至ることを弁明してきたのです。」

 ここにパウロの宣教の内容と心得が弁明されているのではないでしょうか。まず宣教の順序は、自分が回心したシリアのダマスコから始めて、次にエルサレム、ユダヤ全土、そして異邦の外国の人々に、と進んでいきます。

 宣教の内容は、神に対する悔い改めと、悔い改めにふさわしい生活に立ち返ることでした。それはパウロ自らの反省に基づいていたのです。神様のためにと信じてキリスト信徒の迫害を実践してきたことが、実は神様への反逆であり、人々を苦しめる悪行であったからでした。そしてまた自分自身をも傷つけ破滅させる生活だったからです。

 次にパウロの宣教の心得は、どんな人に対しても旧約聖書が約束したことのみを語るということでした。その約束とは、救世主キリストが苦難を受けることと、死人の中から最初に復活して、すべての人々の希望の光となるということでした。

 私たちも神様のご加護の中で、自分を含め他の人々に対して、自分の罪と悪を悔い改め、待っている父なる神のもとに帰るように語り伝えてゆこうではありませんか。

  (PBA制作「世の光」2021.9.8放送でのお話より )


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■パウロの弁明④「使命の内容」 / 板倉邦雄

2022年03月15日 | Weblog

2021/9/7放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は、「パウロの弁明 その4 『使命の内容』」という題でお話ししましょう。

 まず使徒の働き26章17節と18節を口語訳聖書で朗読します。

 「わたしは、この国民と異邦人との中から、あなたを救い出し、あらためてあなたを彼らにつかわすが、それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。」

 これからパウロの果たすべき使命の内容が語られています。

 まず第一の内容は、人々の目を開いて闇から光の世界へ移すことでした。光がなければ物を見ることはできません。心の目がふさがっていたり閉じていたら光が入らないので、暗闇を手探りで不安の中を生活することになります。主イエスは、この世の光としてこの世に来られました。光に従う人は決して暗闇の中を歩くことはないのです。

 第二の使命の内容は、人々を悪魔の支配から神のみもとに帰らせることでした。私たちは生まれて死んでいく者ですが、実は病気で死ぬ者となったのではありません。聖書によれば、「罪の支払う報酬は死である。」(ローマ 6:23 口語訳聖書 )と書かれているからです。私たちは皆、罪を犯したので死ぬ者となったのです。ですから私たちは生まれて死ぬまで、死の恐怖という奴隷のもとにあります。死の力を持つ者すなわち悪魔をご自分の十字架の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯奴隷となっている私たちを主イエスは解放してくださり、私たちを神のいのちに移してくださったのです。

 そして第三の使命の内容は、人々が主イエスを信じる信仰によって罪の赦しを得て、聖別された聖徒の群であるキリストの教会に加わっていく働きがパウロの使命となりました。パウロにとっては、主イエス・キリストを伝えて、信じた人々が集合するキリストの教会造りをすることが使命となっていきました。

 聖書のことばです。
 「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」マタイの福音書16章18節

  (PBA制作「世の光」2021.9.7放送でのお話より )


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■パウロの弁明③「主からのミッション」 / 板倉邦雄

2022年03月14日 | Weblog

2021/9/6放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、板倉邦雄です。今日は、「パウロの弁明 その3『主からのミッション』」という題でお話ししましょう。

 復活された主イエスに出会ったパウロはキリスト信徒に改宗します。そして、主イエス様から新しいミッション・使命が与えられました。使徒の働き26章の続きです。

 パウロの弁明は続きます。
「復活の主イエスは、私に語りかけました。さあ起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしが今日あなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事を立証し、わたしの苦難の十字架と復活の出来事を伝える務めに任じるためです。」

 パウロはサウロという名前の時、ひどく荒れ狂い、キリスト信徒を迫害していました。それは、自分からとげのある棒を蹴り続け、傷を負い、血を流し続ける愚かな行為でした。

 復活の主イエス様は荒れ狂うサウロの暴走を止めに入ったのです。パウロは、復活の主イエスの光と輝きのために倒れ、一時、失明します。しかし、これからパウロは起き上がり、自分の足で立つようになります。まさに主イエス・キリストにある事実でした。今まで自分の力や他の人に頼った人生でした。しかしこれからは、主イエスの十字架と復活を頼った新しい自立の人生が始まったのです。

 パウロはコリント人への手紙の中でこう語りました。
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。」

 パウロの人生に起こった新しい創造は、新しい使命・ミッションをパウロに与えたのでした。それは自分のような者のために十字架で苦しみ、私の罪の身代わりとなって下さったイエス・キリスト、そして私を罪のない、神の前に義とするためによみがえられたキリストに出会うことを証しするキリストの証人になることだったのです。

 さて今、私たちは主イエス様からどのような任命を受けているでしょうか。子育てをしていることですか? また介護をしていることですか? パートの仕事をしていることですか? あるいは病気と過ごしている時でしょうか。どのような状況にありましても、その居場所でキリストの証人とさせていただきたいのです。

  (PBA制作「世の光」2021.9.6放送でのお話より )


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■復活の主に出会った人たち / 関根弘興

2022年03月12日 | Weblog

2021.9.4放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 イエス・キリストは、十字架につけられ、葬られ、三日目によみがえりました。これは聖書の中心です。イエス・キリストが復活された復活の目撃証言となったイエス様の弟子たちは、その後どんな迫害にも屈せず、命がけで、イエス・キリストは復活し今も生きておられる、と世界中に宣べ伝えていきました。

 聖書には、復活されたイエス様は弟子たちをはじめ500人以上の人たちに出会ってくださったと記されています。

 それでは復活されたイエス様に最初に出会ったのは誰でしょう。それは、イエス様が埋葬された墓に香料を塗るために出ていった女性たちでした。 

 その中にマグダラのマリヤという人がいました。このマグダラのマリヤは、ガリラヤ湖の南西に位置するマグダラという町の出身でした。

 ルカの福音書を読むと、イエスは以前にこの女から七つの悪霊を追い出されたと書かれています。ですからマリヤは医者もさじを投げてしまうような悪質な病にかかっていて、肉体的にも精神的にも疲れきって希望を失いながらもかろうじて生きていたのでしょう。しかし、イエス様によって癒やされ、生きる力が与えられ、イエス様や弟子たちとともに行動するようになりました。

 マリヤはイエス様の十字架のもとにもいました。イエスさまの埋葬にも立ち会いました。そして日曜日の朝、イエス様の遺体に香料を塗るために墓に行ったのです。

 復活されたイエス様は、この女性たちに現れてくださいました。マタイの福音書の28章9節を見ると、こう記されています。「すると見よ、イエスが『おはよう』と言って彼女たちの前に現れた。」このように書かれています。

 復活されたイエス様は特別なことばを語ることはしませんでした。「おはよう」と、この女性たちに普段どおりのあいさつのことばを語りかけてくださったというのです。

 私たちにとって復活という出来事は荒唐無稽なことに聞こえるかもしれません。しかしイエス様にとって、復活の朝は普通の朝でした。自分が何度も語ってきたとおりの出来事がただ起こっただけです。そして復活されたイエス様は今も生きています。そして多くの弟子たちに出会い、そして今日、私たちは単純に聖書の約束を信じ生きるとき、イエス様を肉眼では見ることができなくても出会うことができるのです。

      (PBA制作「世の光」2021.9.4放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■空の墓 / 関根弘興

2022年03月11日 | Weblog

2021.9.3放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 イエス・キリストが十字架で死なれ埋葬された出来事を、昨日は見ていきました。しかしイエス様が埋葬されるとすぐに、祭司長、パリサイ人たちがピラトのところに集まって、何やら話し合いが持たれていったのです。

 ユダヤでは一日は夕方から始まりますから、イエス様が埋葬されたのが金曜日の夕方。その直後に彼らは総督ピラトのもとに行ったのでしょう。そしてこう願い出ました。
「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちがやって来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」

 するとピラトは、「番兵を出してやるから、できるだけの番をさせるがよい」と答えたのです。

 そこで彼らはイエス様の墓に行って、墓の入り口をふさいでいる石を封印し、番兵に墓の番をさせたのです。

 しかしどうでしょう。イエス様は封印された墓の中に留まっているお方ではありません。イエス様の復活のいのちは、どんな大きな墓石をもってしても封じることなどできません。

 イエス様が十字架で死なれ、三日目の週の初めの日がやってきました。マグダラのマリヤを含む三人の女性がイエス様の遺体に香料を塗るために墓にやってきたのです。すると、いるはずの番兵がどっかに行ってしまい、封印されていた大きな石が脇に転がされていたのです。

 女性たちは、「ああ、墓の入り口からあの大きな石を転がしてくれる人が誰かいるだろうか」と、道々案じながら墓に向かっていったと記されています。ところが墓に着くと、石は既に脇に転がしてあり、墓の中は空っぽではありませんか。
 
 すると途方にくれていた女性たちに御使いが現れ、告げたのです。
 「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにおられません。よみがえられたのです。」

 イエス様はご自分が語られたとおり復活なさいました。空っぽの墓はイエス・キリストこそ死を打ち破り永遠のいのちを与える方であることを示す象徴となったのです。

      (PBA制作「世の光」2021.9.3放送でのお話しより)
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■埋葬 / 関根弘興

2022年03月10日 | Weblog

2021.9.2放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 イエス・キリストが十字架につけられ息を引き取られたとき、神殿の幕が真っ二つに裂け岩が裂けたと書かれています。そして、この一連の出来事を見ていたローマ軍の百人隊長は、「この方はまことに神の子であった」と、イエス・キリストは罪のない神様が遣わされた神の子なのだと告白したのです。

 さて、十字架で息を引き取られたイエス様を葬ったのはアリマタヤのヨセフという人でした。この人はユダヤ社会の中では有力な議員であり、自らも神の国を待ち望んでいた人だったと書かれています。そんな彼が大胆にもローマ総督ピラトに願い出て、イエス様の遺体を引き取り手厚く埋葬したのです。

 そして埋葬に立ち会った人物がもう一人いました。それはニコデモです。ニコデモは、ヨハネの福音書3章で、夜こっそりイエス様を訪ねてきた人でした。律法を熱心に守るパリサイ人でユダヤ人の指導者でしたが、イエス様から「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることができない。」と言われ、永遠の救いを求めていた人でした。

 ニコデモは没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ30キログラムばかり持ってやってきたと書かれています。イエスさまの埋葬の場にはイエス様に付き従っていた女性たちはいましたが、弟子たちの姿はありませんでした。かえってイエス様に敵対していると思われていたユダヤの最高議会のメンバーであったヨセフとニコデモが、イエス様の死を目の当たりにした後、自らの危険を顧みずイエス様を埋葬したのです。

 イエス様の埋葬には特別な点がいくつかありました。普通、十字架刑で死んだ者たちは囚人用の共同墓地に葬られるか、野ざらしで放っておかれました。しかしイエス様が葬られた場所はどうでしょうか。ヨハネの福音書19章41節には、「イエスが十字架につけられた場所には園があり、そこに、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。」と記されています。また遺体に30キログラムの没薬や香料を使うのは、普通は王様か国民的な英雄だけです。つまり、このイエス様の埋葬も、イエス様が救い主であり神の国の王なるお方であるということを、図らずも示すことになっていったのです。

      (PBA制作「世の光」2021.9.2放送でのお話しより)
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■百人隊長の告白 / 関根弘興

2022年03月09日 | Weblog

2021.9.1放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 イエス・キリストが十字架につけられ息を引き取られたとき、神殿の幕が真っ二つに裂け、岩が裂けたと(聖書に)書かれています。この一連の出来事を見ていた人の中にローマ軍の百人隊長がいました。

 百人隊長というのは、ローマ軍の歩兵百人の指揮官です。彼は多分、イエス・キリストの十字架刑の執行責任者だったでしょう。これまで何人もの処刑に立ち会ったはずです。苦しみの叫びと呪いの声をあげながら処刑される多くの犯罪人の姿を見てきたことでしょう。おそらく今回も、「世界を騒がせた極悪人が処刑されるのだろう。人騒がせなやつだ」とくらいしか思っていなかったかもしれません。

 しかし、十字架につけられたイエス・キリストの姿を見ると、これまで彼が見たことのない姿を彼は目にしたのです。イエス・キリストは自分を釘付けにした者たちのために、「父よ、彼らを赦したまえ。彼らは、自分のしていることがわからないのです。」と祈られました。また、隣の十字架についている犯罪人に「今日、あなたは、わたしとともにパラダイスにます。」と約束されました。そして、激しい苦しみの中で呪いの声をあげることなく、毅然として「完了した」「成し遂げた」と言って息を引き取られたのです。

 また、イエス・キリストが十字架につけられていたそのとき、全地が真っ暗になりました。イエス様が息を引き取られたとき、地が揺れ動きました。

 百人隊長は、そのイエス様の姿と不思議な一連の出来事を見て、「この方はまことに神の子であった」と告白したのです。

 福音書を読むと、十字架の場面で二人の人が信仰の告白をしたことが記録されています。一人は、イエス様の隣で十字架につけられていた犯罪人です。彼は、「イエス様。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と、イエス様が御国の位に着く方であると告白しましたね。そしてもう一人がこの百人隊長です。彼は、「この方はまことに神の子であった」と告白しました。

 二人に共通しているそのことは、イエス様の姿をずっと見続けていたということです。イエス様を見続けていくとき、一体何が見えるのでしょう。それは、この方は御国の位に着く王なる救い主であり、神なるお方であるということが見えてくるのです。イエス・キリストを見ることは、信仰の告白へと導かれていくのですね。

      (PBA制作「世の光」2021.9.1放送でのお話しより)
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