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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書-72 縛りつける言葉ではなく / 大嶋重徳

2022年03月22日 | Weblog

2021.9.14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所ルカ4章の続きでは、イエス様が会堂で聖書を教えられたときのことが記されています。

 この時代、イエス様の説教が直接聞けたのです。私は説教者としてイエス様の肉声の説教を聞いてみたかったなあと思います。どれだけ情熱的に、どれだけ喜びにあふれ、どれだけ聖書のことばに感動したのだろうかと思います。

 この当時の人々の感想が残っています。

 イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。(4:15)
  人々は皆、イエスをほめ、その口から出てくる恵みのことばに驚いた。(4:22)

 イエス様の説教のことばを聞いて「称賛」し、このことばは「あがめた」という意味のことばです。つまり神様をあがめることばが人々の思いに生まれたのです。

 ここに一つの説教のモデルがあります。つまり聖書の説教は神様をあがめる思いが生まれるということです。人があがめられるのではありません。私も説教しながらいつも願うことは、神様のことをもっと知りたいと願う人が起こされることです。もし、「先生の話は上手ですね」と言われると間違いなく落ち込むでしょう。自分の話の上手さあるいは下手さしか残らなかったのかと。何が問題だったのだろうかと反省します。

 さらに、イエス様のことばは恵みのことばでした。イエス様のことばは「福音」と言われます。「福音」とは「良き知らせ」という意味のことばです。グッドニュース、これを聞かずしていられようかと人々が思うようなことばでした。

 恵みのことばの逆のことばは何でしょうか。それは、あなたは何々してはならないと律法で縛ることばとなるでしょう。教会で語られることばもイエス様のことばのように恵みのことばでありたいと思います。説教は、何々せねばならないと言った方がむしろ準備は簡単です。しかし、その「ねばならない」に生きることの難しい罪人の自分を助けて生かしてくれる恵みの響きを聖書の説教はもっている必要があります。

 そのとき、私たちは今週もこのことばを聞くために自分の大切なあの人をここに連れてきたいと思います。もし、自分には分かるけれども、自分の家族にはピンとこないだろうなと思える説教であるならば、それは恵みのことばではないでしょう。

 人が決してあがめられず神があがめられ、人を縛りつけることばではなく恵みを受け取りたいと願うような福音のことばをイエス様から受け取っていく今日の一日でありたいと思います。

     ( PBA制作「世の光」2021.9.14放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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