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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書-75 「歓迎しやすい」神ではない / 大嶋重徳

2022年03月25日 | Weblog

2021.9.17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所では、イエス様が郷里の会堂で聖書を教えられた時のことが記されています。

 イエス様は故郷のナザレに先立って、その前、ガラリヤの各地、カペナウムという場所でも人々を癒やす奇跡もされました。故郷の人々は、「それと同じようなことをやってみろよ。そうしたら信じてやるよ。」と、上から目線で神のことばを聞いていたのです。イエス様からすると、そこに集まってる人々の要求に応えてみせるなど簡単なことだったでしょう。そこにいる誰でもいい、その病気を直せば、みんなが感嘆の声をあげることなど目に見えていたと思います。

 しかし、イエス様は人々の気に入る救い主になることを拒否しておられるのです。人は、自分の納得するような救い主を、自分の気に入る神を期待するんです。神様は、神様らしく振る舞ってもらわないと困る。だって神様なんだから。それが当然ではないか。そして、そういう神であれば歓迎もする。もしそのような神であれば世界中のどこにでも、たくさん人間が造り出した神がいます。

 しかしイエス様はおっしゃるんです。「私はあなた方の歓迎しやすい神ではない」と。そのような神との出会いは、あなたにとって恵みの経験とはならない。ナザレの人々は、気に入らないならいつでも捨てることのできる偶像を欲しがったんです。イエス様は人々の気に入る説教をされませんでした。そんな人々の思いの間をすり抜けて行かれました。しかしそれは人々を偶像の神を造ることから守るためだったんです。いくら殺されそうになろうとも、イエス様は憤りの只中をすり抜けて行き、変わることなく神のことばを語り続けられました。私もそのような牧師でありたいと思います。唯一、求めるべきものは神が私たちに何を求めておられるのかということです。

 「今日、神のことばがあなた方の間に実現した!」 皆さんの生活の中で神のことばが実現することを、ひたすら求める説教をしたいと思います。一心に神の心を求め、人々の怒りの間をすり抜けながら、それでもこのラジオの前の皆さんに恵みのことばを語りたいと思います。恵みのことばとは人々の気に入るかどうかではない、神の求められることばを語ることであり、その神のことばを聞き続ける民がこのラジオの前に起こされることです。

     ( PBA制作「世の光」2021.9.17放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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